第67説 この夏、フィンセント‐ファン‐ゴッホの手紙を読んだ。……
この夏、フィンセント・ファン・ゴッホの手紙を読んだ。ゴッホは読書家で、ユゴーやゾラ、ゴンクール兄弟の小説などを愛読していたが、手紙を読むと彼自身が旺盛な優れた文筆家だったことがわかる。彼は絵を描くことと手紙を書くことを並行して行っており、この二つの営為によって彼の人生の最後の十年は埋め尽くされた。ゴッホにとって手紙は絵画とともに創造における車の両輪であり、人間ドキュメントとして絵画とは独立した価値をもっている。手紙を書くことで画業が進展し、絵を描くことが手紙を生み出すという相互的な関係はもちろんあったのだが。
私がゴッホに関心を抱いたのは、彼が生前には絵が売れず、自殺という悲劇的な結末を迎えたことと、現在、その絵一枚が数億円もするということとのギャップに感慨を覚えたからだ。ゴッホに触れることで人生の皮肉、芸術家の運命などについて何か分かるかも知れないと私は思った。
評伝によれば、死後十年を経た頃からゴッホの名は知られるようになり、一九一二年にはその名声は確立したという。(ディヴィッド・スウィートマン『ゴッホ 百年目の真実』)手紙からゴッホに近づいた私は、彼が有名になる引き金となったのは手紙ではないかと推測していたが、これは外れた。ゴッホの手紙が刊行されたのは一九一四年である。ゴッホ正しく絵の力で有名になったのだ。ただ、ゴッホを世に知らしめる上で最大の貢献をしたゴッホの弟テオの未亡人、ヨー・ファン・ゴッホ・ボンゲルを衝き動かす原動力となったのは夫テオに宛てたゴッホの手紙だった。
ゴッホは絶望の果てに自殺したと思っていたが、少し違うようだ。疲れ果てて死んだように思われる。彼は絶え間なく絵を描いていた。テオからの送金は画材に消えるので、飲食費は切り詰められていた。そして独身男の不摂生な生活。これらがゴッホの健康を急速に衰えさせた。それが体質的に受け継いでいた癇癪を発病させた。
画家を志してからのゴッホの精進ぶりは素晴らしい。天才とは努力する才能であることがよく分る。しかも彼は芸術至上主義の安易な道は取らず、彼の読書傾向からも推測されるように、一方の足を常に人生に置いていた。手紙はその証左だ。
彼は幸福であったと思う。自分のやりたいことに全ての時間を捧げられたのだから。生前に認められなかったのは確かに不運だったが、芸術家にとって評価は第二の問題である。金になる、ならぬも含めて。




