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エッセー拾遺 ― 文芸誌のコラムから  作者: 坂本梧朗
1990年代

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第25説 最近、過労死に関する……

 最近、過労死に関する本を続けて四、五冊読んだ。この日本特有の現象には日本社会の歪みが凝縮されて表れていると思う。その最後に読んだ暉峻淑子(てるおかいつこ)著「豊かさとはなにか」(岩波新書)は日本社会の病相を衝いて印象深いものだった。日本人は敗戦の虚脱と荒廃の中から「豊かさ」を目指して立ち上がった。日本人にとって「豊かさ」とはまず物の豊かさとしてあった。そして日本人の勤勉と努力は数十年で日本を一人当たりのGNPでは世界一の地位に押し上げた。それなのに日本人の生活は依然として豊かさからは遠い。「ウサギ小屋」「鳥かご」と呼ばれる狭小な住居、高くて職場の近くには家が持てない地価、そのための長時間通勤、高物価、老後の不安、サービス残業が当たり前の長時間労働、そして過労死etc。日本は欧米に比べれはまだ貧しいから、という弁明がもはや成り立たなくなっているのにである。     

 この本の中で特に印象的だったのは西ドイツとの比較だった。西ドイツは日本と同じように第二次大戦で敗れ、その後経済的に急成長した国だが、その社会は日本とは大きく異なっているようである。例を上げれば、土地・住宅の安さ(土地は商品とは見られていない。住居は人格の一部と考えられている。)、自然との共生(森や湖が日常生活の中で楽しめる距離にある。)、労働時間の短さ(既に週35時間労働を実現している。)、手厚い老後保障(例えば老人ホームは公的なものでも個室性が普通。個室には寝室、居間、風呂、台所などがついている。)といった具合である。同じ資本主義国でもこんなに違うものかと思わせられる。他のヨーロッパ諸国との比較によっても、日本がいかに「特殊な国」であるかが浮き彫りになっている。

 過労死の事例を読んでいて痛感するのは、資本の論理は人間生活の論理ではないということだ。日本ほど効率を競う資本(企業)の論理が社会生活の全面に浸透している国はないように思える。これを転換しない限り、日本は豊かな社会にはなれないだろう。

 「岩礁」80号の特集、「詩の時代性」の基調報告で、中久喜同人が「生きた言葉はまさに時代的状況の中の社会的現実の中で発せられた言葉しかない」と述べているが共感を覚える。「岩礁」の同人諸賢が、自らがその中で生を営んでいるこの社会の現実に広く目を向け、そこから詩作の新たなエネルギーを汲み取ってこられることを期待したい。

               



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