第九十九話
やはりグロ注意
コボルト成体戦、後半戦です
拳は徹らずとも指なら徹る
そう実証した俺は、二体の敵の肉を穿ちに掛かる
貫手などという洗練されたものではない
生命を掴み取らんばかりに広げられ、緩く折り曲げられた五指
相手の毛皮と肉を貫いたと脳が感覚を処理するより前に、肉を抉り取る様に搔き裂き
悲鳴の吠え声を上げる敵の、その口が開かれた事で薄くなった頬の肉を一気に貫き、これもまた引き裂く
口腔にまで達し、その口が開く大きさを増やした事で、逆に響きが減じた吠え声は音を小さくした
それに反比例する様に、或いは与えられた痛みに正比例したのか、敵の殺意は二次曲線の様に急激に増大し、その血塗れの顔面と口内から血飛沫を撒き散らしながら、的確に急所や動作の始点を噛み砕きに掛かる
コボルトの攻勢もまた凄まじい
その巨躯を活かした大胆な、そして剥き出しの本能に従った苛烈で的確な攻めは、確実にこちらの命を奪いに来る
それが二体同時
普通なら、五体投地で俎上の鯉となるところだ
だが、この俺は普通では無い
明らかに身体能力が不適正である強敵であろうと、喰らい付き殺し尽くす
その為の技を用意しているのだ
振るわれる豪腕を流す
難しいが、決して不可能ではない
それをするに足る理由があれば、いつでも難事に挑む覚悟は出来ている
流された豪腕は、その先に居たもう一体へと吸い込まれる
流石に細かく狙って流す事は出来ない為、軽く毛皮を撫でただけに留まるが、牽制としては十分すぎる
縮地も大いに活用する
俺の喉笛を噛み千切らんとするその鋭い牙の狙いを瞬時に外し、更にその時背後に迫っていたもう一体の背後に回り、その背を強く押して、俺の元居た位置へと押し出す
軽い牽制の攻撃ならともかく、本気で殺しに掛かるほどの攻撃は、基本的に中断する事が出来ない
それをするなら、文字通り全身全霊で止めに掛からねばならず、それは大きな隙を晒す事になる
倒れた仲間には一瞥もくれない連中が、味方を傷付けまいとそんな隙を晒すとは思えなかった
その目論見は、見事に的中成就する
三メートル程の身長で、俺の喉笛の高さだと丁度腹の辺りだった
俺に背を押されたコボルトは、もう一体の味方に腹の肉を噛み千切られる理不尽を味わう事になった
尤も、それだけで倒れる程易しい相手では無いが
痛みに比例し増大する殺意、屈辱という燃料を投下され烈火の如く燃え上がる殺意
迸らせた二体のコボルトは、身体を濡らす血に構う事無く
その殺意の命ずるままに、俺の命を奪い取りに来る
とはいえ、状況は仕切り直しに近い
眼前には血塗れのコボルト成体が二体
無傷とはいえ強敵を相手に、確実に心身を消耗している俺
状況は依然としてフラットで、僅かな油断が後々に大きく響く事態を招くのは間違いなかった
(どちらか一体を確実に仕留める必要があるか……)
この時点の戦力評価で、一対一なら然したる苦労も無く無傷で勝利を得られると確信していた
獣性が齎す奇跡的な連携こそが厄介なのであって、それが無くなれば彼我の趨勢は決定的に俺に傾く事になる
だが
(そう簡単に行くなら、こうも手間取りはしないけど)
言うは易く行うは難し
その、敵からすれば不埒な思考は、彼らの攻勢が直ぐに再開された事で中断を余儀なくされる
縮地で背後に回り込む
直後、大きく薙ぎ払われる豪腕
回避する、追撃される、肉迫する、薙ぎ払われる、回避する、追撃される、受け流す、その隙を突かれる、回避する、追撃される
特に珍しくも無い千日手に陥った戦闘は、正しく泥仕合の様相を呈していた
普段なら、自身のスタミナが相手を大きく上回る事で生じる決定的な隙を突くのだが、どうにもこの二体は、それこそ無尽蔵とすら思える様なスタミナを有しているらしい
俺以上に激しく、全力全開の攻撃を間断なく繰り返しているにも関わらず、呼吸の乱れた様子が無い
翻って、俺は徐々にではあるが、確実に疲労の鎖が四肢に巻き付いてきているのを感じていた
まだ大丈夫
何時まで大丈夫なのか?
現状を早々に打開する事が求められていた
俺は、”まだ”大丈夫な内に思考を働かせる
相手の弱所は?嫌いな戦法は?癖は?
有利な地形は無いか?不利な地形では無いか?
戦力評価も精査する
別の対処法は無いか?今の対処法は間違っていないか?
敵がこちらの行動にどの様に対処しているか?
その瞬間に浮かぶ、敵の行動の一貫性への気付き
(イケるか……)
実戦とは試行の連続だ
確実な戦術、戦法とは過去にしかない
あれが有効だった
しかし、それが次も有効とは限らないのだ
故に、その惰弱な思考を叱咤する
イケるかどうか
そんな事は試してみて、初めて判る事だ
その叱咤の勢いに任せて、前へ踏み出す
巨体の敵、その間合いには直ぐに接触する事が出来る
直後振るわれる豪腕を、しかし俺は回避しない
腕が、その毛皮が、その毛先が
俺の防具に、服に、肌に
触れるか触れないか、その刹那を見極める
その後に起こった事を、恐らくコボルト達は生涯理解出来ないだろう
振るった腕は素通りし、何故か自分の腕が抉られる
振るわずとも、やはり腕は抉られた
痛みが、そして恐怖が
殺意をどれだけ煽り立てても
やはりその腕が、俺に触れる事は無い
自身の狙いが的中した事を、今はまだ喜ばない
透徹した思考で、粛々と考えた作戦を遂行し続ける
俺がした事は、基本的に二つだけだ
一つは、接近すると必ず薙ぎ払われる腕を、可能な限り小さな動作で、そして可能な限り速く回避する事
その結果、連中は俺が霞にでもなった様に錯覚した事だろう
もう一つは、回避に合わせて相手の腕へ指を突き立てる事
肉を穿てるのは実証されている
更に、抉るのは相手が力を貸してくれるのだから、割と簡単な仕事だった
とはいっても、もし弾かれでもしようものなら、指は無残に圧し折られる事になるのだから、慎重に事を運ぶ必要はあるのだが
たったそれだけで、敵二体の腕は見るも無残に血に染まる
ところどころで、骨まで見えているのだから、その損傷具合は相当だ
「もうその腕じゃあ戦えないな」
これが狙い
どう考えても、一発逆転の策は思い浮かばなかった
当然だろう
身体能力的に上の相手が二体
大胆な戦法を用いてくる訳でも無い以上、その連携を阻み、その上で一撃必殺を決める事は、不可能に近い、ではなく不可能だった
だが、片方を潰せば勝利が確定するという考えは正しい
そこまで思考を走らせた結果、ならば敵の戦力を半減させればいいのでは?という結論に至った
そこからは簡単な論理展開だった
敵の武器は何か?
牙、爪、脚
体当たりの様な方法は使ってこなかったが、それも計算に入れる必要はあった
その四つの中で、最も脅威なのは何か?
牙
攻撃可能範囲が狭く、また彼我の体格差から体を大きく屈める必要がある為、隙が大きい
脅威度低し
爪
長大な腕と大きな体躯から、極めて攻撃可能範囲が広く、また大きく振るわれる事で威力も増大する
脅威度高し
脚
非常に長い脚は、見た目に違う事無く絶大な攻撃可能範囲と威力がある しかし、技術が拙い
脅威度中程度
体当たり
未使用の為不明 しかしながら、その巨躯と俊敏性から、最大の威力を発揮すると予想
脅威度高し
以上から、現状で最も脅威となるのは爪と腕と推測する
それを潰せる作戦を考案
その結果がこの光景な訳だ
更にこの作戦には、大きな利点がある
「もう俺の接近を拒むことは出来ないよな」
何度も何度も、近づいては腕を振るわれ遠ざけられ、としていれば、嫌でも気付ける
こいつらは、俺に近づかれる事を嫌っている
その理由は何か?
それを今から実践しよう
近付く俺から、何とか離れようとするコボルト達
しかし、最早その体は満身創痍
逃げ切れるものでは無かった
僅かな抵抗で振るわれる脚も、噛みつく牙も
腕という絶対に近い制空権確保手段を失った今、避ける事は実に容易かった
根こそぎ筋を断たれ、力が入らずに垂れ下がるだけの腕を無視して、その首筋に手を掛ける
その結果は如実に現れた
先ず、その丸太の様な首に無数の点が走る
その無数の点が、直ぐに一つの線を形作った
肉を抉り、削り取って作り出された、それは正に首輪だった
それを、俺は更に締め付けに掛かる
時折、指にこびり付いた肉と血で滑って手先が狂うが、それはコボルトにとっては救いとはならない
やがて、太い骨に行き当たる
流石にそれを指先で抉る事は出来ないので、肉の支えを失った頸椎を外すに留めた
胴体との全ての繋がりを喪失した頭部は、椿の花が落ちる様に落ちていく
その時の顔は、恐怖ではなく痛みと疑念に歪んでいた
最後に残ったもう一体も、同様に始末をつける
急速に首の肉を鑢掛けられ絶命間近の同胞を、救い出そうとしているのかそれとも単にその隙を突いて俺を屠らんとしたのか
それは解らない
だが、結局それは結果を残す事無く
無残に死に絶えた仲間の後を、道を違える事無く追う事になった
「強敵なのは別に良いんだが……」
戦いの中に身を置く事を決意するなら、強敵との闘いとその中で志半ばに果てる覚悟はとうの昔に完了している
それでも、この迷宮を含めて思うところはやはりあった
「今の俺に丁度いい具合の強さの敵……偶然では無いだろうが」
そこに垣間見える何者かの意思
それが、不思議と俺に強くなる事を促している様に思えてならない
足を止めるな 手を動かせ 考え続けろ
思い出すのは師匠の叱咤
激励は無かったが、散々に叱咤された記憶は鍋底にこびり付く焦げ付きの様に消えず残っている
師匠が人間では無いという推測以上の確信
この状況との符合が感じられて仕方がない
「下手の考え休むに似たりとも言うしな。今はとにかく目の前の問題を片付けていく事を優先しよう」
目の前で消滅していく二つの死骸
そして、少し離れた場所に、最初に殺したコボルトが残した落とし物が落ちていた
直ぐにこの目の前の死骸も、あの様に化ける事だろう
「……で、これはどう判断すればいいのか」
消えた死骸の後に残された物
それが三等二番肉だと、何故か理解出来る事はもうこの際気にしない
だが、それ以上におかしなことが起きているのは見過ごせない
徐にその物を拾い上げる
「……包み紙。肉屋で買ってきましたって風情だな」
昔、大きな葉っぱに包まれた肉を見た事がある
腐敗を防ぐのか、虫が付くのを防ぐのか
その意図は知らないが、人の手が入った事は明らかな代物だ
そして手の中のこれ
今しがた発生したばかりの筈のこれは、何故か適度な厚みに綺麗に切り分けられたブロック肉で、肉屋で買った様な包み紙に包まれていた
「…………うぅ」
状況の不自然さは、不快な過去の感覚を思い出させる
胃が縮む様な、或いは蠢く様な
不自然な動きを繰り返す感覚が、痛みの様に俺を苛み始める
胃の不調は、直ぐ傍の食道や腸などの臓器も刺激する
腹の異常は、吐き気としてせり上がり、喉はその圧力と上がる溜飲の気配に熱を帯び、俺に苦痛を訴えかける
有り体に言って吐きそうであった
この感覚は、この世界の食糧事情を米原に教えられた時の感覚そのままだ
あの時は、色々とあって誤魔化す事を覚えた
その欺瞞が、その生産現場をまざまざと見てしまった事で、物の見事に剥ぎ取られてしまった
屠殺場を見学して、肉を食べれなくなる事があるらしいが、今の俺はその気持ちを一部共感可能だろう
「SFや近未来ディストピアなんかの話だと、人工的に合成したたんぱく質とか炭水化物で食べ物を作ったりとかもよく聞く話だが」
それを見ても、特に何とも思わなかった
だが、今なら言える
よくそんなものが食えるな、と
食うしかない状況なのは分かるが、最初にそれを配給した時、どんな反応だったのだろうか
極限状況なら、皆狂喜して食い付いたのかもしれない
胃に力を入れる
俺の不快感に振り回され、暴れ回る胃を宥め賺し抑え込み
大きく息を吸って、胃酸に侵された不快な空気を薄め
大きく息を吐いて、薄まった不快な空気を外へ排出する
まだ少し胸焼けが残るが、不調は大体収める事が出来た
改めて、手の中の肉を見る
「うん……脂身も少ない良い肉じゃないか。カツにして熱々の肉汁で口の中を火傷しそうになりながら、これまた熱々の炊き立てご飯を掻き込む」
想像するだけで口の中で唾が滲み出る
ソースはイカ〇かオ〇バーか
米原食堂の自家製ソースも捨て難い
なんでも爺さんの秘伝で、まだ息子……米原の親父さんも合格点を貰えていない代物だとか
「カツ丼も良いな。揚げたてのカツを贅沢にだし汁の中へ放り込んで、たっぷりの玉ねぎと一緒に卵でとじる。そして、汁を吸いきって柔らかくなる前に、これも熱々のご飯へ乗せ、もちろんつゆだく。衣の表面は汁を吸って少しふやけ、絡む卵と少し歯ごたえの残った玉ねぎが乗っかり、肉厚の豚ロースが醸し出す得も言われぬ見事な味わい……堪らんねぇ」
因みに、この時思い出しているのは米原食堂のカツ丼だ
爺さんの方針で、カツ丼のみならず様々なメニューを、食べ盛りのガキでも大満足出来る量をお値打ち価格で食べる事が出来る
尤も、偶に熊の肉とか鹿の肉とか出される事があるから、それなりの覚悟が必要だが
「今にして思えば、あの熊とか鹿は爺さんが獲って来てたのか」
などと、益体も無い事を考えていたら、身体の中の不快感も綺麗に消えていた
そして、それを自覚した途端に、今の自らの行いを後悔する事になった
「…………肉は有っても、パン粉も小麦粉も油も調理器具も無いから、カツなんか作れないじゃんか……」
そして、当然ながら米も無いのでカツ丼もまた儚い夢である
せめてこの場に米原が居れば、万に一つの可能性もあったかもしれないが
「人の夢と書いて儚いと読むってか」
これ以上考えても、どうにならない
それ以上に考えるべき事へ思考を費やした方が、遥かに有意だ
三体のコボルトが落としたのは、全部同じ肉だった
それも、一体がひと塊2kgくらいありそうなブロック肉を三つも落としたのだから、手にした肉は感覚で20kgは有りそうな大荷物となってしまった
「しかし、置いて行くというのは如何にも勿体無い」
他人が聞けば、金持ちの癖に貧乏くさい事を、と思われるかもしれない
だが、食べ物を粗末にしないというのは、母さんの教えであり、何より常識的な価値観だ
俺は、茶碗に残った一粒の米もしっかりと食べ切る事を信条としている
そんな俺が、得体のしれない物であっても、食べ物を粗末に扱う事は大いに憚られた
蓋の裏に付いたヨーグルトも綺麗に舐めとる俺としては、当然の行為だった
「これで良し、と」
俺は戦いが始まる時に既に降ろしておいた荷を探り、その中で使えそうな物を見繕う
幸いなことに、手拭いなどをばらせば紐として使えそうだ
その紐で、包み紙ごと肉を縛り繋ぎ、それを幾つかに分けて腰からぶら下げる
重いは重いが、歩みを決定的に妨げる程では無い
ここまでの成果を確認する
一発火起こし不思議な火打石と、20kg相当の三等二番肉
燃料が欲しいところだ
この世界の食品衛生事情は不明だが、慎重に見極めながらなら、数日は可食と想定しておく
生では危険極まりない推測だが、焼けばまだ何とかなるかもしれない
ここに迷宮がある以上、また取りに来ればいいとも言える
それに、身体を動かせば常時腹ペコ高校一年生の食欲だ
20kgくらいなら二日もあれば食べ切ってしまうだろう
「その為にも、先ずは燃料確保だな」
俺はもう疑いなく確信している
この先
またも見える光の柱の向こうに、燃料がある事を
これで無かったら、この状況を用意した奴は間抜けだと嘲笑ってやろう
そう考えながら、光の柱を潜り抜ける
出た場所は、またも広大な空間が、しかし異なる環境で姿を現した
当然ですが、この物語は登場人物の主観で描かれています
然るに、強敵と評した相手が実は強敵では無い、という事も起こります
それは二者以上の主観に於いてのみに留まらず、同一視点に於いても発生し得る事態です
強敵と対峙した場合の反応として
「こいつは強い」
と言ったとしたら、そこに込められた意思は概ね二つに大別出来るでしょう
それは、敵わない相手に対する脅威と好敵手に対する敬意です
一口に同じ評価を下しても、その意味するところは抱く感情に左右される訳ですね
ツンデレヒロインが主人公に対して「死ね」と言うのとライバルに対して「死ね」と言うのとでは大違いでしょう
そういう感じで、強敵に圧勝するという戦果も在り得る訳です
今回のコボルト成体戦は、正にそれですね
今の、自身の状態を把握した理がコボルト成体に負ける事は無いのです
そして、次は逆にそうした理が苦戦する相手の登場となります
次回、突然現れた迷宮第二階層
待ち受ける強敵とは!?
投稿は一週間後、9月4日の午前0時です




