同上 の2
講師の平井信義(児童文学研究会々長)、五十嵐正人(「じゃがいも天国」主宰)、石井和彦(大倉山高校教諭)の三氏の話はそれぞれに興味深く、示唆されるところが多かったが、特に石井氏との出会いは収穫だった。
石井氏は東急資本の経営する高校現場で、管理主義と身をもって闘ってきた教師である。氏の経歴に触れれば、暴力、喫煙、飲酒で荒れる生徒、縁故入学が六割を越え、教師は低賃金の上、定まった給与の号俸もなく、昇給は事務局長のお手盛りで決るような学校を建て直すことから氏の実践は始まった。 氏は生徒の非行に対しては、それまでの自白と処分による取り締まりに代えて、強力な生徒会づくりによる自主規律の確立を目指した。教員に関しては身分保証と給与の大幅アップのために禁じられていた組合づくりを進めた。
八年間の心血を注いだ努力によって、学校(武蔵工業大学付属中学・高校)から非行は消え、組合準備会員も職場の半数近くに達し、給与も同一法人内の組合のある東横学園を引き離して改善された。学校は入学競争率十七倍半といういわゆる「有名校」扱いされる学校に変ったのである。
しかし経営者は非公然組合の存在に気づき、中心人物であった石井氏を東横学園大倉山高校(女子高校)に配転した。準備会はこれを機に公然と教員組合を結成するとともに、石井氏不当配転を提訴した。配転させられた石井氏は早速組合の執行委員となり、さらに副委員長、委員長となって、短大から幼稚園まで七校を駆け巡り、有名無実であった東横学園の組合を再建していった。そして武蔵工大中高組合と合併して連合体を作り、さらに武蔵工大にも組合を作り、強力な東急自動車学校労組も加えて「五島育英会教職員組合連合」を組織、その委員長となった。こうして十一年間、東急資本を相手に、「殺す」という脅迫を含めて十に余る裁判や労働委救済申し立てに悉く勝利していくのである。
外観的に強大化した組合は、海外研修制度、住宅資金貸付制度、週一日研究日、ホームルームを含めて最大限週十八時間以内の授業持ち時間、一クラス四十名以下、給与の大幅アップ(アップ率が都内でトップクラスを続け、五年間で給与は二倍を超える)などの成果を勝ち取っていく。職場では石井氏は生徒会顧問となり、自主的で活発な生徒会を育てることに力を注ぎ、他校の生徒会が見学に来たり、入試では数人に一人が志望理由として生徒会活動の活発さを挙げるまでになる。しかし、結論から言えば、石井氏の実践には大きな空洞があったのだった。




