第3部『民主主義という名の幻想』②
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「ああ、クリフトン君。そのままで良い。ジークも、ちゃんと先生の教えを聞いているかね?」
「お父様! いえ、クリフトン先生の説明はとてもわかりやすいのでしっかりと聞かせて頂いてます」
気がつくと、傍らに居たのは市長だった——元宰相のエルネスト・ガイウス。
己が身のために陛下を死に追いやった張本人。
「いえ。ジーグムント君はとても熱心に学習されておられます。自分の家庭教師など不要なほどに」
「ふむ……“神童”であった君のお墨付きならば安心できるものだな」
そう言ってエルネストはフッと口元を緩める。やはり、コイツであっても人の親、ということか。
そう思った時だった。
「イヤです! 先生、クリフトン先生は辞めないで下さい!」
彼にしては珍しい、大きな声だった。
「お願いします! 先生は、クリフトン先生はボクの家庭教師で居てください!」
必死に自分と、そして父であるエルネストに訴える。
「ほぉ……今まで数々の家庭教師を付けても要らないと言ってきたお前がそうまで言うとはな。クリフトン君、すまないが息子の家庭教師をこのまま続けていてくれまいか」
「……ええ。良いですよ」
その答えを聞いたジーグムント君はパァッと満面の笑みを浮かべた。
「良かった……これからも宜しくお願いします、先生!」
「ああ。こちらこそ、宜しく。ジーグムント君」
「せっかくですので、ボクのことは“ジーク”と呼んでください。ボクも“クリフ先生”と呼ばせてもらいたいので」
「……ええ、構いませんよ、ジーク君」
僕の言葉にジーク君はウンウンと嬉しそうに頷くのだった。
と、そんな僕たちを珍しく微笑みながら見ていたガイウス市長の元に一人の文官が駆け寄る。
「何用だ?」
「すみません。早急に市長の署名を頂きたい書類がありまして。亡くなった思想犯の遺児達への保護費承認の署名です」
「なるほど。……致し方あるまい。貴族制は既に亡くなったのだ。一人の犯罪者の為に一族皆が処罰される時代では無い」
「ハッ、その通りです。今回、保護されたのはトロイ・アッカード、クイリーナ・ペテス、ルスラン・カレイドの3名です」
手渡された書類にサラサラと署名するエルネスト。
…………。
む?
「すみません、良ければその書類、自分にも確認させてもらっても良いですか?」
僕からの突然の言葉に戸惑う文官。当然だろう、本来は部外者なのだから。
だが、もしかしたら、という思いが消えない。
「……構わん。副判事長に見せたまえ」
「ハハッ。これは保護された子供達への生活費の承認証になるのですが……」
「…………いえ、十分です。ありがとうございました」
一瞥で全てを確認し、彼に礼を述べる。
——これは確認すべきことができたようだ。
「先生……どうされたのですか?」
側で見ていたジーク君も不思議そうに尋ねてくる。
「いえ、どうやら自分の勘違いのようです。知り合いの子供なのかと思いまして」
「ああ、先生のお知り合いかと思われたのですね。違って良かったですね」
そう素直に受け取り微笑むジーク君の向こう、エルネスト市長はやや険しげにこちらを見つめていた。
が、ふと相好を崩すと、
「そうか。それならば良かった。我が息子の家庭教師に縁ある者であれば厚遇せねばならなかったところだからな。……もし、知人の子でそのような子がいればいつでも言ってくるがよい」
僕はその声にただ、頭を下げるのだった。
***
裁判所も兼ねる司法省の副判事長室に戻った僕は手元の資料を確認する。
“トロイ・アッカード”
“クイリーナ・ペテス”
“ルスラン・カレイド”
そんなクロノクル市民はいない。
王国時代から、クロノクル市の市民権は厳格に運用されていた。
例え貧民窟の、親が不明の者であっても行政府に所定の申請書を届ければ容易に市民権——市民票を得ることが出来る。両手の指紋と自身の氏名、1人以上の現クロノクル市民の保証サインさえあれば。
その申請書に承認のサインを行うのは最終、ここ司法省となる。
判事長から僕へと投げられた代理業務の一つ。
僕は年に1回、必ず全市民の名簿に目を通している。
その中に、あの3人の名前は——ない。
そして、あの書類にあった保護費の使い道。
学校の教育とその寮の用意のため、という名目で文部省長官のサインと、もう一つは彼らの衣服を購入した店の名前——あのピエラの経営する高級ブティックの名前が記されていた。
何より、あの場にあった彼らの市民票。その写しに記されていた司法省のサイン。
そこには書いた覚えのない僕の署名が記されていた。
***
クロノクル城の奥、宮廷の3階にその部屋はあった。
いつものジーク君への勉強指導。
そこは決して豪華ではないが、しっかりとした作りの衣装棚に本棚、そして子供用であるがこれまた重厚な作りの木の机。
言われなくても見ただけでわかった。
フーギリス陛下の部屋。
結局、僕は陛下の存命中にこの部屋に入ることは無かった。
そして、今はガイウス家嫡男、ジーグムント・ガイウスの勉強部屋。
「すみません、ここは亡き少年王のお部屋なんですが、ここの調度品がすごく落ち着くのでお父様に無理を言ってボクが使わせて頂いてるんです……今日はできたら先生とボクの部屋で勉強ができたら、と思いまして」
そう言ってジーク少年は机の上の本棚から一冊の本を手に取る。
「これ、世界中の様々な生き物達の図鑑なんです。前も言いましたけど、亡き王は勉強がお好きな方だったんですね。世界中のあらゆることを本で知ろうとなされている」
違う。
勉強熱心なのもあるが、それよりも陛下は外の世界に恋い焦がれていたのだ。
いつの日か、自身がその目で外の世界を見ることを夢見て。
だから……あらかじめ、外の世界の色々なことを知っておこうと。
だが、その夢は叶わなかった。
「ここ、見てください。彼が色々と書き込んでるんです。図鑑に」
ふと、ジーク君が手元の図鑑を広げ、指で示す。
そこには、
“海水は塩辛いので飲めないことに注意せよ”
“海は水だけでなく、風や香りすら塩辛い”
“海の生き物たちは塩辛いのにどうして生きていける?”
その書き込みは……彼のものだ。
思い出す——あの時のガゼボでのやり取り。
「こんな書き込みがあらゆる本や図鑑の端々に書かれてるんです。よほど勉強に熱心な方だったんですね。……一度、会って見たかったなぁ」
そうか……ジーク君も陛下と同じ8歳。
ふと、陛下の御姿が重なる。
“朕にまた外の世界のことを教えておくれ、クリフ”
……………………。
「先生? クリフ先生、どうかされましたか?」
え?
「ああ、いや、何……ちょっとホコリが目に入ってね。すまない」
いつの間にか、涙が溢れていたようだった。怪しまれないように、断ってハンカチでぬぐう。
「先生……大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫。ありがとう。……では、勉強を始めようか」
「はい! お願いします」
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