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エッセー拾遺 ― 文芸誌のコラムから  作者: 坂本梧朗
1980年代

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第8説 若戸の渡船

  

 京都郡苅田町に住んでいる私が、自宅と職場のある若松との間を往復するには二つのルートがある。一つは鹿児島本線と筑豊線とを使うルート(折尾駅で乗り換え)であり、もう一つは鹿児島本線と若戸の連絡船を使うルートである。戯れに前者を陸の路、後者を海の路と呼ぼう。陸の路は日常的に用いているが、海の路は特別の場合しか採らない。

 若戸の連絡船の存在は若松に通うようになって初めて知った。若戸大橋という有名なものが出来ている以上、そんなものは無いだろうと漠然と思っていた。郷土史でも繙けば出てくるような存在だろうという感覚があった。ところが連絡船はあった。しかも確固として。

 一日に何往復するのか知らん、とにかく一時間に一回というようなものではない。十分間に一便ぐらいの頻度で発着している。しかも朝の六時から夜の十一時まで。一便に六十人ほどが乗るようだから輸送量も相当なものだ。これはもう一つの枢要な交通機関だ。市民の重要な足である。しかも安い。大人二十円也。今時こんな料金があるのかと私は驚いた。ついこの間のことだが、考え事をしていて料金箱に百二十円を入れてしまった。二十円という数字は頭にあったので、それに百円を無意識に加算していたのだ。バスや電車など、他の交通機関の料金体系に慣らされているとこうなる。

 若戸大橋を斜め上に見上げながら渡船は行く。両岸の渡場を直線でなく弧で結ぶ。客達の雰囲気は路面電車のそれと変らない。大体において静かだ。違いは自転車と共に乗りこんでくる人が居ることか。渡船の旅は短い。動き出して五分もすれば対岸に着く。そういう意味では迅速さも他の交通機関に引けを取らないわけだ。いつだったか疲れていて、乗りこんで座席に座るとすぐ目を閉じた。人々が乗船し終えるまで時間がある。しばらくしてドッドッドというエンジンの音が聞こえたので、ああ動きだしたなと思った。ところが間もなく音が聞こえなくなった。エンジンを試しに動かしてみただけなのだろうと思った。気配を感じて私は目を開けた。人々が立っている。外を見ると船は発着場に着いたままだ。どうしたのだ。まだ出ていないのかと思っていると人々が下船しだした。その時になって初めて私は船が対岸に着いたことを知った。それほど短時間なのだ。

 渡船を利用する時は若戸どちらに向う時でも、渡場まで、そして渡場から、一定の距離を歩く。若松の方がその距離は長い。歩いて行くと昔ながらの建物が目につく。「若松石炭ビル」などと表示された建物を目にすると、嘗ての若松港の繁栄が偲ばれる。

 私が渡船を利用するのは大体若松の本町あたり(若戸大橋が下りてきている所、ここら辺りが所謂“若松”なのだろう)に出てきた時だ。たいていが飲み事だ。と言っても度々ではない。二月に一度くらいだ。前後不覚になって渡船に乗ったこともある。それほど酔っていなければ、渡船は旅愁に似た情緒を少しばかり味わわせてくれる。船は後退しながら渡場を離れる。そして対岸に船首を向けるために回転する。船の回転につれて夜景が回転する。それを眺めながら酔っぱらいはしばし沈黙する。船に乗ることは確かに人を観照的にするようだ。岸に上がればまた狂躁に捉えられるとしても。


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