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「無能」と追放された倉庫番ですが、王都の物流は私が回していました 〜寂れた宿場町を交易の要にしたら、古巣の大商会が静かに崩壊していくようです〜  作者: 夜凪レン


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第69話:王都の帳場に、空白がある

 本日の荷:書かれなかった一行。


 ——王都。軍務卿の帳場。


 フィオナ・リッツは、綴りを両手で抱えて廊下を歩いていた。写字方の下働きは朝から晩まで紙を運ぶ。決裁の済んだ綴りを書庫へ、書庫から古い綴りを執務室へ。運ぶだけの仕事だから、誰も彼女の顔を覚えていない。半年、そうしてきた。顔を覚えられないというのは、この帳場ではいちばんの美徳である。


「おい、写字方」


「はい」


「二年前の兵站の綴りを出せ。北方の分だ」


「かしこまりました」


 言われた棚から、言われた綴りを出す。ついでに、その隣の棚も見る。運ぶ手は、めくる手でもある。


 半年で、フィオナが数えたものは一つだった。空白。軍務卿レーゲンの決裁欄が空いている綴りが、今年に入って四十八件。


 最初は単に多忙なのだと思った。軍務卿は王国軍の最上位である。すべての紙に判を押していたら日が暮れるし、次官の代決で足りる案件はいくらでもある。


 だが、四十八件を並べたとき、フィオナは首を傾げた。空いているものと押してあるものの、区別がつかないのだ。金額でもない。緊急度でもない。案件の大小でもない。銀二千の営繕には判があり、銀八万の前渡金には無い。基準が、無い。基準が無いというのは、経理にとっていちばん気持ちの悪い状態である。


   *


 フィオナは書庫の隅で、四十八件を紙に写した。日付、件名、金額、起案者、合議、承認。そして、空白。三日、眺めた。


 四日目の朝、彼女は綴りを運びながら、ふと足を止めた。空白のある案件は、どれも、あとから何かが起きている。輜重の払い下げ、前渡金、徴発令、買上価格の算定。——そのすべてに、後日、別の綴りがぶら下がっているのだ。


 払い下げた麦が御用商へ流れた綴り。前渡金で買った麦が軍へ高値で戻った綴り。徴発した麦が砦ではなく王都の倉へ入った綴り。そこには、ちゃんと判が押してあった。軍務卿の判が。


   *


 フィオナはその晩、宿の行灯の下で線を引いた。二本の線である。


 一本目——「動かす」紙。誰かに損をさせる決定。ここには、判が無い。


 二本目——「片づける」紙。動いたあとの処理。ここには、判がある。


 彼女はしばらく線を見ていた。それから、書き足した。


『損をさせる決定には署名しない。


 得をした結果には署名する。』


 筆が止まった。これは癖ではない。訓練された技術だ。


 もう一つ、フィオナが気づいたことがある。空白の綴りは、必ず起案が軍需監ハウザーだった。四十八件、すべて。ハウザーが起案し、三課が合議し、次官が承認し、軍務卿の欄だけが空く。


 つまり、こうだ。誰かが咎められるとき、名が出るのはハウザーである。次官である。三課である。軍務卿はその紙を「見ていない」ことになっている。見ていないので、責任がない。


 ——では、ハウザーはなぜ、四十八回も起案したのか。命じられていないのに、四十八回も。


   *


 その答えを、フィオナは五日目に見た。執務室へ綴りを運んだとき、軍務卿レーゲンとハウザーが窓辺で話していた。


「北の四千だが」軍務卿は、窓の外を見たまま言った。「二十日で麦が尽きるそうだ。困ったことだ」


「はい」


「困ったことだな」


 それだけだった。軍務卿はそれきり黙り、湯を飲んだ。ハウザーは一礼して部屋を出て、その日のうちに徴発令を起案した。


 フィオナは綴りを抱えたまま、廊下で立ち尽くした。命令が、無い。命令が無いのに、荷が動いた。


   *


『先輩。


 やっと形が見えました。長くなりますが、書きます。


 軍務卿レーゲンは、命令を出しません。困ったな、と言うだけです。


 言われた側が、忖度して起案します。起案した紙には、その者の名が残ります。軍務卿の欄は空きます。


 結果として得をした処理には、判を押します。得は受け取り、責は受け取らない。


 これを、十八年やっています。


 ……先輩。私は経理ですから、こう申し上げます。


 この方は、一度も不正をしていません。


 一度も止めなかっただけです。


 そして、止めなかったことを、証明する方法が、私には分かりません。


 書いていないものは、どうやっても、読めません』


   *


 アルバの帳場で、私はその書簡を三度読んだ。読み終えて、しばらく天井を見ていた。それから筆を執って、たった二行だけ返事を書いた。


『フィオナさん。


 書いていないものは、読めません。ですが、書かなかった日付なら、数えられます』

第三部で初めての、フィオナ視点回です。二画面構成の王都側カメラですが、今回は本人が主役です。半年、綴りを運びながら空白だけを数えていた——地味で、危険で、この作品らしい潜入だと思います。「損をさせる決定には署名しない。得をした結果には署名する」。レーゲンの正体が、ここで言葉になりました。彼は一度も不正をしていません。一度も止めなかっただけです。そしてロイドの返事が二行。書いていないものは読めないが、書かなかった日付なら数えられる——次回、そこを突きます。ブックマーク・評価・感想、何よりの帰り荷です!

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