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エッセー拾遺 ― 文芸誌のコラムから  作者: 坂本梧朗
2000年代

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第77説 萩原朔太郎を機縁として……

 萩原朔太郎を機縁としてE・A・ポー、そしてボードレールを読むことになった。そのため、四巻まで読み進んでいた岩波文庫の『杜詩』はしばらく中断した。

 ポーは東京創元社発行の三巻の全集を読んだ。分厚く重い本を鞄に入れて、仕事の往き帰りの電車のなかで読んだ。小説は目ぼしいものだけを読むつもりだったが、結局8割近くを読み、詩は全てを読んだ。評論・書簡は3割ほどか。

 小説がやはり一番面白かった。人間の残酷さや暗い情念、抑制不能の自滅志向などへの傾斜、現代社会の嘲笑的戯画など、ポーという作家の特徴を味わった。19世紀という時代を反映した科学的探究への強い関心、探偵小説の開拓者らしい謎解きへの執心なども明確に表れていた。科学・技術への関心はランボーにも共通する。

 自作詩「大鴉」を材料にして詩作法を述べた「構成の原理」、そして「詩の原理」などの詩論には、詩は「美」を実現するために理知的に構成されるものという考えが表されていた。しかしポーの詩はあまり面白くなかった。

 ボードレールは『悪の花』と『パリの憂鬱』を読んだ。『パリの憂鬱』は2年前に出た新訳であり(渡辺邦彦訳)、『悪の花』は十年前の訳本(杉本秀太郎訳)だ。ボードレールの作品をまとめて読むのは初めてだが、面白かった。詩はポーよりもボードレールの方がコクがある。柔らかくて味わい深い。貧しい人々や老女へのシンパシーもあり、ヒューマンな感じがした。明確な神の否認、サタンへの近親が表されている。

 ボードレールには多くの美術評論があるようだが、それはまだ読んでいない。書簡は晩年のものを少し読んだ。

 彼はフランス詩の流れの上では韻文から散文詩への流れを開いた詩人と評価されているようだ。小説に代表される散文の興隆が、詩を韻文から散文の沃野へ解放していく時代だったようだ。彼の後、ランボーなどの自由詩も試みられるようになる。ボードレールは近代詩の出発点と言われるが、確かに彼の神の否認、そして「倦怠」や「憂鬱」には現代人にまで通うメンタリティーが感じられる。彼もポーに従い、詩の目指すべき価値を「美」とした。しかし彼の詩はポーより人間臭い。ポーの詩にはないグロテスクや悲惨もしっかり描きこんでいる。ちょうどポーの小説のように。そう言えばボードレールはポーの小説の殆どを訳したらしい。神なき時代に直面して、神の空席に「美」を置いて出発したフランス近代詩。さて現代の我々の詩作は何を目指して行われるべきであろうか。


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