木陰に沈むお嬢さま
※順番移動のため、更新し直しました
完璧になることを求めていた。
そうすれば、誰からも愛されるに相応しい存在になれると思っていた。
完璧になること、それだけを夢見ていた。
それだけを見つめていた……。
だから皮肉ね。
それ以外のたくさんのものを、見落としてしまうはめになるなんて。
* * *
まもなく、夜が明けようとしていた。
いの一番に目覚めた雄鶏が、闇の残る空に向かってけたたましく鳴いた。地平線の彼方より、まばゆい白球が顔を覗かせる。薄れゆく空に、星たちは消えまいと最後まで儚くまたたいていた。
やがて空に星が失せ、月が霞み、地上に穏やかな明るさが広まった頃……。
夜明け前に教会を出発し、馴染みの街を目指して勇みよく歩を進めていた、かの幽鬼の令嬢と、その連れの従者はというと──。
「うぅ、死にそう……」
道中、まだ半分にも達していない距離で――無様に倒れていた。
「……あっ、そうだったわね。わたし、もう死んでるんじゃない、ふふふ……」
のどかな平野に根を張った一本の広葉樹の下で……乾いた笑いとともに、滑ったシャレが虚しく響いた。
自慢の長髪が乱れるのもおかまいなしに、侯爵令嬢のフィオナ・ベルベットは木陰のなか、草の上にばったりと仰向けになっていた。
その顔色は真っ青だ。
もとより、体は血の気の失せた死人ではあるが、口端からこぼれるうめきからも相当弱った状態にあることがうかがえる。
窪んだ目は虚ろに濁っていた。もはや歩くどころか、座って姿勢を保つ気力すらままならないようである。
「…………」
そんな主の青ざめた顔を、真上から覗きこむのは従者のディオス・シュスであった。
投げ出された五体のかたわらで、彼は物静かに跪いていた。その目元は、鉄の仮面で覆われている。生来の無愛想も相まって、表情が読み取りにくいが……一応は、主の心配をしているようであった。
けなげな従者に、主であるフィオナは恨めしい視線を返した。
「なんで、教えてくれなかったのよ……。幽鬼が……亡者となった、わたしのこの体が……日の光にめっぽう弱くなったってことを……」
「…………」
そう、フィオナの言ったとおり、幽鬼に太陽は禁物であった。いわゆる『なめくじに塩』なのである。
幽鬼というのは──この世で生を手放した者が正しい作法で弔われなかったり、なんらかの執着を持ったりして今生に留まりつづけている、哀れな死者(動物含む)のことを指す。
区分は曖昧なようで、霊体だけを指したり、フィオナのように禁術を介して死体に魂を縛した者もすべて『幽鬼』に含まれるらしい。
なににせよ、生命はみな終わりを迎えたのちに、死者の門をくぐって転生するのが、この世界の神が定めた正しき理である。
その摂理に反した者たちの居場所は、闇こそが相応しいということなのだろう。日の光の前では、幽鬼は姿を現さないというのが常のようだ。
(じ、冗談じゃないわ……)
ということで、フィオナは大いに困り果てていた。
(日差しが大敵ってことは、活動自体がだいぶ制限されてしまうじゃないの……!)
現に二人はいま、身動きが取れない状況下にある。
体の異変に気づいたとき、運よく木陰が近くにあったから事なきを得たものの……このままでは先に進むことも、教会に戻ることも叶わない。
(辺りに広がるのは、太陽の恵みをいやらしいほど浴びた農地のみ……。所々に、農業を営む平民の納屋らしきが散らばって見えるけれど……)
死んだとはいえ、自分は貴族だ。
侯爵家のご令嬢さまなのだ。幼き頃より、大人たちから言いつけられてきた──市井との境界を引き、威厳を保つのも貴族の立派な務めであると。
ゆえに、どこの馬かもわからぬ平民に頼るというのは……どうにも、フィオナは気が進まなかった。
「はぁ、どうしましょう……」
草の甘い香りが飛ばすよう、フィオナはため息をついた。
まさかこんな場所で、出鼻をくじかれるとは思わなかった。
義妹と元婚約者との契りを壊す、大事な復讐計画。その計画を美しく飾るための花嫁衣装をこれからそろえようってときに、なんて災難なのだろうか。
(こんな調子でわたし……あの子に復讐することができるのかしら?)
不安とともに、憎い小娘の顔がよぎる。
リリア・ベルベット。
ブロンドの髪を波立たせた義妹──フィオナの婚約者だった公爵家のエリオール・シルクスを奪おうとする泥棒猫。
そして……おそらくフィオナを毒殺した、真犯人。
「…………」
突然、すっとディオスが立ち上がった。
なにを考えているのやら、彼は主に背を向けると、おもむろに片手を上げて左右に振りはじめた。
ハエでも飛んでいるのだろうか。
ディオスとは幼少期からの長い付き合いではあるが、時々、彼のすることがよくわからなくなる。
(よくわからないといえば……)
フィオナは目を閉じ、その瞼の上に右手の甲を乗せた。意識に引きずられて、彼――従者ディオスと交わした、教会でのやり取りを思い返す。
憧れの婚約は取り消され、幽鬼として望まぬ復活を与えられた──その失意に沈み、床に伏した主である自分を、従者の彼は手酷く罵倒してきた。
そこから一転、囁かれた暗い情愛……。
付き合いが長いだけに、フィオナの衝撃は凄まじいものであった。
夢でも見ていたのだろうか。以降の彼の変わりない愛想のなさからも、本当に主に懸想しているのか疑わしかった。
(……いいえ、あの告白は本物だった)
まるで詩集を朗読したかのような言葉で――間違えようがない、あのとき、フィオナは彼の秘められし愛を知ったのだった。
「……やだわ。わたしって本当に罪ね……」
思わず、口元がゆるみかける。
けれど、自身が恋い慕う相手はほかでもない、愛しのエリオールただ一人なのである。
ディオスには悪いが、その暗い情愛を利用する手はないとフィオナは思った。彼もまた裁かれるうちの一人なのだ。身勝手な横恋慕から、人を幽鬼にした罪の代償として──復讐計画の踏み台となってもらおう。
(そうよ、こんなところでのんきに寝ている場合じゃない……!)
こうしているあいだにも、リリアとエリオールの結婚は進められているのだ。
いま立ち上がらないでどうする。運命が祝福しないというなら、己の手ですべてを破壊し尽くすと誓ったではないか!
さぁ、いまこそ奪われた者の、ド根性を示すとき──!
「んああーっ! これしきのことで、倒れていられるかぁーッ!」
フィオナは吼えた。
貴族令嬢らしからぬ、熱気を喉奥からほとばしらせ、跳ね上がるバネのごとく気合いで上体を起こす。
視界が転じて、世界が拓ける。
その反動は大きく、彼女はぜぁはぁと激しく息づいた。
「ハァ、ハァ……あら?」
ここで、彼女はようやく気づいた。
目の前に、一台の幌馬車が停まっていることに。
かたわらに寄り添うディオスが、荷台につながれた馬が、御者台に座る犬が──その隣、手綱を握りしめる若い娘が、みな一様にこちらを見つめていた。
こと若い娘は、ぽかんとした顔をしていた。フィオナと目が合うなり、おずおず口を開く。
「あー……えっと、……大丈夫?」
その気まずそうな声に、フィオナは青肌の頬をほんのり赤く染めるのであった。
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