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エッセー拾遺 ― 文芸誌のコラムから  作者: 坂本梧朗
1990年代

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第37説 散髪の記

 散髪は三カ月に一度くらいにしている。行けば極力短く切ってもらう。次の散髪までの時間を出来るだけ長くするためだ。散髪代を節約したいというのが、意識の上では一番大きな理由だが、散髪があまり好きではないのかも知れない。なしで済むものならそうしたい、という気持ちがある。やはり面倒なのだ。何が面倒かと言うと、私の場合、床屋とのやり取りだ。これにどうも神経を使う。目を瞑って、ずっと黙っていていいと言うのなら気楽だが、そうも行かない。何か話さなければいけないような気がするし、話したいことも浮かんでくる。話しかけるタイミングを窺ったり、訊こうとすることへの相手の反応を予想したり、相手の言葉でこちらも話す内容を変えたりする。そんなことで気疲れしてしまう。また、散髪中の床屋とはなぜか目が合わせにくい。目を開ければ、正面の鏡には自分の姿とともに、鋏を動かす床屋の顔も映っている。これがなぜか眩しい。見てはいけないようなタブー意識が働く。それで自分の顔さえ見辛い。一種の神経症なのだろうが厄介だ。一番望ましいのは、こちらが聞いていようがいまいが、バックミュージックのようにしゃべり続ける床屋だろう。これなら気を使わなくて済むような気がする。

 馴染みの床屋をつくれば、こういう気苦労も緩和されるのだろうが、私がまた心定まらぬところのある男で、未だに定着した理髪店を持たない。腕もサービスもいい床屋があったのだが、待ち時間の長さに音を上げて、行くのをやめてしまった。引っ越したこともその店から離れてしまった原因だ。料金の安さだけに着目して店を変えたこともある。一度変えると、元の店には戻りにくくなるものだ。

 すっかり馴染んで、床屋との話しに花を咲かせている客を見ると、羨ましい気がする。そうなれば確かに床屋の椅子の上は、この人生のおける数少ない憩いの場所だろうから。



  

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