第62説 三菱自動車のリコール隠し
00年6月、運輸省(現在は国交省)に一本の匿名電話が入った。それは三菱自動車のリコール隠しを内部告発するものだった。翌月、運輸省は三菱自に対する特別監査を行う。その結果、98年4月以降の総数8万8千件に上るクレーム情報の内、3分の2にあたる6万4千件を運輸省に報告していなかったことがわかった。同社はクレーム情報を二重管理し、秘匿すべきものには「H」のマークを付けていた。自動車メーカーは使用者からクレームがあり、その原因が製造者側にある場合は、リコール(無償回収・修理)し、国交省に届け出なければならない。三菱自はクレーム制度が発足した69年からリコール隠しを始めていた。部長クラスが出席する「リコール検討会」でリコール回避を決め、使用者だけに通知して改修・修理する「指示改修」、つまりヤミ改修を行っていた。クレーム情報を隠すのは、運輸省に見せればリコールを届け出るように指示され、会社が多大な出費と企業イメージのダウンというデメリットを負うことになるからだ。三菱自は当時、社長がクレーム情報についての調査内容を記者会見して報告し、謝罪したのだが、この時なお同社製造車にある重大な欠陥を隠蔽していた。
その一つがハブ(車軸と車輪をつなぐ金属部品)の強度不足だ。同社製大型車のハブ破断事故は92年以降57件発生し、うち51件で車輪が脱落した。同社はその原因を一貫して「使用者側の整備不良」と説明し、ハブの欠陥を否定してきた。99年6月には過積載や整備不良が起きにくい高速バスでハブ破断による車輪脱落事故が起きた。この時も同社は運輸省に「同種苦情はなし」「多発性はないと思われ、処置は不要」と報告していた。こうして02年1月、横浜市で起きた母子死傷事故に至るのだ。同社製の大型トレーナーの車輪が脱落し、直撃された母親が死亡、二人の子供が負傷した。この事件では04年5月、三菱ふそう前会長ら7人が道路運送車両法違反(虚偽報告)で逮捕された。前会長らは事故直後、対策会議を数会開き、リコールなどの改善措置を求めた国交省に、摩耗が0.8ミリ以上のハブを交換すれば事故は防止でき、耐久性も確保できるという何の根拠もないうその報告をしていた。実はハブ破断は摩耗が0.75ミリ以下でも7件起きており、前会長らはその事実を把握していた。会議では0.5ミリを交換基準にすることに一旦決まったが、その基準では交換しなければならない車の台数が多すぎてコストがかかり、また、大規模な交換になれば国交省からリコールを迫られかねないという考慮から0.8ミリに上げたのだ。基準の摩耗量を下げれば下げるほど交換しなければならない車の台数は増える。0.8という数字は母子死傷事故を起こしたハブの摩耗量が0.9ミリだったため、「0.8ミリなら国を説得できる」と決めたものだった。ハブの欠陥を三菱ふそうトラック・バスが認め、リコールを届け出たのは04年3月だった。
もう一つの欠陥はクラッチを格納する「クラッチハウジング」の強度不足だ。これによってブレーキなどが破損したり、車両火災が起きたりする。三菱自は96年5月、この問題で検討会を開いた。この時会議では37件に上る破損の事案や、破損を原因とする人身事故や車両火災がすでに起きていることが報告されていた。欠陥を放置すれば今後8、9年の間に同種の事故が40件前後起きるという予測まで報告されていた。にもかかわらず会議はリコールを避け、ヤミ改修の実施を決めた。00年にリコール隠しが発覚してからはそのヤミ改修さえ行わず、欠陥を放置していた。02年10月、山口県内で、クラッチ系統の破損によって制動を失った冷蔵車が暴走し、建物に激突、運転手が死亡する事故が起きた。しかし同社はその後も欠陥の隠蔽を続けた。そのため実際は被害者である運転手(死亡)は原因不特定のまま道交法違反容疑で書類送検された。この欠陥が品質統括部の一社員の告白によって公表されたのは04年5月だった。そして同年6月、三菱自元社長ら6人が業務上過失致死容疑で逮捕された。この元社長は00年の発覚時に記者会見して謝罪した人物だった。
三菱自の事件は二つのことを我々に考えさせる。
一つは資本主義という経済制度の本性であり、限界である。マルクスは資本主義経済の「推進的動機」「規定的目的」を利潤と喝破した。この経済制度では利潤、つまりモウケが経済活動の出発点であり、終着点なのだ。人間の幸福や社会生活の快適、調和などは宣伝文句には使っても所詮それ以上のものではない。三菱自の行動の根底にはもうけの前にはすべてが霞んでしまう資本主義的企業の本性が存在している。
もう一つはこうした企業の無法に対する社会的規制の甘さである。三菱自の行動は母子死傷事故の遺族の言葉の通り、「会社ぐるみの殺人」である。このような殺人企業が現在も営業を続けている。「走る凶器」を社会に垂れ流して平然としているような企業の存在を許していいのだろうか。営業停止の措置がとられて然るべきだろう。日本ほど企業の利潤追求に寛大な国はない。ヨーロッパではリストラは規制され、勝手な人員削減はできない。企業の税負担も重い。日本ではリストラは野放し、法人税は減税が続いている。まさに企業天国だ。企業と政治の癒着、無力化された労組に象徴される国民の抵抗の弱さなどが原因として考えられる。




