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エッセー拾遺 ― 文芸誌のコラムから  作者: 坂本梧朗
2000年代

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第45説 『中野重治詩集』寸感

 『中野重治詩集』を読んで、いいなと思う作品は初期に集中している。その発刊が中野の詩活動の開始と目される雑誌『裸像』に発表された作品には味わい深いものが多い。中野の詩の本質である抒情性がたっぷりと吐露されている詩編群だ。彼の暖かく柔らかな感性がそのまま流れ出てきて成ったという作品が並んでいる。プリミティブでナイーブな情感が全編に流れている。

 それが後期になると変化してくる。それまでの流露する抒情性が削げ落ちてくるのだ。人生経験を重ねるうちに始原的でナイーブな情感が失われていくのは不可避だが、中野の場合は意識的にそれを行ったのだ。その原因はプロレタリア文学運動への参加だった。

 中野は大正一五年(昭和元年)に日本プロレタリア芸術連盟(プロ芸)に参加したが、同年に創刊した同人雑誌『驢馬』に「歌」という作品を発表した。その中で、「おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな/風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな」と、それまでの彼の詩の本質を成してきた抒情性を否定する宣言を行った。これは中野の資質を考えれば詩人としての自殺宣言にも等しいと思われるが、やはりその後の作品には良いものが少ない。これも有名な「夜明け前のさよなら」「雨の降る品川駅」くらいだ。この二つの作品はプロレタリア詩的な題材を扱いながら、全体に中野本来の抒情が復活し、流れている。

 なぜ中野は抒情性を否定する方向をとったのか。それはやはり詩の革新を目指したからだ。この時期の青年をとらえたプロレタリア革命の理想は、旧来の社会を根底から変革し、人類に未曾有の新社会をもたらすものだった。それは政治的変革にとどまらず文化的改革、更にその運動に加わる者には人間的変革をも求めた。詩も詩人も旧来の殻を脱して新たなものとなる必要があった。政治活動や労働運動が激しい弾圧化に置かれていた当時、プロレタリア革命運動の戦線のなかで文化戦線が突出した形になっていた。中野のこの急激な方向転換の背景にはこのような状況に置かれた彼の切迫した前衛意識がある。強権によって外への広がりを抑止された運動は内向の度合いを強め、表現者達は自己変革の課題を性急に観念的に迫られていた。旧来の抒情性の否定こそ中野の自己変革であり、同時に詩の革新だった。

 詩において感性の自然な流露は本質的な契機の一つだ。中野重治は抒情性の否定ということで自らの感性の流動に封をしてしまったのではないか。現代詩における抒情の問題についてはこの後も議論が続くのだが、抒情性を感性の豊かな流露と考えるなら、それは否定さるべきものではないだろう

 中野重治の詩の変化をたどって詩における抒情、つまり感性の自由な流動の大切さを再認識した。詩はやはり余裕を持って、心を伸びやかにして、書くべきものだと改めて思ったことだ。


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