第80説 昨年十一月、甥が結婚した。……
昨年十一月、甥が結婚した。甥は消防局に勤め、救急救命士として救急車に乗務している。この甥は小学校に上がる頃から消防士になると言い、一貫して志を変えず、本当に消防士になった。その甥の結婚式に出席した。
披露宴が始まると、先ず新郎の上司がスピーチをした。この人は二人の結婚を祝う詩を書き、それを額装して贈っていた。その額は会場の入口近くに飾られていた。話の内容は幼い頃消防署を見学に訪れた新郎の思い出から始まった。就職後の新郎の勤務態度や性格を見て救急の方に進むことをこの人がアドバイスしたらしい。新郎との確かなつながりを感じさせる来賓で、形式的な人選ではないようだった。後が続くかと思ったが、挨拶の類はそれで終わりで宴が始まった。写真を編集して新郎・新婦それぞれの生い立ちから、二人の出会いまでを物語るDVDが上映された。それが終ると友人三人の新郎・新婦に対するインタビュー。スクリーンに写真を映しながら、その時の状況や心境を尋ねるのだ。三人は冗談・ギャグを交えながら訊くのである。答えにくい質問に困る二人に笑いが起きる。一時間ほどがこうして過ぎた。新郎・新婦が出会ったのはバイオリン教室。それを記念して二人の合奏が行われる。友人達による寸劇も行われたが、それも新郎・新婦を巻き込み、二人が中心になる内容だった。
私は披露宴の様変わりを感じていた。日本の結婚披露宴も変わったものだ、新郎・新婦が本当に主役になったと。そう思って見れば仲人がいない。正面のメインテーブルに座っているのは新郎・新婦だけだ。積年の希望がこれだけは実現したと私は感慨を覚えていた。私自身の結婚披露宴を思い出せば、延々と来賓の挨拶が続いたものだ。そのほとんどが親の関係で出席している人達で、市会議員など政治家が多かった。選挙目当てのスピーチが乾杯前に一時間も続いただろうか。畏まって聞かなければならず、足はしびれ、疲れ果ててしまった。その頃の結婚式の主役は親だった。
最も尊重されるべきは人間である。一人の人間である。すなわち、個人である。結婚式はそのような個人同士がそのかけがえのない人生を互いに結びつけることを決意したことを表明する厳粛な儀式だ。そのことを二人に縁のある人間が集って祝うのが披露宴なのだ。この本来の趣旨が日本にもようやく根付いてきたかと私はうれしかった。私が日本社会に望むことは他にもたくさんあるが、生きているうちに実現したのは今のところはこれだけだ。




