第9話 誰だ
次の日。
ガルドは南門にいなかった。
「ガルドさんは?」
近くの門番に聞く。
「熱が出たらしい」
「昨日の傷?」
「たぶんな」
「大丈夫なの?」
「医者は行ったらしいぞ」
嫌な感じがした。
昨日。
治療した人が言っていた。
熱が出たら、すぐ医者を呼べ。
本当に出たらしい。
昼。
ガルドの家へ行った。
場所は門番に聞いた。
小さな家。
扉を叩く。
「ガルド」
返事がない。
もう一度。
少しして。
「……うるせえ」
中から声がした。
生きてる。
少し安心した。
中へ入る。
ガルドは寝台にいた。
昨日より明らかに顔が赤い。
「全然大丈夫じゃないじゃん」
「年寄りはこんなもんだ」
「絶対違う」
腕には新しい布が巻かれている。
医者には診てもらったらしい。
薬もある。
「ちゃんと飲んだ?」
「飲んだ」
「本当?」
「お前は母親か」
口だけは元気だった。
だから。
たぶん大丈夫だと思った。
しばらくして。
ガルドが机を見る。
「手帳」
「取ればいい?」
「ああ」
渡す。
ガルドはページを開いた。
少しめくる。
そこで手が止まった。
『ロクはいた。』
「ロク」
ガルドが言う。
「思い出した?」
首を振る。
「何も」
しばらく文字を見る。
「でも」
ガルドが言った。
「俺がここまで書いてるなら」
指で文字をなぞる。
「忘れたくなかったんだろうな」
それ以上。
ロクの話はしなかった。
そのあとも。
大した話はしていない。
南門の飯はまずいとか。
ミレナの縫い目は細かすぎるとか。
トーマの煮込みは悪くないとか。
そんな話。
夕方。
俺は立ち上がった。
「明日また来る」
「来なくていい」
「暇だから来る」
「仕事しろ」
「仕事ない」
「探せ」
いつものやり取りだった。
「じゃあ明日」
ガルドは。
面倒そうに手を振った。
それが最後になった。
翌朝。
ガルドは死んだ。
夜中に熱がひどくなったらしい。
昨日の傷から入ったものが体に回った。
医者から説明されたけど。
あまり頭に入ってこなかった。
昨日まで。
普通に話していた。
明日また来ると言った。
来なくていいと言われた。
それだけだった。
昼。
俺は南門へ向かった。
昨日。
ガルドが休んでいると教えてくれた門番がいた。
「ガルドさんのことなんだけど」
門番が首を傾げる。
「誰?」
一瞬。
意味が分からなかった。
「ガルドさん」
「だから誰だ?」
「昨日ここで働いてた爺さん」
「爺さん?」
笑っている。
冗談かと思った。
「昨日、熱出して休んでるって教えてくれたじゃん」
「俺が?」
「そうだよ」
「誰の話だ?」
笑えなくなった。
他の門番にも聞いた。
「ガルド?」
知らない。
「白髪の爺さん。ずっとここで門番やってた」
知らない。
「昨日までいたじゃん」
知らない。
誰も。
ガルドを覚えていない。
俺は走った。
家へ。
「母さん!」
ミレナが驚いて顔を上げる。
「どうしたの?」
「ガルドさん」
ミレナが首を傾げた。
「誰?」
息が止まった。
「南門の門番」
「知らないけど」
「制服直してたでしょ」
「制服?」
ミレナが棚を見る。
青い布の切れ端がある。
数日前。
ガルドの制服を直した時のもの。
でも。
ミレナはそれを見ても。
首を傾げるだけだった。
「……誰のだったかしら」
本当に。
覚えていない。
俺だけだ。
俺だけが。
ガルドを覚えている。
もう一度。
南門へ走った。
門番小屋。
ガルドが座っていた椅子。
机。
古い手帳。
全部ある。
「これ誰のだ?」
門番が手帳を持ち上げる。
「ガルドのだよ」
「ガルドって誰だ?」
また。
俺は手帳を受け取った。
開く。
『小麦』
『石鹸』
『ロクはいた。』
そして。
『アルト 値1』
文字は残っている。
ガルドが書いたものは。
ここにある。
「……いたよ」
思わず言った。
「ガルドは、ここにいた」
手帳を握る。
その時。
門の外から一台の荷車が入ってきた。
俺は何となく。
そっちを見る。
そして。
「止まって!」
気づけば叫んでいた。
御者が驚いて手綱を引く。
「何だ?」
俺自身も分からない。
でも。
荷車の右後ろから目が離せなかった。
「そこ……車輪、見て」
近くにいた門番が確認する。
「え?」
金具が一本。
半分ほど抜けていた。
「危ねえな。もう少し走ったら外れてたぞ」
御者の顔が青くなる。
俺だけが。
動けなかった。
なんで分かった?
少し前まで。
俺にはただの荷車にしか見えなかった。
なのに。
荷物の傾き。
馬の歩き方。
車輪の揺れ。
見た瞬間に。
おかしいと分かった。
そして俺は。
同じことをする人間を知っている。
『見れば分かる』
ガルド。
俺は手帳を見る。
「……嘘だろ」
みんなは忘れた。
ガルドはもういない。
なのに。
あの爺さんができたことを。
今。
俺がやった。




