抑圧世界
モラハラや暴力・陰口とは元来から人間の劣等感を一次的に収めて精神の均衡を保つためにあるものだそうです。
ならばその陰口や暴力が一切できなくなったら、人間はどうなってしまうのかと考えながら書いてみました。
気まぐれから始めた『新世界創造体験』は、最初こそ興味深いデータを取れたと思ったが、2回目以降はほぼ同じ流れになるようになってしまった。
よくよく考えてみれば似たような動機で世界を創る以上、同じ法則になってしまうのも当然の帰結と言えるだろう。
そこで今回『自分』は説明する手間を省くべく、新たに過去のデータを閲覧する機能を実装してみた。
その甲斐あってか、今回現れた彼は必罰世界とは違う理を挙げたのである。
「………先人達が、どのような世界を創ったのか……どのような末路を辿ったのかは、理解しました」
一通り旧世界の歴史を視聴し終えて、震える拳を握りしめる中性的な青年は俯いた顔をバッと上げる。
「彼らの失敗は、『善性を強制しておきながら、その手本を見せなかったこと』にあります」
善行をなせ。
悪行をするな。
口で言うのは容易くとも、そもそも善悪に関する教育を受けていないのならば、なにが善でなにが悪なのか理解できなければ実践のしようがない。
確かにそれは言えているだろう。
「だから、僕はまず手本を教えるべきだと考えました」
曰く彼が思いついたのは、人がこうあるべき『普通』に嵌め込み、模範となる行動を見せるというものだった。
『………それは『自分』が君達の世界でやっていた、思考誘導と同じじゃなのか?』
「貴方の傲慢極まりない独裁と一緒にしないでください」
『自分』の率直な疑問に対し、彼はトゲを含んだ声色で反論する。
型に嵌めるのはあくまで悪人だけ。
その理のもとでは殺人や暴力はもちろんのこと、罵詈雑言や嫌がらせを行おうとした瞬間に天上からの不可視の糸に絡めとられ、『善行だけ』を行うようになるという。
聞く限りは確かに、悪行を成した瞬間に処刑される必罰世界よりはマシな処遇かもしれない。
「僕は絶対に失敗しません。貴方のような冷たい神に、必ず吠え面をかかせてみせますよ」
このシステムを実装してから、彼らは『自分』への敵意と反骨心に満ちた台詞を口にするという新しいお決まりができていた。
『………まあ、頑張れ』
『自分』が何気なくエールを送ってみれば、彼は最後に一度私を睨んでから管理世界へと入っていくのだった。
そろそろ経っただろうか。
今頃なら必罰世界が終わった時と同じ頃になるはずだが、彼の世界はどうなっただろうと覗いてみると……その世界には誰もいなかった。
爆撃でも落とされたのか高いビル群は粉々に砕け、辺り一面には人間の血溜まりが広がり、生きている人間は一人もいなかった。混沌とした様相は必罰世界に似ているように見えるが、違うのは誰もいないことぐらいだろうか。
そんな世界の中心に立ち尽くす彼は、呆然とした表情で涙を流している。一体なにが起こったのかを知るべく、『自分』はこの世界が辿った末路を閲覧してみるのだった。
この世界は自発的に善性を振りまける人間は自由に生きれるが、悪行を為そうとすればまるで糸に括られたかのように『正しい行い』しかできなくなる。
誰もが努力し助け合い、弱者に手を差し伸べ、悪しき人間のみを支配する。
これによりこの理下の悪人達は犯罪どころか陰口すらしなくなり、善良な者達は悪人からの理不尽な仕打ちを受けなくなっていった。
結果『必罰世界』と比較しても、この世界の善良な人間の幸福度と秩序レベルはあちらより高くなったと言える。
………善良な人間、は。
人間という生き物は必ずしも、五体満足で生まれてくるわけではない。そして肉体が健常であっても、その精神が生まれついた時から異常な性質を帯びている場合だって少なくない。そういった半端な人間達はどれだけ正論を説かれたとしても、正しく生きることができない。
ましてや発達障害者のように、価値観と肉体がまともであっても生まれつき『普通』ができない人間達は、社会と自分の噛み合わなさに懊悩せざるをえない。
さらに言うと学び方にも個人差がある。努力を強制したところで、当人が学んだことをしかと理解できなければ無意味なのだ。
だがこの世界は個人に合わせた学習方法をせず、常人ならば問題なくとも劣等者には困難な『一般的』な授業を押し付けてくる。そうなると劣等感とストレスが凝り固まり、精神が病んでいくのだ。
通常ならばそのはけ口として、他者に攻撃することで発散することができる。陰口を初めとする些細な悪いことは、精神の均衡と逃避と発散をするうえで必要なことなのだ。
そして大半の人間はそういった半端者ばかりだ。
操り人形のごとく善行や努力を強いられても、それらを身につける意思がなければ意味がなく、そのくせ悪行や八つ当たりを抑圧される彼らは悪いことだから間違いだからと、劣等感を払拭するための暴力や罵声を無理矢理抑えつけられ、ストレスを発散できず溜め込むことを強いられる。
結果、溜まりに溜まったストレスや鬱のせいで身体に不調をきたし、廃人あるいは死亡する人間が続出するようになってしまった。
そのためかこの世界は、必罰世界とは別方向で人間全体の幸福度が低い。
さらに言うと、この過程で生まれたイレギュラーの性質がまずかった。
理に左右されない彼らは思う様悪行をなし、ほかの者達は悪行……すなわち自衛のための他者への攻撃が行えず、一方的に虐げられる。
必罰世界の末路は『過剰な裁きからの脱却』という一定の大義のもとに反逆していたため、イレギュラー達の精神性そのものはまともだったと思う。
しかしこちらの場合、悪党が無抵抗の人々を虐げて悦に浸る、地獄のような有り様となり果ててしまったわけである。
「なんでだよっ………なんで悪いことするんだよ!? やるなって言ってるだろう!!」
その光景にとうとう我慢の限界が来た彼は激怒し、泣きじゃくりながらイレギュラー達へ天罰を与えた。
しかしこの時点で世界はイレギュラーだらけになっていたため、結果地表の人間達は全て滅んでしまったのだった。
悪行を抑圧するための理が、逆に悪逆を跋扈させてしまったことに、彼は心の底から絶望する。
「なんで………なんでこんなっ……僕の、僕のやったことは……間違いだったの……?」
最終的に、震える手で自らの心臓を抉り、彼は命を絶った。
もしかしたら彼自身の精神も、すでに限界だったのかもしれない。
善人を守るという点でいえば、評価は高いだろう。
だが過剰な抑圧もまた、人間を殺してしまう。
今回の世界は、ほどよい発散がいかに重要であるかの貴重なサンプルとなった。
『………やはり、悪意の矛先を定めたほうが無難か』
そう率直な感想だけを呟きながら、『自分』は人のいないその世界を消去するのだった。




