第72説 授業で宮沢賢治の「なめとこやまの熊」を教材とする……
授業で宮沢賢治の「なめとこやまの熊」を教材とすることになったので、それを機に賢治の作品を集中的に読んだ。少し驚いたのは賢治が思っていた以上にたくさんの作品を書き残していること。詩では生前自費出版された『春と修羅』収載作品の他に、ノート稿、未定稿などを含めて四百編ほど、散文では未完成作、下書きなどを含めて百五十編を書いているという。
彼は農学校の教師を三年余り勤めてやめ、「羅須地人協会」を設けて農民の文化的啓蒙、稲作指導、肥料設計などを行ったが、それは収入をもたらす仕事ではなく、ボランティア活動というべきものだった。その協会も三年足らずで閉じられる。彼は経済的に自立していなかった。また、それにこだわらなかったようだ。彼の生家は質屋・古着商を営む、花巻でも屈指の富家であり、父親は町会議員を四期勤める地元の名士だった。経済的な自立にこだわる必要はなかったのかもしれない。しかし彼は父親と対立する。法華経に帰依し、父親に浄土真宗からの改宗を求めるが容れられなかった。家業を嫌ってもいたようだ。それで家出し、上京した。であれば経済的な自立を目指すべきだった。父親に命じられれば戻ってこざるを得ず、結局父親の監督圏内で生涯を終えた。経済的な自立がないことの帰結だ。
彼の体は「羅須地人協会」を閉じる頃から衰えだす。しかし、彼は体を労らない。風雨の中を農民のために奔走して肋膜炎に罹る。病気が一時癒えて、上京するが、発熱病臥すると死を決意し、父母近親に宛てて遺書を書く。ところが父の厳命で帰宅している。思想的要因もあろうが、死をさして抵抗なく受け入れる姿勢に彼の生存意欲の減退を見る。彼の晩年は身の養生など考えず農民の相談に応じ、死に向かって突進している感じがある。なるほど誰でもできることではない。しかし、私はそこに彼の生存への執着のなさを感じる。この世にさして生きていたくもない人間の献身をみるのだ。普通の人間は生存に執着するものだ。だから経済的自立にもこだわる。そこに葛藤苦悩があり、愛憎が生まれる。賢治の文学世界の「透明さ」はそんなことから切り離されたところで成立しているのではないか。
つい昨日、私は登山に出かけ、畑に張られた網に角を絡ませてもがいている鹿を見た。ガタンガタンと地面のトタン板を蹴りながら鹿は角を振り解こうと跳ねていた。四時間後、下山の時、またその鹿を見た。二人の男が角を網から外そうとしていた。しかし男たちが近づくと鹿は角を向けて突きかかってくる。必死なその目は切なかった。「なめとこやまの熊」には自ら約束した通り、猟師に命を投げ出す熊が描かれている。確かに賢治の理想の表現だが、その鹿の目を見て、絵空事だという感が強く起きた。ただ、賢治の場合、こんな読み方は不当なのかもしれない。彼は現実を描こうとしていたわけではないから。




