第百話
次の階層です
やはり、モンスターといえばこれですね
「……草、だが……」
足元に生い茂る何かしらの草を鷲掴みにし、無慈悲に引き千切りに掛かる
「千切れる……」
外では不可能だった事が、この中では出来る
その事実は、更に一つの希望を俺に抱かせた
その希望に突き動かされる様に勢いよく立ち上がり、手の中の千切った草を地に投げ、ばら撒く
勿体無いと後ろ髪を引かれる事無く、速足で進む
向かう先は、視界いっぱいに広がる木々
森林と呼ぶには些か疎らだが、その先に水場も見える
ここなら、木を切って燃料を得る事も出来るかもしれない
生木では燃料として不適合もいいところだが、全く使えない訳でも無いし、非常識極まりないこの世界なら、切った端から薪木になってもおかしくはない
そう勇んで進もうとする俺を阻む者が現れるのは、この場の道理だったのだろう
それは地面から水が湧き出る様に現れ、少しずつその量を増していった
「……」
俺は足を止め、その様子を具に観察する
見るに、その湧き出る液体は、どちらかと言えば半固体半液状の粘性物質の様だ
その噴出は一箇所だけだったが、湧き出る量が非常に多い
そして、何より重要なのが、それが明らかに一つの塊を成しているという事
知識と照らし合わせるに、これはスライムだろう
そうと解らせる様な風貌をしている
いや、貌は無いのだが
「スライム……典型的なモンスターの一種だが」
これが、どちらか
それによっては、相当な苦戦を強いられる事になる
「まあ、一体だけだし、間違いなく核無しだよな」
スライムは、核が有るものと核が無いものとに分類される
そこから、更に大きさやその体液の性質などで細分化されるのだが、大別すればその二種となる
さて、核が有るものは、明らかにそこが弱点と判るだろう
その明白な弱点からも解る様に、核の有るスライムは与しやすい魔物とされる
所謂初心者向けという事だ
尤も、大きくなったり危険な体液性質となれば、またその危険度が変化するが
そして、核の無いスライム
こいつはとても厄介だ
先ず、明確な弱点が無い
その為、倒す事に非常に難儀するのだが、それに加えて体液の性質が危険なものが多いのだ
触れれば焼ける、凍る、溶ける
これだけならまだいいが、物理的な攻撃に対して強力な耐性を持っていたり、毒気を撒き散らしたりと、とかく婉曲的な戦法が得意で、まともに戦う事は難しいとされている
「なんて考えてる内に、敵さん全部出て来たな」
やはり核が無い
体液性質は見た目で判断できない事が多いとあったが、確かに色や質感からは異常な特質は見受けられなかった
殆ど無色透明のその体は、例えるなら落としたソフトクリームが融け始めた様な形状をしていた
「魔法で触れずに戦うのが良いって事なんだが……」
かつての様な失敗はもうしない
遠距離に対する対策は済ませた……というより、元から遠距離攻撃に対しては高速接近による間合い潰しで対処していたのだ
だが、それは飽くまで対遠距離戦術に過ぎなかった
そもそもだ
「まだ迷宮に入るつもりは無かったんだよなぁ」
今更な言い訳でしかないが、この状況は当初の想定からは大きく、甚だ大きく外れた想定外だ
見込みが甘かったとも思う
どんな危険も恐れないと、突如出現したこの迷宮への進入を決心した
その決意にはこの瞬間に至っても、嘘も欺瞞も介在する余地はない
それでもなお、見込みが甘かったと言わざるを得ない
何者かの意思が介入していると確信しているこの現状
俺を強くする為と好意的に受け取ったが、逆に俺を殺す為と考えても一応の辻褄は合う
「そして、これがその刺客その二ってか?」
スライムの動きは緩慢だ
筋肉が無く骨も無い以上、常識的に考えて大きな力を能動的に働かせる手段が無い
尤も、これだけのゲルが自律的に動き回る時点で、大いに常識外れなのだ
兎にも角にも、その緩慢な動きを補う様に、一つ一つの動作が非常に大きい
悪く言えば大雑把だが、反撃を無意味にするその体躯を持ってすれば、成程確かにとても有効な戦法だ
なにせ、打ち払う事も受け流す事も受け止める事も不可能
出来る対応は回避する事だけ
聳え立つ怒涛の様に、その大きな体躯を波打たせて、俺を押し包みに来るスライムを、後ろでは無く横へと移動し回避する
容易く回避に成功するが、さっきまで立っていた場所を見て、その光景に想像が正しかったことを知る
「やっぱり、あれだけの質量の液体が落下すれば相応に飛び散って拡がるか」
あのまま後ろへ下がって回避していた場合、拡がるスライムボディに呑み込まれていただろう
攻撃も難儀し回避も容易ならずとくれば、もう採れる選択はこれしかない
「逃げよ」
この疎らな森がどれだけ続いているかは不明だが、あれだけ足の遅い相手なら如何様にも逃げ切れる
唯一の懸念は、この階層の出口がどこにあるかがまだ不明な点だ
だが、それはこれから探せば済む話
スプリンターが赤ん坊と鬼ごっこをするようなものだ
幸いなことに今回は荷物はそのまま腰に括りつけたまま
このまま脱兎の如く逃散出来る
とはいえ、うさぎとかめの逸話の様な事態にならぬ為にも、目的を整理して円滑に事を進めるのがいいだろう
縮地移動ではなく、普通に駆けながら
視線は広く周囲を観察し、思考は幾つかの事柄を処理する
途中、幾つかの枝葉を圧し折ってみた
勿論、燃料となる薪木が欲しかったからだ
だが、結果は収穫無し
枝も葉も、ついでに草も
全て、圧し折り千切って少し経つと消滅してしまう
それが魔物や、先の光る岩壁の様に何かを残したなら、意気も軒昂というものだったが
まるで、ハズレくじを引いたと言わんばかりに、何も残さず消えてしまうだけ
これには、流石に消沈した
しかし、可能性はまだ残されている
今、この目は忙しなく二つの特徴を探している
一つは勿論、出口となる光の柱
そしてもう一つは、光る木
或いは光る植物でもいい
それが当たりくじである事は、先例から容易に想像可能だった
「見付けた!!」
思わず声を上げ快哉を叫ぶのは、状況が劣勢であるためか
追われ、逃げる
追いかけ、逃げられる
言葉にすれば簡単だが、その対照的な行動の二者
だが、前者の精神には多大な負担が掛かっている
そんな精神的な負担を、無意識的に喜びで緩和しようという心の動きがあるのかもしれない
目線は、まだ割と遠くに在る光を放つ木々に釘付けだ
猪突猛進、その木々へと駆け寄る俺
その意識は、限りなく近視眼的且つ視野狭窄的であったと言わざるを得ない
「……?」
だからだろう
唐突に差した透明な影の原因に、この瞬間まで気付けなかったのは
感じた違和感は、地面に網を被せた様な模様がうっすらと浮かんだ事
水音も聞こえたが、近場に水場が在る事で完全に聞き流してしまった
瞬時に確信へと至った俺は、全ての運動能力をただ左脚一つに注ぎ込む
刹那も時間が残されていたかは解らない
だが、なんとか直撃だけは避ける事が出来た
間近で盛大に響く水音
感覚が伝える冷たさ
「左脚が少し濡れたが……特に被害は無いか」
飛び退く際、残された左脚だけ回避しそこなった
見るに、盛大に水気を帯びてしとどに濡れそぼっているが、それだけだ
異臭を発して肌が焼ける事も無ければ、溶けた肌の中の神経を鑢掛ける様な痛みも無い
ただ濡れただけ
勿論、あれほどの水量の落下中心点を引っ被ったなら、加速した重量で大きな損害を受ける事は疑い様が無いが、端の辺りに浸かるくらいなら何の脅威にもならない
「はっ……少し服が肌に貼り付く感じがして不快だが、それだけか。驚かせやがって」
ヘッドスライディングの様な形で地面に横たわっていた身体を起こす
地面に座り込む様な姿勢から、一気に立ち上がろうとして
「んぉ?」
明らかな異常に気付いた
立ち上がりかけたところで、身体が左に崩れる
それに抗おうと左脚に力を込めて支えようという動きを意識せず行って……
けれど、適わず倒れ込んでしまった
「……左足に力が入らない?」
痛みは無い
左脚の感覚も正常だ
痛みによる脱力でも無ければ、麻痺でも無い
ただ、力だけが入らない
「毒か?」
それ以外の可能性に思い至らない
症状の進行があるかもしれない事を思えば、早期決着が求められる
「左脚が使えないだけなら、まだ何とかなるな」
地面に突いた手で勢いを付けて立ち上がる
左脚は、膝から下の力が入らない
曲げて片足立ちになる事も出来ないが、意識的に重心を右に寄せて均衡を保つ事にする
「さて……こいつは」
今最も重大な問題は、この目の前で打ち水された様に地面に飛び散ったスライムが、最初に遭遇した個体と同じ個体であるかどうか
そうでないなら、少なくとももう一体スライムがこの階層を徘徊している事になる
当然、そのもう一体は最初に遭遇した個体であり、今この瞬間も俺を追跡している事だろう
想定される最悪な状況は、当然二体の挟撃を受ける事だ
左脚が使用不可能な今、逃走は困難を極める
出来なくは無いが、その精度は鼻で笑うレベルにまで低下するのは間違いない
そんな状態で逃げ回るのは勘弁願いたかった
そして、もう一つ問題があった
それは、この個体が最初に遭遇した個体である場合に発生する
「可能な限り真っ直ぐに距離を取る様に逃げたつもりだったが……」
森の中という事もあり、もしかしたら知らない内に輪形彷徨していた可能性も無いでは無い
だが、もしそれが違うなら、こいつはかなり高速で移動する事が可能という結論になる
その移動法は不明だが、だとしたら逃げるのは愚策としか言えない
「どちらにせよ、倒すしかない」
そうと決めれば、後は簡単だ
総身に闘志を漲らせる
呼応して筋肉に、強張る事無く力が込もる
己の不調も含めた作戦を立案する
出来る事は少ない
触れる事を許さない敵に対する攻撃手段が、その実一つしか無い為だ
それは、出来る事なら使いたくなかった手段
俺は極めて自然な動作で佩く曲刀を抜き放つ
その道に生きる者が見たなら、きっとこう思うのだろう
実に堂に入った理想的な抜きだった、と
「これで確信した」
この状況に、師匠が一枚噛んでいる事
剣を用いなければ対処できない敵の存在
俺が逃げる事を想定した、謎の高速移動による追跡、或いは伏兵による退路妨害
俺が剣を使わなければならない状況に追い込むこの策謀
これが偶然なら、何と俺は不運なのかと嘆くところだ
目の前でスライムがその形を取り戻す
地面に落ちて溶けかけたソフトクリームの様なその姿
横方向は当然の事ながら、縦方向も非常に大きく、俺の身長の二倍はありそうだ
それでも、俺は焦らない
剣を抜いた以上、俺がこいつを忌避する理由は何も無くなった
「………」
手にした曲刀の重みが消える
まるでそこに在るのが当然であるように、驚くほど手に馴染む
それは、誇張無しに腕の一部になっていた
腕を振るう
遅滞なく追従する刃
具合を確かめた俺は、目の前の巨体を捌きに掛かる
身体は自然と適した動きを選択する
弱点が無い相手をどの様に攻略するか
答えは簡単だ
縮地で大きく放物線を描き跳躍する
身長の二倍など、俺にとっては容易く超えられる高さでしかない
山の様な池を飛び越え、対岸に着地する
手にした曲刀から水が滴り落ちた
軌道を変えて跳躍
向こう岸に降りる
曲刀が水気を帯びていく
肌に付かない様に、血振るいならぬ水振るいをする
振るい落されたそれは、地面に落ちる時に僅かに粘着く音を立てた
池の周囲を沿う様に細かく縮地移動する
勿論、切り刻む事も忘れない
それら動作を無感情に、細かく手管を変えながら
鈍重な山の様な池は、抵抗も許されず時折見当違いの方向へ水気を迸らせるのみ
それもやがて頻度が落ち、次第に無抵抗になっていった
死は間近
その命は、乱雑に鑢掛けられ無様に削り落とされていく
けれど俺に達成感は無い
出来て当然のことをしているだけ
足を止める
最後の水振るいをして、曲刀を鞘に納める
左足には変わらず力が入らないが、特に問題は無かった
「………」
心なしか草臥れた巨体が消えゆく様を、乾燥した心持ちで見詰める
やはり気分の良い物では無かった
視線を落とす
一方的な殺戮の結果を、見ていられなくなった
(やっぱり合わないな)
剣は傷付ける物
でも、使い方次第で守ることも出来る
そんな詭弁は聞きたくも無い
守る為に戦う事は否定しない
いや、闘争そのものも否定しない
その結果、敵を殺す事も受け入れよう
だが、初めから殺す為だけに戦う事は、それとは全く別の問題だ
仕方ないと思えど、どうしても嫌悪感は付き纏う
「……いや、こんなことはとっくに答えが出ている問題だ」
どうしようもなく落ちていく思考を、強引に引き戻す
守る為に殺すのは仕方が無いが、殺す為だけに戦うのは間違いだ
それでいい
だからこそ、俺は初めから殺害を想定したこの刃というものを嫌悪する
「まだ終わってないしな」
音が聴こえる
遠雷の様に
もう一体のスライムが迫る音だ
「こいつの足は遅かった。なら、俺に追いついたという事は無い」
つまり、敵は最低でもあと一体居るという結論になる
左足の脱力感は弱まる気配が無い
また、戦わなければならないだろう
「抜かないといけないか」
躊躇は無い
殺す事への嫌悪感も無い
あるのは、ただこの刃への忌避のみ
迫る敵の気配へと、足を向ける
景色が消える
颶風と化し、疾駆する
重い水音が何度も何度も辺りに響き渡った
スライムと言えば、やはりあの大きく笑った様なアレが真っ先に思い浮かびます
言わずと知れた最弱モンスターですが、所変われば矢鱈と強いモンスターだったりもしますね
ここだと、あの大人気作品が直ぐに思い浮かぶでしょうか
それともまた別の作品が?いずれにしろ、スライムというのは中々に面白い生き物であると思います
拙作ではある程度二面性を与え、強くもありまた弱くもある、という様に仕上げています
その全身の体液は強酸性で、様々なものを腐食させる
自由自在に形状を変え、極めて広範囲に攻撃可能
目立った弱点が無く、ちまちまとダメージを与えていくしかない
スライムの持つ優位性を考えれば、概ね強化内容はこんなところでしょうか?
後はここから案を拡げていけばいい訳ですね
今回は、謎の脱力毒という形で強化を施しました
実際、全身が強酸性ならまともに移動も出来ないでしょうし、生活環境破壊しまくりですからね
細胞膜があるならその問題も解決するかもしれませんが、今度は形状変化に支障を来たします
少なくともその細胞膜の弾性の内でしか変形できなくなりますから
ところで、苦戦すると前回書きましたが、苦戦してませんね
この迷宮を作った者の思惑がどうであるのか
この一事から理解出来そうなもんです
次回投稿は9月11日です
今年は暑い期間が短く済みそうでホッとしてます




