第72話:規則を選ぶ手は、嘘をつきます
本日の荷:規則、一冊。
軍需監ハウザーの査問は、査定会の五日前に行われた。場所は王宮商務局の一室で、会計検査院の役人が三人、辺境伯家からセドリックさん、そして呼ばれた側に私。三年前にヴァルガ商会の横流しを暴いたのと、同じ建物の同じ階だった。
ハウザーさんは灰色の官服を几帳面に着て、背筋を伸ばして座っていた。
「軍需監殿。四百俵の払い下げについて、伺います」
「規定の手続きに則っております」
「古米処分の要件は」
「保管三年を超え、量目が規定の八割を下回るものでございます」
「四百俵は、徴発から払い下げまで、七日です」
「量目が、規定の八割を下回っておりました」
役人が顔を上げた。「七日で?」
「徴発された麦は、村の蔵に長く置かれていたものでございます。当方の責ではございません」
*
それはたいへん見事な答弁だった。嘘は一つもない。徴発した麦の量目が足りなかったのは事実である。冬を越した村の蔵の麦は、どこも目減りしていた。規則にはこうある。量目が八割を下回れば、古米処分。ハウザーさんは、その規則に従った。
「規則は、嘘をつきません」
彼は静かに言った。「私が申し上げているのではございません。規則が、そう申しております」
私はその言葉を、三度目に聞いた。北の蔵の前で一度、書式の返事のたびに一度、そしていま。同じ声で、同じ抑揚で、同じ言葉が出てくる。
*
「軍需監殿。よろしいでしょうか」
私は机に一冊の綴りを置いた。「王宮兵站府の例規集です。今年の版です」
「存じております。私が編みました」
「はい。あなたが編まれました」
私は頁をめくった。「古米処分の要件は、第百十二条です。『保管三年を超え、かつ量目が規定の八割を下回るもの』——」
私は指を止めた。「この『かつ』が、去年の版では『または』でした」
検査院の役人の筆が、途中で止まった。書き取っていた条文と、いま読み上げられた条文が、一字だけ違うことに気づいた顔だった。
「去年の版では、三年を超えていなくても、量目が足りなければ処分できました。今年の版では、両方を満たす必要があります」
私は去年の例規集を出し、今年の版の隣に並べた。装丁も厚みもほとんど同じで、背表紙の年号だけが違う。
「軍需監殿。あなたは今年、この条文を厳しくなさいました。素晴らしいご判断です。……ですが、四百俵は、今年の三月に処分されています」
「……」
「今年の条文では、処分できません。三年を超えていませんから」
*
「なぜ、去年の条文をお使いになったのですか」
私は二冊の例規集を、今度は開いたまま並べた。
「答えは簡単だと思います。今年の条文では処分できないので、去年の条文を使った。それだけです」
「改定の周知が、間に合わなかったのでございましょう」
「周知の日付を調べました」私は、三枚目の紙を出した。「改定の周知は、去年の十二月八日。四百俵の処分は、今年の三月二十二日。三月半、間が空いています」
ハウザーさんは答えなかった。答えないという答え方を、この方はよくご存知だった。
「軍需監殿」
私は例規集を閉じた。「規則は、嘘をつきません。それは本当です。私も、あなたに教えていただきました」
彼がこちらを見た。笑みは、まだ顔に載っている。
「ですが、規則は、自分では立ち上がりません。棚から降りてきません。誰かが選んで、開いて、指を差します」
私は二冊の間に指を置いた。「規則は嘘をつきませんが——規則を選ぶ手は、嘘をつきます」
*
ハウザーさんはしばらく二冊の例規集を見ていた。それから初めて、椅子の背に体を預ける。背筋の伸びていた男が、すこし縮んで見えた。
「……差配役殿」
「はい」
「私は、十八年、一度も命じられておりません」
「存じております」
「一度もでございます。『こうせよ』と言われたことは、一度もない。……ただ、閣下が『困ったことだな』とおっしゃると、翌朝には、私の手が動いております」
彼は天井を見た。二十年ぶんを、そこに並べて数えているような目だった。
「最初は、気が利くと褒められました。二度目は、当然のようになりました。十度目には、私が起案しないと、部屋の空気が悪くなりました」
「……」
「二十年目に、私は、命じられていないことに気づきました」
ハウザーさんは、乾いた笑いを漏らした。笑い声というより、息が喉に引っかかった音だった。
「気づいたときには、私の名だけが、四十八枚の紙に残っておりました」
*
罷免はその日のうちに出た。罪状は「例規適用の誤り」。ガルド監も、ロッシュ徴発官も、同じような文言で落ちた。三人とも、軍務卿の名は出ていない。
部屋を出るとき、ハウザーさんが私を呼び止めた。
「差配役殿。一つ、申し上げます」
「はい」
「閣下は、査定会に出られます」
「聞いております」
「あの方が、自ら席につかれるのは、十八年で二度目でございます」
「一度目は」
「先代の兵站府長官が、閣下に決裁を求めた日でございます」ハウザーさんは、静かに言った。「その長官は、翌月、南方へ転じました」
彼は一礼し、扉のほうへ体を向けた。灰色の官服は、査問の前と同じように皺ひとつ無かった。
「……お気をつけて。あの方は、何もなさいません。何もしないだけで、人が消えます」
横断役ハウザー、決着です。第二部のヴェインが「尻尾を切って逃げる」型だったので、この人は逃げない敵にしました。毎回、正面から合法です。決め手は例規集の「かつ」と「または」——たった二文字の差でした。「規則は嘘をつきませんが、規則を選ぶ手は嘘をつきます」は、この章の題です。そして最後の告白。命じられていないのに動く手が、二十年で作られていく過程を書きたかった。次回から最終章。ロイドと軍務卿レーゲンが、同じ部屋で向かい合います。ブックマーク・評価・感想、何よりの帰り荷です!




