第9話:王都から来た後輩は、報告がお上手
本日の荷:来客一名と、紙束一つ(どちらも王都より、無事到着)。
雨の晩だった。差配所の戸が叩かれ、外套の頭巾を目深に被った旅装の娘が、滑り込むように入ってきた。
頭巾の下から出てきた顔に、私は思わず立ち上がった。
「……フィオナさん?」
「お久しぶりです、先輩」
フィオナ・リッツ。ヴァルガ商会の経理部にいた、三つ下の後輩だ。在職中、私の月次の数字を一度も間違えずに転記してくれた、唯一の人でもある。
「お元気そうで何よりです。三月ぶりの再会の挨拶としては、ひとまず——なぜここに? 王都からアルバまで、女性の一人旅は危ないでしょう」
「商用です。経理部の出張ということになっています。書類上は」
彼女は外套の下から、油紙の包みを取り出した。机に置く。紐を解く。
現れたのは、見覚えのある紙束だった。三百枚。表紙に私自身の字で『引き継ぎ書』。
「……これは、どうして」
「燃やせ、と専務が命じました。なので、燃やしたことにして、保管していました。経理部の倉庫は広いんです」
フィオナさんは雨に濡れた前髪を直しもせず、淡々と続けた。
「お返しします。今の商会にこれを使う資格はありませんし、この先、先輩の身の潔白を証明する物証になります。『改竄者』は完璧な引き継ぎ書を残しません」
「……助かります。ですが、これを持ち出したと知れたら、あなたが」
「ですから、今夜のうちに要点だけ。聞いてください、先輩。報告が三件あります」
彼女は、指を一本立てた。
「一件目。王都の今朝の荷止め、三件。北市場、織物街、東門。先月の同じ日は一件でした。ヴァルガの稼働率は六割を切っています。御者の離職が止まりません。賃金の遅配が始まったからです」
二本目。
「二件目。専務バルドは近日中にアルバへ向かいます。表向きは『違法差配の摘発』。ですが本当の目的は違うと思います。専務は焦っています。商会長が、最近、専務を見る目を変えたので」
「商会長が?」
「はい。……これが三件目です。先輩、これだけは伝えたくて来ました」
フィオナさんは、初めて声を落とした。
「先輩の解雇を決裁したのは、専務ではありません。経理部で、私は精算書類を見ました。先輩の退職金の算定書には、商会長ガレオン様の直筆の指示が入っていました。日付は——解雇の二十日前です」
雨音が、急に大きく聞こえた。
二十日前。バルド専務が倉庫の二階で「本日付けで解雇だ」と芝居がかって宣告する、二十日も前に。
私の退職は、決まっていた。
「専務は、踊らされただけです。先輩を憎んでいたのは本当でしょうけど、その憎しみを焚きつけて、引き金を引かせた人が別にいる。そして今、専務に張り付いている書記官——あれは商会長の私設の人間です。商会の名簿に載っていません」
「……フィオナさん。一つ訊いても?」
「どうぞ」
「なぜ、そこまで調べてくれたんですか。危険を冒して、ここまで届けてくれた理由は」
彼女は少し黙った。雨音の間、伏せられた目が何かを数えるように動いて、それから、いつもの淡々とした声に戻った。
「……先輩の月次は、転記していて気持ちがよかったので。数字の合わない帳簿を作る人たちより、合う帳簿を作る人の側につきます。経理として当然の判断です」
それは答えの半分だ、と分かった。残りの半分を、彼女は油紙と一緒に包んで持ち帰るつもりらしい。詮索はやめておこう。荷は、開けてくれと言うまで開けないものだ。
「今夜の宿はティナさんの灯火亭へ。明日の朝の便で戻られるなら、ヴェルン経由が安全です。ガッシュさんの隊に頼みましょう」
「はい。……あの、先輩」
戸口で、フィオナさんは一度だけ振り返った。
「商会で、先輩の引き継ぎ書を読んだのは私だけでした。全頁、読みました。あれを『落書き』と呼んだ人たちが今どうなっているか、王都で毎朝、見ています」
彼女は、ほんのかすかに笑った。
「……ええ、もう始まってますよ、先輩。先輩が三年かけて組んだ流れが止まる音が、王都中でしています。私はそれを、特等席で記録しておきます。いつか必ず、その記録が要る日が来ますから」
報告のお上手な後輩は、雨の中へ戻っていった。
残された机の上で、三百枚の引き継ぎ書が、ランプの灯りに照らされていた。
読まれない引き継ぎ書ほど悲しいものはない——あの日、私はそう思った。訂正しよう。一人でも読んだ人がいたのなら、書いた甲斐は、あったのだ。
お読みいただきありがとうございます。クール後輩・フィオナ、本格参戦です(彼女の「残り半分」の理由は、いずれ)。そして明かされた解雇の真相の一端——黒幕は若旦那ではない? 次話、大型回です。「霜月祭に、荷は届かない」。ブックマーク・評価、よろしくお願いします!




