第61説 日本国憲法第十三条に、印象的な言葉がある。……
日本国憲法第十三条に、印象的な言葉がある。「すべて国民は、個人として尊重される。」 これが民主主義の原点だ。個人がどれだけ尊重されているかで、その社会の民主主義の成熟度が測られる。憲法が施行されて六十年近い歳月が経った。現在の日本社会で国民は個人としてどれだけ尊重されているだろうか、という思いに誘われる。
思えば日本人は「個人の尊重」という人類史における重大課題をこの憲法によって負わされたのだ。敗戦前の日本社会には「個人」の観念は甚だ微弱だった。ほんの一握りの文学者や社会活動家が自覚していたに過ぎない。それも軍国主義ファシズムの暴圧によって逼塞させられ、社会の公的生活は「国家」「天皇」の一色で塗りつぶされていた。敗戦によって、この日本国憲法によって、日本国民は初めて「個人」や「基本的人権」という観念に出会ったと言える。個人の尊重や基本的人権の不可侵は憲法の前文にあるように「人類普遍の原理」であり、人類史が達成すべき「崇高な理想」であった。
日本国憲法の草案はGHQの民生局の二十四名の委員によって起草された。以下、GHQに関する記述及び引用は、ジョン・ダワーの『敗北を抱き締めて』による。起草委員たちはマッカーサーが指示した三大原則、ポツダム宣言、国連の創設に関連して発表された諸原則、さらに民間の諸団体や個人が発行したさまざまな憲法草案にも注意を払いながら作業を進めた。人権に関する小委員会に配属されたユダヤ系女性ベアテ・シロタは六歳から十五歳まで日本に滞在していた。彼女は日本の女性が法律上も結婚生活においても抑圧されていることをよく知り、思想警察が定期的に彼女の両親の家を訪れ、使用人や料理人から情報を収集している様子も目にしていた。明治憲法下での個人の自由への侵害を肌身で感じていた彼女は、「より抑圧の少ない社会を創造する手助けをしているのだと強く信じて」起草作業を行った。彼女の態度は他の委員たちの間にも見られた典型的な態度だった。彼らは「彼らが後に『ヒューマニズム』の精神と呼んだ、理想主義的な精神ーつまり、抑圧を取り除き、民主主義を制度化するために自分たちは特別な任務についているのだという共通の感覚」をもって作業を進めた。この精神によって、日本国憲法の人権保障条項は「世界で最もリベラルな人権保障規定であったし、現在でもそうあり続けている」。
憲法の第十二条には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」とある。憲法に書いてあっても、権利の主体が常にその権利を行使し、その侵害には抗議の声をあげなければ、権利は現実のものとはならないのだ。この点で日本人はどうであったろうか。戦争の甚大な惨禍を代償に手にした自由と権利に対してそれに相応しい自覚を持っていただろうか。私もそうだが無自覚的に過ごしてきたように思える。憲法を生活の中に生かし、血肉化していく努力を我々は今からでも始めるべきではないのか。改憲の声が高まりつつある今日、もはや遅すぎるか。いや、「人類普遍の原理」に遅すぎるということはない。




