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エッセー拾遺 ― 文芸誌のコラムから  作者: 坂本梧朗
1990年代

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第40説 文学作品の評価について

 人間の意識は客観的世界を反映する。だが鏡のように反映するのではなくて、その人の主体性を通して反映する。主体性を形成するものはその人の経験、知識、性格、思想などであるが、最も規定的に作用するのはその人の社会的な位置だ。分かりやすく言えば、その人が社会の中でどのような仕方で生活の資を得ているかということだ。社会的存在の仕方がその人の意識を規定する。そういう意味で意識とは極めて実践的なものだ。

 文学作品は人間の意識の所産だ。従ってそれは客観的世界を反映する。

 当然のことだが、文学作品が創られる以前に意識は言葉に翻訳されていた。意識は言語化されることによって、己を対自化し、より明確・精緻なものになっていく。言葉は意識を表出するが、文学作品における言葉の遣われ方は意識内容の直接的表出ではない。それは作者をとらえている意識をそのまま伝えるのではなく、むしろ読者自身に同じような意識をもう一度形成させようとして遣われる。そこでは言葉は読者に一つの経験を迫るものとして、つまり読者に一つの「現実」を提示するために用いられるのだ。文学作品は読者にとって一つの「現実」=「客観的世界」でなければならない。読者はそれを読むことでその「客観的世界」に触れ、その反映としての意識を形成することになる。ここに文学的伝達の特質がある。

 読者にとっていわば二次的な現実となる文学作品も、実際の現実世界の作者の意識を通した反映である。それをまた読者の意識が主体的に反映することになるのだ。

 詩の場合、この言葉によって創り出される二次的な現実にあたるものがイメージだろう。イメージとは読者の意識に具象的事物を喚起するものだ。イメージは視覚的なものに限らない。人間の感覚全てがその形成に参与する。鮮明で内容豊かなイメージを造型するには、描こうとする対象に対して、先ず作者自身が的確な本質把握をすることが肝要だろう。

 文学作品が作者の意識を通した現実の反映であり、また、意識(認識)の直接的表出ではなく、言葉を用いて創り出された二次的な現実であるとすれば、作品の評価はどうあるべきなのか。

 評価の要点は二つあることになろう。一つは現実の反映であるということに関して、その反映内容の当否の判定であり、もう一つは二次的な現実の創造ということに関して、作品世界のリアリティー如何と言う事だ。第一の点は作品が現実を適正に反映しているかどうかということで、基本的には作者の現実認識と実際の現実とのずれの程度が問われることになる。第二の点は作品世界の現実性の度合いを評価するもので、リアリティーが稀薄であれば作品は読者にとって二次的な現実とはなりえず、文学作品としての享受は成立しないことになる。

 文学作品の評価は主観的、恣意的で構わないという風潮があるが、現実という基軸を置くことで客観的な評価が可能であることを言っておきたい。






   

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