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幼き日の誓いⅡ

「そこをどきなさい、ディオス。わたしは外の景色が見たいの」


 押しのけようと、少女フィオナは少年ディオスに向かって手を伸ばす。助けに対しての礼などない。一方のディオスも、主のわがままな態度にため息一つこぼさず、この年齢から現在まで長く続いている無感情な顔つきで、淡々と従者の務めを通した。


「外は強い風が吹いています。窓をお開けになるのはやめにしましょう」


「その風を、わたしはいま浴びたいの。これは命令よ、わたしの邪魔をしないで」


「わかりました。ならば、ほんの少しだけ……」


 食い下がる少女に、ディオスは自身の手を伸ばして、(ひら)いた窓の角度を調節した。途端に風はやわらかくなり、脇のカーテンが心地よさげにふわりとゆれた。


 ついでにディオスは手近なところから、踏み台になりそうな小椅子を引っ張りだしてきてくれた。無口、無表情、無個性の三拍子をそろえた彼だが、それなりに出来た従者なのである。


 少女はさっそく小椅子に膝を乗せて、窓辺へと体を寄せた。


「ディオスも、よく見ておきなさい」


 そう言って、少女は従者を隣に立たせた。二人、頭を並べて、窓の向こうへと視線を向ける。


「わたしたちだけでも、記憶に残しておきましょう。わたしの母が好きだったという、この窓から見える街の景色を」


「…………」


「今日かぎり……今日かぎりで、もうこの部屋(・・・・)には入れなくなってしまうのだから。せめて思い出だけでも、ね」


 この部屋。

 ええ、覚えていますとも。少女の視線が巡らなくても、わたしはこの部屋の景色を知っている。


 少女たちがいる部屋はほかでもない、わたしの母の私室である。


 わたしをこの無情な世界に産み落とし、そのまま息を引き取ってしまったお母さま……母のことは、館の肖像画か、使用人たちの語る話でしか知り得ることができなかった。


 無人の部屋だが、その母のそばに長らく仕えていたという年老いた乳母が、毎日丁寧に掃除をしてくれている。窓の景色のことも、乳母が幼少のわたし(・・・・・・)に語ってくれた母の逸話の一つであった。


「お母さまも、この館に(とつ)いできてから、毎日のように窓辺から街を見下ろしていたんですって。いつ見ても飽きないと、大変お気に入りの景色だったらしいわ」


 わたしとディオスは、館の者たちの目を盗んでよくこの部屋を訪れていた。秘密の遊び場にしていたのだ。この部屋に入ると、知らぬ母の香りがわずかばかり残っているような気がして、どこか気持ちが安らぐのであった。


 懐かしい思い出の断片に、わたしはしばらく物思いにふけっていたかった。

 しかし、人が感傷に浸っているというのに、ディオスが無情にも水を差してきた。


「フィオナさま、お時間です」

「…………」


 彼が「まもなく、正午の時間となります。お支度(したく)を」と続けるも、少女はなにも答えようとしない。


 返事をしたくないのだ。

 願うことなら、いつまでもこの部屋で母が愛した美しい風景を眺めていたかった。


 しかし、幼子(おさなご)の願いなど容易に退(しりぞ)けられるもの。そうとも、いつまでも甘い夢に浸る子どもでいつづけようなんて……決して許されないのである。


「フィオナさま――」


 何度目かの呼びかけで、少女はようやく窓辺から手を離した。小椅子から下りて、差し込む光に背を向ける。


 少女は「来なさい」と、従者に呼びかける。短い足ですたすた、早々と向かうのは入口のドア近くにある鏡台のもとであった。有無を()かぬまま、彼女は鏡台の椅子へと座る。


「風ですっかり髪が乱れてしまったわ。ブラシで整えてちょうだい」


 言いながら、背後にくっついてきたディオスに鏡台の上のブラシを手渡す。主からの唐突な注文に、ディオスは一瞬だけ身を固めたような素振りを見せるも――すぐに普段の調子を取り戻したか、「早くして」と急かす少女に促されるまま、その長い銀の髪のひと(ふさ)を黒袖の手ですくった。


 椅子に座った少女は、じっと鏡を見据(みす)えている。

 鏡のなかの少女もおなじように、黙って彼女のことを見つめていた。


 背中まで伸ばしたプラチナブロンドの髪、ぱっちり開いた青の瞳、後ろに控える漆黒の従者との明暗のコントラストから、彼女がまとう色彩は一層鮮烈である。


 今日はいつも着ている動きやすいエプロンドレスではなく、少々格式の高い衣裳を身につけていた。胸には陶器のブローチ――花と戯れる小鳥の意匠を施されていて、大層高価なものだからと壊さぬよう使用人から厳しく言づかっている。

 

 鏡に映る自分の姿を、仮におとぎ話に登場するお姫様のようだとうたっても、そう大げさな表現にはならないだろう。


 しかし、どんなに着飾ろうとも、しょせん子どもだ。

 誰かに庇護(ひご)されなければ生きていけない、か弱い存在であることに変わりない。


 それはディオスもおなじこと……わたしたちは、自分の運命すら選ぶことのできない星のもとに生まれついたのだ。


 鏡を見つめながら、少女は微動だにしない。

 ディオスも相変わらずの表情なしで、主に命じられたとおり、髪梳(かみす)きの仕事を黙々と続けていた。


 ふいに、少女は口を開く。

 真正面、鏡を覗いたまま――。


「鏡よ、鏡……どうか教えて。わたしはいったい、どこの誰なのかしら?」


 鏡に向かって問いかければ、後ろにいたディオスが抑揚(よくよう)のない声でこう答える。


「はい、あなたさまのお名前はフィオナ・ベルベット。ここ、貿易都市ドレシアを中心とした領地を治める、侯爵家のご令嬢でございます」


 鏡よ、鏡――これはおとぎ話に出てくる、魔法の呪文の一端(いったん)である。二人の子どもの定番の遊戯(ゆうぎ)だ。わたしが鏡に問いかけて、それを従者のディオスが答えるという、無邪気なごっこ遊びなのである。


 少女はまた呪文を口にして、質問を重ねていった。 

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