第13説 ニイルとユング
最近、ユング心理学とA‐S‐ニイルの著作の幾つかを読んだ。どちらも一部を読んだところで、全貌を摑んだわけではないが、今の時点で思うところを少し書いておきたい。
ユングはスイス生まれの心理学者で、わが国ではその学説の内容はともかく、名前はよく知られている。私が読んだのは主として河合隼雄氏の著書であり、ユング自身の著作はまだごく一部しか読んでいない。A‐S‐ニイル(一八八三~一九七三)はイギリスの教育者で、「世界で一番自由な学校」と呼ばれるサマーヒル学園(現在もイギリスに存続)の創立者である。私は「ニイル著作集」(霜田静志訳 黎明書房 全十巻)の一、五、八巻を読み終ったところである。また関連するものとして訳者の霜田氏の著書「叱らぬ教育」も読んだ。
ニイルの著作を読むと、彼が子供を叱らない、罰しない大きな理由は、子供に神経症を起させないためだということが分る。彼は抑圧を排除する。抑圧は神経症を生むのである。そしてそれは人間を正当に成長させない。またそれに関連しているが、彼は知識よりも感情を重視する。学校では知識の伝授よりも感情の解放を主眼とすべきだと説く。そしてナチズムを生み出したドイツを例にあげる。科学的知識においては当時の最先端にあったドイツ人が、感情の面では野獣にも劣ったのである。訓練主義下の知識詰め込み教育は、幸福な人間、それ故に幸福を生み出す人間はつくれないと説く。彼の著書を読んでつくづく考えさせられるのは、人間を育むのは愛だということである。それは受容と言い変えてもいいと思う。たっぷりした受容が無ければ人は正常にはなれないようだ。子供を自由にする、とは子供を愛(信頼)のなかにおいて受容することだ。そうすると子供は自分自身を受容する。自分自身を抑圧せず受容できた時、子供の知性や感性は正常に働き始める。そこに発達が起きる。ニイルはフロイトの心理学に注目し、期待した。彼は意識よりも無意識が教育には重要であることに気づいていたからだ。しかしその後、彼は教育実践のなかで、「自由を恐れる」フロイト派の態度に批判を深めていく。
ユングもまた自己受容を説く。表層の自我だけでなく、無意識の領域を含めて自己を全体的に受容すること、それは時には痛苦に満ちた過程ではあるが、それを通じて真の個性が確立することを説いている。表層の自我だけでなく、無意識の領域を含めて自己を全体的に受容すること、それは時には痛苦に満ちた過程ではあるが、それを通じて真の個性が確立することを説いている。私はここにニイルとの共通性を見る。私は二人に人間にとって何が本質的に大切なのかという問題に対する基本的に同じ態度を見出す。それは受容ということである。自己をあるがままに受け入れることの重要性の主張であり、承認である。
ニイルの著作には善悪や性、宗教に対する新鮮で示唆に富む多くの見解が見られる。今後、紹介もしつつ、考えていきたい。




