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エッセー拾遺 ― 文芸誌のコラムから  作者: 坂本梧朗
1990年代

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第12説 アメリカが近づいてくる

 私はスポーツクラブに週に二、三回通っている。内容は水泳、エアロビクス、アスレチックの三つで、メンバーズであればどれでも好きなものができる。私は水泳が好きなので行けば必ず泳ぐが、三回に一回ぐらいはアスレチックもしている。運動不足とストレスの解消にスポーツクラブ通いは必須だ。

 さて、先日、水中エアロビクスの教室があり、参加してみた。コースラインを取り去ったプールに約四十人ほどの人間が入っている。ほとんどが女性で、男は私の他には一人(五十年配のおいさん)しか目につかない。少し照れくさい感じがある。プールサイド中央にマイクが立てられ、開始時間になると、表が黄色と薄緑、くるりと後ろを向くと、背中が大きく開いて尻の部分が黒色の水着(レオタード? )を着た娘がマイクに近づき、話し始めた。水中エアロビクスを始めるにあたっての注意や心構えなどを喋っているのだろうが、マイクの反響や早口のせいでよく聞き取れない。途中で水中エアロビクスの経験者、普通のエアロビクスの経験者の手を上げさせたが、前者は二、三名、後者は五、六名ぐらいしか居なかった。

 ドラムの重い響きが体に感じられるほどボリュームを上げた音楽がかかり、いよいよ水中エアロビクスが始まった。

 プールサイドに立って指導する二十歳前後と思われる娘はなかなか気合が入っている。矢継ぎ早に指示を飛ばしながら体を動かして見せる。背筋を伸ばす! お腹を引っこめる! などと叫んでは、ワン、ツー、スリーと鼻にかかった発音でリズムをとる。時折りくるりと後ろを向いて参加者達と同じ向きになって動き方を示す。アップ! ハイ! ダウン! とか、前! 後ろ! とか、絶えず何か叫んでいる。かと思うとプールサイドの端から端まで歩いて参加者の動きを点検するしぐさ。OK! OK! を連発する。時折りマイクを取って喋る。声は疳高いし、マイクは反響することに加えて、英語が、それもかなり鼻にかかった英語が勝手気ままに混じるので、何を言っているかよく聞き取れない。話が突然、ヘイ! ワン、ツーという掛け声とリズムに変る。ふとロックコンサートを思い浮かべる。あの雰囲気だ、この娘を包んでいるのは。自分がロックの歌手としてステージに立っているかのような昂揚感が娘から匂い立つ。

 とにかくエネルギーは感じる。若い娘ながら物怖じしたところは少しもない。恥かしげもなく股を開き、足を上げる。プロ意識に徹しているという感じ。ただ、水中エアロビクスというものを余り研究していないのか、動作が地上でするそれとさほど違わない。というより殆どがそのままのようだ。彼女がするような早い動きは水の抵抗のある水中ではとてもできない。参加者達の顔に苦笑が浮かぶ。彼女はお構いなしだ。叫び、動き、跳ぶ。

 二十分ほど跳びはねていた彼女がプールに入った。別の娘がプールサイドに上がる。選手交代のようだ。さっきの娘よりは少しおとなしい感じ。今まで水の中に居たのだから水の抵抗は知っているはず。だから無理な動作はしないだろうと言う当ては外れた。最初こそ適正なテンポだったが、すぐに地上のエアロビクスになってしまった。プールサイドに上がると上気してしまって、スローテンポでは間が持てなくなるのだろうかと推測する。プールに入ったさっきの娘はプールの中でも叫び声を上げる。この娘がやはりリーダー格のようだ。水の中に入って、自分が無理な動作を指示していたことが分ったのではないかと彼女の顔を見るが、眼鏡を外している私にはそんな表情が分らない。

 三番目の娘がプールサイドに立った。「〇〇ちゃん、ガンバッテー! 」という声援がプールの中から飛んだ。恐らくあのリーダー格の娘が叫んだのだろう。三番目の娘は水泳の中級コースのコーチをしている娘だ。いつもの紺色の競泳用の水着と違って、花柄の付いた明色の水着を着ている。彼女にエアロビクスの指導ができるのだろうかと思っていると、やはり動きがぎこちない。掛け声も小さい。少しあがっているようだ。それでも五分ほど経つと落ち着いてきたが、動作が単調なのは変らない。プールサイド近くの水の中にいた娘が驚いたように頭を振った。指で自分の顔を指している。その視線の方向を辿るとリーダー格の娘が何か言っている。選手交代の指示のようだ。指示を受けた娘は何度か頷くとプールサイドに向った。十分経たないうちの交代だ。四番目の娘がプールサイドに立った。プロポーションは彼女が一番よかった。指示する動作も水中エアロビクスに適していた。いい感じだと思いながら体を動かしていると、やはりあがっていたのか、彼女は自分で一、二、三、…と掛け声をかけていながら、動作の順番を間違えた。すぐには気づかず、しばらくして、「あ」と言って頭に手をやった。その少し前からリーダー格の娘がプールサイドに上がっていた。彼女が娘に近づいて何か言ったが(おそらく交代を呼びかけたのだろう)、娘はそれを無視するように、頭を捻りながら自分の誤りを慎重に訂正し、その動作をしばらく続けた。さらに二つほどの動作の指導を続けた。そこにはこの娘のインストラクターとしてのプライドが感じられた。

 再び最初の娘がプールサイドに立った。疳高い鼻にかかった英単語が出没する叫び声が室内に響く。私はその声と動き回る彼女の肉体を眺めながら、アメリカが近づいているんだと思った。インストラクターとしての自負と責任を持って、こうした若い娘達が水着姿で公衆の前に立ち、臆しもせず声を張り上げ、体を動かす。職業という枠の中だが個人としての力量が問われているのだ。こうして日本にもじわじわと個人が確立していくことだろう。無論ストレートではない。この娘達の颯爽とした姿だってビジネスの必要に彼等らしい素早い適応を示しただけなのかも知れない。しかしそれも個人意識確立の一つの過程であることは確かだ。資本主義の進展によって人々は否応なく他人とは区別された自分と向き合わざるを得なくなる。

 戦後アメリカは大量に入ってきた。主に「物」として。しかし今やアメリカの「人間的内実」が近づきつつある。それはアメリカとの真の出会いとも言えるだろう。それはもちろんいい事に違いない。


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