第4話 1
翌朝。
目が覚めて最初に考えたのは、存在値のことだった。
俺はまだ0だ。
測定所では、
「とりあえず1にする」
なんて言った。
じゃあ、どうすれば1になるのか。
存在値は、その人が周りにどれくらい影響を与えているか。
ミレナはそう言っていた。
昨日。
トーマの店を手伝った。
皿を運んだ。
水を汲んだ。
客から「助かった」とも言われた。
それに。
トーマにも、少し余計なことを言った。
――やりたくないからやめるのと、失敗したくないからやめるのって、ちょっと違うじゃん。
あいつは、あのあと何か考えていた。
これも。
影響と言えば、影響なんじゃないか。
正しいかは分からない。
でも。
分からないなら、試せばいい。
朝飯を食べて、そのまま測定所へ向かった。
受付の職員が俺を見る。
「あ」
絶対、
『0の奴だ』
と思った。
「測りたいんですけど」
「この前やったばかりだろ」
「変わったかもしれない」
「数日で?」
「それを確かめに来ました」
ものすごく面倒そうな顔をされた。
でも測ってくれた。
透明な板に右手を置く。
光が走る。
『0』
「……」
変わってない。
「もう一回」
「同じだと思うぞ」
「一応」
もう一度。
『0』
職員が俺を見る。
「帰れ」
「はい」
今度は素直に帰った。
人の役に立つ。
感謝される。
それだけじゃ駄目なのか。
まあ。
皿を何枚か運んだくらいで存在値が上がるなら、飲食店で働いている人は全員すごいことになる。
少し期待しすぎた。
そのままトーマの店へ向かう。
そして。
店の前で足が止まった。
昨日見た、古い荷車。
埃をかぶっていたはずの屋台が、外へ出されていた。
上には大きな鍋まで載っている。
トーマが布で荷車を拭いていた。
「……何してんの?」
「見れば分かるだろ」
「屋台?」
「そう」
「やるの?」
「今日だけ」
思わず屋台を見る。
昨日まで。
やるかどうか分からないと言っていた。
「急だな」
「うるさい」
トーマはこっちを見ないまま言った。
「昨日、お前にあんなこと言われたからさ」
「俺?」
「親父に頼んだ。一回だけやらせてくれって」
手が止まる。
「俺が言ったから?」
「全部お前のおかげみたいな顔すんなよ」
「してない」
「きっかけだよ」
トーマが荷車を押す。
「やったこともないのに諦めるのも、なんか違うかなって」
きっかけ。
それだけ。
決めたのはトーマだ。
でも。
昨日、俺が何も言わなかったら。
今日、この屋台はここになかったのかもしれない。
「手伝う?」
「タダで?」
「晩飯」
「やっぱり飯目的じゃねえか」
「半分くらい」
「半分もあるのかよ」
結局。
手伝うことになった。
売るのは煮込みだった。
肉と豆と野菜。
店でも何度か食べたことがある。
今日はトーマが作ったらしい。
「味見する?」
「する」
一口。
「どう?」
「普通」
「帰れ」
「待て。うまい方の普通」
「最初からうまいって言え」
日が落ち始めた。
仕事帰りの人たちが通りを歩いていく。
職人。
兵士。
商人。
人は多い。
なのに。
誰も止まらない。
十分。
二十分。
客。
ゼロ。
「……売れないな」
「分かってる」
「声かけた方がよくない?」
「じゃあやれよ」
「俺?」
「手伝うんだろ」
仕方ない。
「煮込みどうですか!」
一人目。
無視。
「温かいですよ!」
二人目。
無視。
「めちゃくちゃうまいですよ!」
横から声が飛んでくる。
「お前、さっき普通って言っただろ」
「営業中なんだよ」
前世の経験が、こんなところで役に立った。
しばらくして。
一人の男が足を止めた。
鍋を見る。
「いくら?」
トーマが固まる。
「おい」
「あ」
「いくら?」
「銅貨六枚です!」
「一つ」
急に声がでかい。
トーマが慌てて煮込みをよそう。
男がその場で一口食べた。
なぜか。
俺まで緊張する。
「……何だよ」
男がこっちを見る。
「いや」
トーマが聞いた。
「どうです?」
必死すぎる。
男はもう一口食べた。
「うまいよ」
それだけ。
でも。
「ありがとうございます」
トーマが笑った。
そのあと。
少しずつ客が来た。
全部は売れなかった。
むしろ結構余った。
大成功とは言えない。
店じまいのあと。
トーマの父親が売上と材料代を確認する。
しばらく計算して。
「これじゃ食っていけんな」
トーマの顔が固くなる。
まあ。
俺でもそう思う。
「でも」
父親が続けた。
「初日ならこんなもんだ」
それだけ言って店へ戻った。
俺とトーマで屋台を片づける。
「どうだった?」
聞いてみる。
「疲れた」
「それだけ?」
「誰も来ない時、めちゃくちゃ怖かった」
「俺も帰りたかった」
「お前は帰れただろ」
確かに。
トーマが鍋を持ち上げる。
「でも」
少しだけ笑った。
「楽しかった」
叔父さんの仕事について話していた時とは。
顔が違った。
翌日。
俺が店へ行くと、トーマがちょうど戻ってきたところだった。
「どこ行ってたの?」
「叔父さんのところ」
「あ」
例の商会。
「仕事の話?」
「断ってきた」
思わず顔を見る。
「マジで?」
「屋台一本で食ってくとかじゃねえぞ」
しばらく父親の店で働く。
料理を覚える。
金を貯める。
その間、休みの日に屋台を出す。
それでも続けたいと思ったら。
自分の店を目指す。
「叔父さんには悪いけど」
トーマが言った。
「何もしないで諦める方が、後悔しそうだから」
昨日まで。
こいつは叔父さんの商会へ行くはずだった。
今日は。
違う。
俺が決めたわけじゃない。
トーマが自分で考えて。
自分で選んだ。
でも。
「お前にあれ言われなかったら」
トーマが頭をかく。
「たぶん、そのまま叔父さんのところ行ってた」
その言葉で。
昨日の測定盤が頭に浮かんだ。
『0』
昨日は変わらなかった。
でも。
今なら。
「トーマ」
「何?」
「ちょっと行ってくる」
「どこに?」
「測定所」
「また?」
「また」
走った。
測定所へ着く。
受付の職員が俺を見る。
「……お前、昨日も来たよな」
「今日は違います」
「毎回そう言ってないか?」
「いいから一回だけ」
透明な板に右手を置く。
光が走る。
数字が出た。
『1』
「……え」
見間違いかと思った。
でも。
何度見ても。
『1』
職員も黙っている。
別の板でも測った。
『1』
同じ。
「……1だ」
普通の人なら。
四十とか五十。
たった1。
全然すごくない。
それなのに。
嬉しかった。
思っていたより。
ずっと。
昨日。
何人かに感謝されても0だった。
今日。
トーマが一つ、自分の人生を変えた。
それで上がったのか。
まだ分からない。
たまたまかもしれない。
でも。
一つだけ確かなことがある。
0じゃない。
俺の存在値は。
1になった。




