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エッセー拾遺 ― 文芸誌のコラムから  作者: 坂本梧朗
1990年代

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第30説 真実は文学的価値である

 私は文学に社会性を強く求める。社会性とは、人間が社会的存在であり、社会の中で他者との何らかの関係において生存しているという素朴な事実に立脚するものだ。文学はこの事実を受身ではなく積極的に反映すべきだと私は思っている。

 社会性を強調するとき、その対極に個人性を置き、社会性とは非個人性ととらえる向きがある。社会的なテーマを扱った作品が往々にして個的な内面の掘り下げを欠き、批判を招く所以だ。個人性と社会性は矛盾するものなのか。私はそうは思わない。なぜなら我々の生活の現実は両者の融合としてあるからだ。作者主体がこの現実をまともに見据える目を持っているならば、両者を兼ね備えた、と言うより、社会的な広がりが個的な奥行きを生み出し、個的な掘り下げの深さが社会性を喚起するような作品が生まれてくるはずだ。

 それでは現実をまともに見据える目とは何かというと、それは真実を追究する目だと言うほかはない。真実であろうとする作品は社会性をもたざるを得ず、同時に個的なリアリティーをも追求せざるを得ない。真実性が社会性と個人性を繋ぐ環となるのだ。真実性に裏打ちされた社会性と個人性、これに表現の巧みさが加われば私の理想とする文学となる。表現の巧みさとは真実を感動とともに読者に伝える技術だ。だから表現は当然伝えるべき真実の規制を受けることになる。従ってこの四者の有機的連関の中では、真実性がその核となって他の三者を統括する関係にあると言える。

 従来、芸術性の評価の基準をあまりにも表現にのみ置き過ぎていたきらいがある。少なくとも文学においてはその芸術的価値は、真実性を核とする前述の三者の統合にあると私は思う。

 

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