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エッセー拾遺 ― 文芸誌のコラムから  作者: 坂本梧朗
2000年代

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93/110

第82説 ソルジェニーツィンを読んでいる。……


 ソルジェニーツィンを読んでいる。「イワン・デニーソヴィチの一日」から読み始め、「マトリョーナの家」「クレチェトフカ駅の出来事」「公共のためには」「胴巻のザハール」の諸短編を読み、「煉獄のなかで」「ガン病棟」と読んできた。現在は「収容所群島」を読んでいる。読み進めていくうちにソルジェニーツィンという作家の気質や志向がわかり、その魅力にひきこまれていく。

 この作家は偉人の部類に入る人なのかもしれない。ソビエト国家という巨悪に単身戦いを挑み、国家反逆罪で国外追放になりながら、ソビエト体制を告発する志を曲げず、対峙の中で、遂にソビエト国家は解体・崩壊するに至った。ソルジェニーツィンの意思がソビエト国家の崩壊を単純に目指すものであったとは言えないけれども。

 彼の作品の魅力はいろいろあるが、なんと言ってもその基底には十年以上に及ぶ彼の収容所体験がある。彼の描写は十九世紀ロシア文学のリアリズムの伝統を受け継ぎ、克明で生彩がある。その筆には共産党独裁権力の非人間的暴政への激しい怒りや抗議がこもっている。そしてその反面には人間への愛情、殊に同胞であるロシアの民衆への親愛感がみなぎっている。彼は苛酷な収容所生活を通じて人間観察を深め、独自の骨太いヒューマニズムを育てていったようだ。読んでいくと、人間への深い凝視と愛情が生み出した、すぐれた作家だけが表現できる印象的な文言に幾度か出会う。例えば、彼は一目でその人間が心を許せる人間かそうでないかを見分けることができたと書いている。そしてその判断は一度も誤らなかったという。収容所での厳しい生活ではこの種の観察眼は生き延びるために必須なものだが、また一流の作家なら必ず身につけている能力でもある。収容所という人権が踏み躙られた環境でも、人間はやはり人間であり、人間らしさを求め、また発揮するものであることを彼の文学は伝えてくれる。それは我々の心に力強い希望を与えるものだ。人は何によって生きるのか、人間の生活で大切なものは何なのか、そんなことをソルジェニーツィンの描く囚人たちは語りかけてくるのだ。

 彼の文学のモチーフは長編も短編もソ連社会の現実に根ざしている。この作家はロシアという国とそこに生きる人々の運命に常に注意を払い、自分の文学をそれと固く結びつけてきた。彼は正真正銘のロシアの国民作家である。それもやはり十九世紀のロシアの作家たちの伝統を引き継ぐものだろう。     


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