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エッセー拾遺 ― 文芸誌のコラムから  作者: 坂本梧朗
1990年代

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第41説 戦後の日本を規定してきた……

 戦後の日本を規定してきた政治的経済的枠組みが制度疲労とも言える綻びを見せ始めている現在、教育もまた新たな変化を求められている。

 端的に言えば、受験本位の偏差値教育から教育はそろそろ脱却すべき時に来ていると思う。

 有名大学合格を至上の目的として追求する受験教育がどれだけ教育を歪ませてきたことか。

 有名大学合格のためにはその前提として有名高校合格が必要となり、さらにそのためには有名中学合格と、受験戦線は際限もなくエスカレートし、果ては有名幼稚園への入園に親が狂奔する地域も少なくないというご時世だ。小学生の塾通いは常識で、塾帰りや途中、コンビニに屯する小学生が万引き事件などを起こすことも多いという。

 学校では受験に即応するための詰め込み教育が行われ、できる子、できない子の選別が小学校低学年から始まっている。「できない子」はこの時期から落ちこぼれとして処遇されるのだ。

 そもそもそれは何か、なぜそうなるのか、というような知的探求を省いて、出来合いの固定された結論だけを押しつける詰め込み教育は、物事を自主的に考える習慣や能力を子供達から奪ってしまう。また知識偏重の教育は人間を評価する基準を一面化し、成績の良し悪しだけで人間の優劣まで決めてしまう風潮を教師と生徒の間に広げる。偏差値による輪切りは人間の間の差別、序列を当然なものと子供達に意識させ、序列の低い者は、例えばいじめてもいいという観念を育む。    

 さらに受験本位の偏差値教育が子供達に強いる過当競争は、互いを競争相手、蹴落とすべき敵と認識させ、人間間の自然な交流によって培われる人間的な情操の発達を阻害していく。現在の子供達は友達と真に交わることが非常に困難な状況に置かれている。友達の代りをファミコンやテレビゲームなど金のかかる機械が務めている。

 いじめ、自殺、殺人など、今日の子供達の世界の荒廃は、放置すれば日本の将来が危ぶまれる程のものになっているが、その背景に受験本位の偏差値教育が重大な要因としてあるのは明白だ。

 なぜ大学合格などということが教育の目的になっているのか。人間を育てるという教育本来の目的にいつまでも立ち返ることができないのはなぜなのか。

 東大を出た政、官、財界のエリート達の人生の実態が、我が子の尻を幼少時から鞭打って追求しなければならないほどの素晴らしいものなのか。国民もそろそろ頭を冷やして考える時期だろう。


              




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