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エッセー拾遺 ― 文芸誌のコラムから  作者: 坂本梧朗
2000年代

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第76説 年越しを挟んで、萩原朔太郎の……

 年越しを挟んで、萩原朔太郎の『詩の原理』と『恋愛名歌集』を読んだ(いずれも新潮文庫)。朔太郎は詩だけでなく、評論の方でもなかなかの論客らしいという心象は抱いていたが、実際読んでみて、予想以上の優れた内容に驚いた。

 『詩の原理』については、これほど根本的に、かつ枢要な問題点を漏らさず、「詩」というものを考えた詩人がいただろうかという思いを抱いた。詩を内容と形式に分けて論じているのだが、内容論においては主観と客観、浪漫主義と現実主義、生活のための芸術と芸術のための芸術、表現と観照など、詩に限らず文学を考える場合まさに主論点となる項目が立てられており、それに対する朔太郎の誰の受け売りでもない独自の思索が展開されている。文章は明快で歯切れがよく、論のなかみも説得力があり、啓発されることが多々あった。特に、生活のための芸術と芸術のための芸術についての考え方は私の通俗的な理解とは異なっていて、参考になった。形式論においても韻文と散文、詩と非詩、描写と情象、情緒と権力感情など、核心的な問題について二項対立の形で項目が立てられ、鋭く新鮮な考察に教えられることは多かった。

 浪漫派から高踏派へ、そして象徴派から最近詩派へ、という西洋近代詩の流れの把握は「反動」という朔太郎独自の見方を導入して示唆深い。日本の詩は無韻素朴な自由詩から始まるという日本の詩史の把握も興深い。西洋人と比較して日本人は「気質的の絶対的な本性」に基づいてレアリストであり、デモクラットであるという指摘なども鋭く、なるほどと首肯される。

 戦前の日本においてこれほど透徹した西洋と自国の文化についての理解をもっていたことに一種の驚きを感じた。生涯定職を持たず、日本的社交圏から疎外されていたからこそ持てた捉われのない視野なのかも知れない。

 『恋愛名歌集』は『詩の原理』で述べた日本の詩史についての考えを、『万葉集』から『新古今集』までの実際の和歌に即して具体的に述べた形になっている。『万葉集』と『新古今集』を「日本の歌史を両断する二つの対蹠的芸術」と高く評価し、『古今集』を「両者の併立する谷の凹地にうずまっている」と一段低く位置づけているが、その理由も説得力がある。詩情の豊かさに基準を置く歌人の評価も興深い。詩を言葉で奏でる音楽とする朔太郎らしく、和歌を音律を重視して分析しているが、それは歌の未知な面を覗かせてくれた。

 朔太郎は実作と評論の両面で全精力を詩に捧げた人のようだ。日本の近代詩の完成者とされているが、確かに大きな仕事をしたと思う。誇るべき先達の一人だろう。

                                  














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