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エッセー拾遺 ― 文芸誌のコラムから  作者: 坂本梧朗
1990年代

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第42説 「十五年戦争」は終わっていない

 一九三一年(昭和六年)の「満州事変」を起点とする、いわゆる「十五年戦争」が無条件降伏という結末で終わってから今年で五十三年になる。半世紀以上の時間が経ったわけだが、この国ではあの戦争は決して終わっていないというのが私の実感だ。

 戦争が終わっていないというのは、戦死や被爆など戦争によって災禍を被った人々の傷手が現在も生々しいということはもちろんだが、私がここで述べたいと思うのは、言わば被害の側ではなく、加害の側の問題についてだ。あの戦争を引き起こし、推進した勢力が現在も日本の現実を規定する力を持って生き続けているということだ。

 戦後、「大日本帝国憲法」が廃止され、国民主権を明記した新憲法が発布されたことを始めとする諸改革が行われたが、一九四五年の敗戦は戦前の日本社会との訣別とはならなかった。それを各分野で見ていこう。

 先ず政治の分野では戦後一貫して保守党による政治が行われてきた。戦後間もなくと最近、社会党首班の内閣があったが保守政治という政治の実質に何の変化もなかった。 政権を担ってきた自民党に代表される政治勢力は「十五年戦争」を推進した政治勢力の後身だ。A級戦犯に指定された人物がこの党の内閣の首相を勤めていたという事実がそれを端的に証明している。「十五年戦争」が日本帝国主義による侵略戦争であったという明白な事実をこの党が組織する歴代の政府は決して認めようとはしなかった。むしろ戦前の彼等の先輩達と同じ論理で戦争を正当化しようとしてきた。世界の世論や常識に反する考え方が政府によって国民向けに執拗に宣伝され続けてきた。この政府は政治の根本に置くべき憲法に対して常に否定的だった。尊重するどころか、折りあらば変えてしまおうと常に画策してきた。この政治勢力の戦前への郷愁は「大日本帝国憲法」の復活を常に意欲させるのだ。自民党が政権を担い続けてきたために、「十五年戦争」に対する正当な国民的総括は妨げられ続けて現在に至っている。    

 経済の分野では、戦後、侵略政策の陰の推進者であった財閥が解体されたが、その後アメリカの援助や朝鮮戦争などによって、旧財閥系企業集団は急速に復活した。それらは現在では近代的なコンツェルンを形成し、日本の独占資本の中軸となっている。独占資本は保守政治と癒着し、アメリカに追随しながら、多国籍企業化を図り、その海外進出への衝動は新たな戦争準備の推進力となっている。

 思想・文化の分野ではどうか。戦前は社会主義・共産主義の思想はもちろん、あらゆる民主主義的、自由主義的思想が弾圧された。そして天皇制ファシズムを支える皇国思想が強制された。それは教育、学問、芸術、報道、芸能など、人間の意識活動に関係するあらゆる分野に及んだ。戦後、思想統制は崩れた。活発になった労働運動を基盤にして、民主主義思想が戦前よりも深く広く普及した。社会主義・共産主義の思想も政党の活動などを軸として影響力を広げた。

 しかし皇国思想に代表される反民主主義の思想が消滅したわけではない。むしろ依然として強い力をこの分野の各部門に保持している。戦前の思想統制・思想強制の産物であった組織は表面的には消えたが、人的にも、構造的にも各分野に残され、再生されているからだ。

 日本のマスコミは戦前は軍国主義の宣伝機関だったし、無条件降伏の瞬間まで虚偽を混じえて国民を戦争に駆り立てる報道を続けていたが、戦後はその事についての明確な自己批判も釈明もなく、突然、「民主主義」を標榜して再出発した。しかし国民の側に立つより、権力への迎合に傾きやすいその体質は戦後も一貫している。国民の民意の議会への反映を歪める小選挙区制の導入時にもマスコミはむしろ賛成の立場に立ったし、昭和天皇の死去に際しては「崩御」という表現を用いたことが象徴するように主権在民の現憲法下とは思われないような報道ぶりだった。

 「十五年戦争」を正当化する昨今の「自由主義史観」の出現は学会、思想界、出版界にこの潮流がいかに大きな勢力をもっているかを示した。

 文学の分野で言えば、戦前、文学報国会に大半の文学者が参加し、その多くが反省もなしに戦後の文壇に大きな地位を占めたという事実が戦前との継続性を語っている。文壇に流れる反民主主義の思潮の根はこの意味でも深いのだ。芥川賞、直木賞の勧進元である文芸春秋社や、文学書出版の大手である新潮社などは、戦前は積極的に軍国主義発揚、戦争協力の立場に立った出版社であり、現在の立場も右寄りである。

 こうして、あの戦争を推進した勢力が政治、経済、思想文化の各分野で現在も大きな力を有しているのが日本の現実だ。改めて感じられるのは膨大な人命、財貨の消失を経ての敗戦という惨烈な歴史的体験をしながら、戦争に対する真摯な総括もなにもなく、表面的な看板の掛け換えだけで旧勢力が各分野でそのまま存続したことである。こういう状態が続く限り、あの戦争が孕む問題は過去のものとはならない。それは今後も再現しうる問題だからだ。なぜ戦争が起きたのか、どのようにそれは進行したのか。その究明は現在が抱えている問題と繋がっているはずだ。「十五年戦争」が孕む問題を一つ一つ明らかにし、それが現在と結び合うところでその克服をめざすなかで、日本社会の真の再生は始まるだろう。


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