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エッセー拾遺 ― 文芸誌のコラムから  作者: 坂本梧朗
2010年代

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第87説 知人が貸与してくれた……

 知人が貸与してくれたシェンキェヴィッチ作の『クォ・ヴァディス』をようやく読み終えた。本が届けられてから二年近く、小説の執筆や私自身の目白押しの読書計画に追われて手にすることもなかった。ようやく区切りがついたので、気になっていたこの本を読み始めた。読了に一月ほどかかっただろうか。 吉上昭三訳・津田櫓冬画の上、下二冊(福音館書店 二〇〇四年刊)だ。「古典童話シリーズ」の中の二冊だが、上下合わせると千ページを越える。題名になっている「クォ・ヴァディス・ドミネ?」(主よ、いずこへ行きたもう)という言葉にはおぼろげながら記憶があった。

 読んでみて、私が最も興味を引かれたのはイエス刑死直後のキリスト教の在り様だった。この本にはローマ皇帝ネロの時代(在位五四~六八年)、キリスト教が奴隷を中心とする当時の抑圧された人々の間に広く浸透し始めた頃の様子が描かれている。イエスに直接師事したペテロやパウロも登場する。

 主人公ウィニキウスはリギ族の王女リギアに恋をするが、そのリギアがキリスト教徒であり、リギアに対する熱烈な恋情が彼をキリスト教に接近させ、遂にペテロによって洗礼を受けることになる。ウィニキウスが回心をしていく過程で、イエスの教え、イエスの神が、従来の教えやローマの諸神と全く異なったものであることが示される。ウィニキウスを始めとする登場人物の驚きや戸惑いがそれを印象深いものにする。私も読んでいて、イエスの教えの新しさを再認識する思いがした。イエスが説いた神が愛と赦しの神であることは知ってはいたが、それが当時においていかに驚きであり、衝撃的であったかが作品を通じて感取されるのだ。そしてその教えが人々の心にいかに平安と充足と活力を、つまり幸福をもたらすものであるかを叙述を通して知り得たように思った。なるほど人はこうして信仰に入っていくのだと思われた。

 イエスの言説は一種の精神革命であり、人類のものの考え方、価値観に一大変革を迫るものだった。それは宗教の枠を超えて人間の精神の在り様にゆさぶりをかける。改めて新約聖書を読み直してイエスの言説を吟味したい思いに駆られた。

 副主人公とも言える登場人物としてペトロニウスがいる。《趣味の審判者》と呼ばれる彼はネロの廷臣だが、彼の幸福観には近代合理主義の色彩が濃い。彼はウィニキウスにキリスト教への入信を進められるが、「性に合わない」と断る。その理由として「愛せよ」と言われても醜いものは愛せないと審美の人らしいことを述べる。「キリストが神々のうちでも最も誠実な神」と認めながらも彼はこれまでの自分の生き方を守る。このペトロニウスのキリスト教への対応も興味深い。           


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