第15話 使える
南門拾遺分室の受付。
俺が裁ちばさみを指すと。
女性は、しばらく答えなかった。
「それも、本当にいらないんですか?」
もう一度聞く。
女性は裁ちばさみを見る。
そして。
小さく息を吐いた。
「……どうして分かったんですか?」
逆に聞かれた。
「いや。それは俺も分からないんですけど」
本当に分からない。
ただ。
この女性は。
あの裁ちばさみを手放したくない。
それだけが。
なぜか分かった。
受付の職員が。
裁ちばさみを女性の前へ置く。
女性は少し迷ってから。
それを手に取った。
「昔、このはさみで仕事を教えてもらったんです」
女性は。
若い頃。
裁縫工房で働いていたらしい。
この道具が見つかったのも。
その工房だった。
ただ。
そこで誰から仕事を教わったのか。
その人の名前は。
もう思い出せない。
それでも。
初めて布を切ったこと。
何度も失敗したこと。
この裁ちばさみを使って練習したこと。
その記憶は残っていた。
「だから……本当は欲しいです」
女性が言う。
俺は首を傾げた。
「じゃあ、なんでいらないって?」
「他にも、昔そこで働いていた人がいるので」
女性は裁ちばさみを握ったまま答える。
「私だけ持って帰るのも悪いと思って」
なるほど。
欲しくないわけじゃない。
遠慮していた。
そこまで聞いて。
俺はさっき自分に起きたことを整理する。
俺には。
この裁ちばさみの持ち主が分かったわけじゃない。
女性が嘘をついていると分かったわけでもない。
ただ。
この女性が。
何を手放したくないと思っているのか。
そこだけが分かった。
「アルトさん」
後ろからセインの声がした。
ベルクの資料を職員へ渡し終えて。
こっちへ来たらしい。
「今の、また《残響》ですか?」
「たぶん。でもガルドのとは違う」
俺は。
さっきまで読んでいたベルクの手帳を思い出す。
『相手が最初に見る物を覚える』
『取られたくない物の前に立つ』
『一番嫌がる物から触れば話が早い』
「……ベルク?」
俺が言う。
セインも少し考えてからうなずいた。
「ベルクさんがやっていたことに似てますね」
ベルクは。
人の様子を見て。
その人が何を失いたくないのかを探していた。
視線。
立つ場所。
手の動き。
何年も。
それを取り立てに使っていた。
そして。
ベルクのことを調べた直後。
俺にも。
似たようなことが起きた。
「ベルクの《残響》ってことか?」
「可能性は高そうです」
でも。
まだ決めつけるのは早い。
ガルドの時と違って。
ベルク本人を知っていたわけでもない。
いつ。
どうして。
《残響》が残るのか。
そこは相変わらず分からない。
ただ。
一つはっきりした。
《残響》は。
全部同じ能力じゃない。
ガルドの時は。
荷車や縄の異常に気づいた。
今度は。
人が手放したくない物に気づいた。
「人によって、残るものが違うのかもしれないな」
俺が言う。
「それも、もう少し試してみないとですね」
セインが答える。
珍しく慎重だ。
たぶん。
その方が正しい。
俺は受付の女性を見る。
「あと、理由までは分からなかった」
裁ちばさみを欲しがっていることは分かった。
でも。
なぜ欲しいのか。
本人から話を聞くまで分からなかった。
セインもそこに気づいたらしい。
「持ち主が分かる能力でもないですね」
「ああ」
手放したくない。
それだけ。
理由は。
思い出かもしれない。
金になるからかもしれない。
誰かに渡したくないだけかもしれない。
つまり。
これだけで答えが全部分かるわけじゃない。
それでも。
「かなり使えるけどな」
俺は言った。
これは本音だった。
その日の午後。
早速。
ベルクらしい《残響》が役に立った。
分室の受付に。
三十代くらいの男が相談へ来た。
男の親族が亡くなったあと。
古い倉から、持ち主の分からない物がいくつも見つかったらしい。
職員が。
確認のために男を呼んだ。
俺とセインも。
少し離れた机で、その様子を見る。
受付の机には。
古い時計。
小さな木箱。
何冊かの本。
銀貨。
錆びた鍵。
一つずつ。
職員が確認していく。
「この時計に見覚えは?」
「ないです」
「こちらの木箱は?」
「それも分かりません」
「では、この鍵は?」
男が鍵を見る。
一瞬だけ。
視線が止まった。
俺にも。
すぐ分かった。
この人。
あの鍵を手放したくない。
俺はセインを見る。
セインも気づいて。
小さくうなずいた。
俺は受付の職員へ声をかける。
「その鍵だけ、もう少し聞いてみてもいいですか?」
職員が男を見る。
「何か思い当たることはありませんか?」
男は少し黙った。
それから。
「……昔」
話し始める。
子供の頃。
祖父に連れられて。
小さな倉へ行ったことがある。
その扉に。
こんな形の鍵が使われていた気がする。
ただ。
倉がどこにあったのか。
今は覚えていない。
そこから。
拾遺局の職員が土地の記録を調べた。
しばらくして。
男の祖父が昔使っていた倉が見つかった。
持っていった鍵を試すと。
扉が開いた。
俺が分かったのは。
男が鍵を手放したくないことだけ。
でも。
そこから話を聞いたことで。
新しい記録につながった。
「……便利だな」
分室へ戻る途中。
俺が言う。
横を歩くセインが笑った。
「かなり楽しそうですね」
「いや、面白いだろ」
何かを見る。
気づく。
そこから。
今まで分からなかったことが分かる。
普通に楽しい。
ガルドの《残響》。
ベルクらしい《残響》。
使い方は全然違う。
しかも。
まだ何ができるか全部は分かっていない。
もっと試してみたい。
そう思った。
それから一週間。
俺は拾遺分室の仕事を何件か手伝った。
すべての案件で《残響》が使えるわけじゃない。
何も感じないことも多い。
それでも。
荷車の異常を見つけたり。
誰かが本当に残したがっている物に気づいたり。
俺がいることで。
調査が少し早く進むことが増えた。
ある朝。
俺が拾遺分室へ入ると。
奥の机にいた職員から声をかけられた。
「アルトさん、こっち少し見てもらえますか?」
最初は。
セインの後ろについて歩いていただけだった。
今は。
俺が来るのを待って。
相談してくれる人がいる。
その日の帰り。
セインと南門近くの通りを歩いていると。
セインが言った。
「アルトさん、この仕事向いてるかもしれませんね」
「俺も少し思ってる」
忘れられた人が残したものを調べる。
《残響》が使える。
人の役にも立つ。
そして。
俺にしかできないことがある。
そこは。
かなり好きだった。
セインと別れたあと。
俺は存在値を測れる施設の前で足を止めた。
拾遺局の仕事を始めてから。
人と関わることが増えた。
俺が何か言うことで。
調査が進むことも増えた。
だったら。
少しくらい。
存在値も上がっているかもしれない。
そう思った。
施設へ入る。
測定器に手を置く。
少し待つ。
数字が表示された。
『4』
「……お」
顔を近づける。
4。
この前まで。
1だった。
普通の人なら。
まだかなり低い。
でも。
俺は0から始まった。
0から1。
1から4。
ちゃんと。
上がっている。
「ふふ」
思わず笑った。
《残響》が使える。
人の役に立つ。
俺を頼ってくれる人も増えた。
そして。
存在値も上がる。
全部。
思っていたより。
かなり気分がよかった。




