第70話:名を書かない人は、書かないことで署名している
本日の荷:空白、十八年ぶん。
王都へ発つ前の晩、私はアルバの帳場で、フィオナさんが写してきた四十八件を日付順に並べ直した。空白のある綴りだけを、日付で。
「ロイド。何やってんの」
ティナさんが、湯を持って入ってきた。
「日付を数えています」
「中身は?」
「見ません。中身は、フィオナさんがもう見ました。私が数えるのは、日付です」
「……なんで日付」
私は紙を指した。「たとえば、この徴発令。起案は三月十一日です。ですが、この日、王都の兵站蔵に麦が無いと分かったのは、いつでしょうか」
「知らないわよ」
「三月十日です。北からの報せが着いた日です。私も同じ日に受け取っています」
「一日で起案したの? 早くない?」
「早いです」私は、次の紙を出した。「では、この前渡金。銀八万。起案は十一月二日。ヴェルンで麦の値が動き始めたのは、十一月一日です」
「……これも一日」
「四十八件、全部そうです」
ティナさんが椀を置いた。「全部?」
「全部、前日です」
*
私は《流路図》を思い出していた。荷と路の流れが光る線として見える、師匠に仕込まれた私のただ一つの取り柄。その見方には続きがある。
流れを見るとき、水そのものは見ない。水が「いつ、どこで」曲がったかを見る。曲がった点の手前には、必ず、曲げたものがある。
書いていないものは読めない。だが、書かれた日付は曲がった点だ。
*
王都に着いて最初に会いに行ったのは、軍需監ハウザーさんだった。
例によって、彼はたいへん丁寧に私を迎えた。茶が出た。
「差配役殿。東部からの借り入れ、見事なお手並みでした」
「恐れ入ります」
「これで北の兵糧は三月分。徴発の必要もなくなり、村も助かる。……良いことばかりですな」
「一つ、お伺いしてもよろしいですか」
「なんなりと」
「なぜ、四十八回も起案なさったのですか」
ハウザーさんの手が茶碗の縁でほんの少し止まった。止まったのは一瞬だった。
「軍需監の職掌でございます」
「職掌であれば、押し付けられた案件も、断った案件もあるはずです。ですが四十八件、すべてあなたの起案です」
「私が有能だからでございましょう」
「では」私は、紙を出した。「この四十八件が、すべて『前日』に起案されている理由は、なんでしょうか」
*
紙には二列しか書いていない。左が、事が起きた日。右が、起案の日。北の蔵が空になった日と徴発令の起案日、ヴェルンの相場が動いた日と前渡金の起案日、ゼルトの不作が報告された日と買上価格の改定日。四十八行、すべて一日違い。
「軍需監殿。私は物流の人間なので、こう考えます」
私は、紙を彼のほうへ滑らせた。
「王都から西部まで、早馬で三日です。東部までは四日。北方までは八日。……つまり、事が起きて、報せが王都へ着くまでに、三日から八日かかります」
「……」
「ですが、この四十八件は、事の翌日に起案されています」
私は指を紙に置いた。「あなたは、報せが着く前に、書き始めています」
ハウザーさんは茶碗を置いた。置く音が、思ったより大きかった。
「先に知っていたのでしょう」私は言った。「いつ、どこが、どう詰まるか。あなたはそれを、事が起きる前から知っていた。……知らせた人がいます」
「憶測でございます」
「はい、憶測です。ですから、憶測でない話をします」
私は二枚目の紙を出した。「この四十八件の、軍務卿の決裁欄は空白です。ですが、その後始末の綴りには、必ず判があります。得をした処理にだけ、判がある」
「判があることは、罪ではございません」
「ええ。判が『無い』ことも、罪ではありません」
私は紙を二枚並べた。「ですが——無い場所と、有る場所が、十八年、一度も入れ替わっていないなら。それはもう、癖ではありません」
私は彼の目を見た。「規則です」
*
ハウザーさんは長いこと黙っていた。その顔から、初めて、あの人当たりの良い笑みが消えた。消えたあとに出てきたのは、意外なほど疲れた、四十がらみの官吏の顔だった。
「差配役殿」
「はい」
「規則は、嘘をつきません」
「はい」
「私は、規則に従っただけでございます」
「どの規則にですか」
彼は答えなかった。答えられる規則が無かったのだと思う。軍務卿は命じていない。命じられていないことに従う規則は、この国のどこにも書かれていない。
*
兵站府を出ると、通用門の陰にフィオナさんが立っていた。いつもの写字方の装いで、いつもの平らな顔で、しかし手が少し震えている。
「先輩」
「ご無事で」
「四十八件、写しはすべて外に出しました。辺境伯家のセドリック様へ」
「よくやりました」
「……先輩」フィオナさんは、抱えた綴りを見た。「これで、あの方を止められますか」
私は少し考えた。「止められません」
「え」
「四十八件では足りません。あの方は『知らなかった』と言えます。言えてしまいます」
「では、どうすれば」
「十八年ぶん、数えます」
私は通用門の向こうの、灰色の建物を見上げた。「四十八件が癖なら、十八年ぶんは、その人の顔です」
「書いていないものをどう証明するか」の回です。答えは、書かれた日付でした。事が起きた日と、起案の日が、四十八回とも一日違い——早馬より速く紙が動いていたことになります。ロイドが物流の人間だから出せた証明です。ハウザーの笑みが消えて、疲れた官吏の顔が出てくるところを書きたかった。彼は本当に、規則に従っていたのだと思います。従う先が、書かれていない規則だっただけで。次回、彼の決着です。ブックマーク・評価・感想、何よりの帰り荷です!




