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エッセー拾遺 ― 文芸誌のコラムから  作者: 坂本梧朗
2000年代

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第48説 見果てぬ夢

 社会の進歩を考える場合、私は普通の一個人がどれだけ尊重されるようになったかを尺度とするのが適当と考えている。もっと端的に言えば、その社会に生きている個々人の幸福感をこそ尺度とすべきなのだが、幸福感では主観的になるので、その基本的条件であり、前提でもある個人の尊重を尺度とするのが適当と考えるのだ。個人の尊重の度合いを測る客観的基準としては基本的人権がある。それがどの程度尊重され守られているかによってその社会の質は評価できる。

 基本的人権という視点から振り返ると、二十世紀は巨大な進歩を印した世紀だった。一七・一八世紀の欧米の市民革命によって確立した基本的人権は自由権を内容とするものだったが、二十世紀に入ると、生存権、労働権、教育権など、いわゆる社会権と呼ばれるものが加わった。これは資本主義の発展による富の偏在、労働者の貧困などの現実をリアルに見て、基本的人権に社会的裏付けを与えようとするものだった。金力も権力もない一般大衆の基本的人権は条文に書いただけでは保障されないのだ。更に最近は環境権なども人権のなかに加えられようとしている。基本的人権の一つである参政権も二十世紀に大きく伸長した。男子に関しては一九世紀の中頃から普通選挙を実施する国が現れ始めたが、二十世紀に入り、第一次大戦後に一般化した。女子の参政権は二十世紀に入る頃からポツポツと各国で認められ始め、第二次大戦後には一般的になった。参政権に限らず女性の権利の拡大は二十世紀の目覚ましい出来事の一つだ。国連の決議を追うだけでも「婦人参政権条約」(53年)「婦人差別撤廃宣言」(67年)「女性差別撤廃条約」(79年)「女性への暴力撤廃宣言」(93年)などがある。また、子供や障害者の基本的人権の保障も二十世紀になって進展した。女性や子供、障害者など社会的に弱い立場にある者の基本的人権がより具体的に定められるようになったことは個人の尊重という観点に立つ時大きな進歩と言える。

 しかし基本的人権の項目が充実し、さまざまな宣言や条約が採択されることがそのまま個人の尊重の前進を意味するわけではない。逆にそれは基本的人権が侵害される部面、程度が増大したことの反映とも言えるのだ。実際我が国の現状を見ても、リストラ・失業、あるいはいじめによる自殺や青少年の凶悪犯罪が多発しており、とても人間が尊重される社会になってきたとは思われず、むしろその逆が実感だ。母親が子供を殺したり、子供が母親を殺すなどの事件は、我々の社会がいかに非人間的になっているかを象徴的に示すものだ。なぜこのようなことになるのか。

 その原因を考えていくと、根本的には我々の生きている社会が資本主義社会であるという現実に打ち当る。資本主義社会はどんな美辞麗句で飾っても利潤を目的に経済活動が行われている社会である。この社会では人間に必要なものは商品として生産されているが、商品生産者の最大の目的はそれが売れること、つまり貨幣に変ることだ。それで始めて利潤が実現できるのだ。その商品が本当に人間生活に役立ち、人間の幸福に寄与するかどうかの考慮は二の次になる。とにかく売らんがためにコマーシャルに金をかける。テレビや新聞で毎日流されている情報の半分近くはコマーシャルだ。購買欲を駆り立てるのが目的だから、刺激的感覚的で誇張の多いものとなる。中には平然と虚偽を伝えるものもある。こうしたコマーシャルの氾濫がこの社会の特徴だ。それが文化の質や方向にも多大の影響を与えている。商品自体も見た目ばかりを重視し、実際使ってみると有害な欠陥を持っていたということもよくあることだ。経済活動が人間の方を向いて行われていないところにこの社会が非人間化していく基礎がある。また資本主義社会では利潤追求の競争が激しく展開される。コストダウンのための低賃金、長時間労働、首切り、「合理化」が強行される。また大資本は継続して大きな利潤を得られる投資環境の維持・創出のために政治家や役人を買収し癒着する。利潤追求のためには生活環境や生態系などへの顧慮もなく次々に自然を破壊する。しかも資本主義の発展はますます社会の一部の者に富を集中し、大多数の人々の生活状況を悪化させる。これらはすべて現在の日本社会に表れていることだ。

 利潤至上の資本主義社会では人間はそのための道具でしかない。人間尊重を社会進歩の尺度とする時、資本主義は社会進歩への桎梏となる。

 こうした資本主義経済の本質と限界を一九世紀後半においていち早く解明したのがマルクスだった。彼は資本主義を乗り越えた社会ー社会主義社会を展望したが、それは二十世紀に入って起きたロシア革命によって実現の第一歩を印したかに見えた。しかし結局実現したのは国民の基本的人権を否定し、収容所に送りこんで強制労働させる恐るべき独裁国家だった。独裁国家はマルクス主義を標榜し続けたが、マルクスにとっては迷惑な話だったろう。マルクス主義には民主主義の否定や一党独裁を肯定する理論はないのだから。その独裁国家は十年前に消滅した。社会主義や共産主義の理念やイメージを独裁国家が体現するような時代が終ったことはよいことだ。人間が目的として尊重される社会を望む時、資本主義は否定されなければならない。その後にくる社会はやはり社会主義と呼ばれる社会だろうが、それはまだ地上には実現したことのない社会だ。マルクスが述べたように社会主義はやはり資本主義の十分な発展の後に到来すべきもののようだ。それは資本主義の矛盾の止揚として成立する社会であり、人間の自由と尊厳を回復し拡大する社会である。二十一世紀はそのような社会主義が実現する時代だ。でなければ人類は資本主義とともに滅びるだろう。発達した資本主義国に起きる社会主義的変革、それが私の見果てぬ夢だ。
















 

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