↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「無能」と追放された倉庫番ですが、王都の物流は私が回していました 〜寂れた宿場町を交易の要にしたら、古巣の大商会が静かに崩壊していくようです〜  作者: 夜凪レン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
63/66

第63話:買い占めた麦は、出さなければただの重さです

 本日の荷:出せない在庫、五千俵。


 その冬、ヴェルンの麦の値は銀四十で止まった。タウル氏の読みでは春に七十まで行くはずだった。四十で止まったのは、飢えた人が減ったからではない。飢えた人が、春まで待てるようになったからだ。待てる人は、高い麦を買わない。


「見事なものです」


 タウル氏は新しい倉の帳場で私を茶に招いた。招かれる筋合いはなかったが、断る理由もなかった。


「回転を上げるとは、考えましたな。同じ麦で、倍の腹を満たす。……あなたは、麦を作らずに麦を増やした」


「増やしてはいません」


「商いの上では、増えたのと同じです」彼は茶を注いだ。「値が上がらないのですから」


 彼の指は相変わらず細くて綺麗だった。倉に五千俵を抱えて値が上がらない男の指には、見えなかった。


「差配役さま。私は、あなたを恨んでおりません」


「それは、どうも」


「商いは、読みが外れれば損をします。それだけのことです」タウル氏は笑った。「ただ、私は損をしません」


「……と、おっしゃると」


「買い手が、もう決まっておりますので」


   *


 嫌な予感は、たいてい荷の量で当たる。三日後、軍需監ハウザーさんの名で通達が回った。


『北方動乱の長期化に伴い、戦時兵糧の追加確保を要す。ヴェルン所在の穀物商タウルの手持ち五千俵を、軍が一括して買い上げるものとする。買上価格は一俵につき銀六十八』


 私はその紙を持ったまま、しばらく動けなかった。銀二十四で買い、銀六十八で軍に売る。差額は一俵につき銀四十四、五千俵で銀二十二万。原資は軍の前渡金である。つまり、軍の金で麦を買い、その麦を軍が高値で買い戻す。合法だった。ふたたび、完璧に。


   *


「先輩、これ、詐欺じゃないんですか」ユーゴが、通達を睨みつけて言った。


「詐欺なら、捕まえられるんですけどね」


「捕まえられないんですか」


「前渡金は正規の手続きです。買上価格は、王都の相場から算定されています。王都の相場は、ヴェルンの相場より高い。値を吊ったのはタウル氏ではなく、市です」


「じゃあ、悪いのは誰なんですか」


 私は答えられなかった。これが三度目だった。ガルド監もハウザーさんもタウル氏も罪を犯していない。それぞれの持ち場でそれぞれ正しく振る舞い、その結果として王国の麦が高値で軍に流れ、村の子どもが藻を食べている。誰も悪くない。そういう形の悪意が、この世にはある。


 私はそれを見つけるのが遅い。いや——見つけるのが遅いのではない。探す場所を間違えている。私はずっと悪意を人の顔の中に探してきた。表情や口調や、目の据わり方の中に。だから顔の良い人に何度も出し抜かれる。悪意は顔には出ない。日付に出る。金額に出る。書式の版に出る。私が読めるのは、そちらのはずだった。


   *


 その晩、私はアルバの帳場で通達をもう一度読んだ。三度目に読んだとき、一行に指が止まった。


『ヴェルン所在の穀物商タウルの手持ち五千俵を』


 手持ち。私は算盤を引き寄せた。タウル氏が買い占めた麦は確かに五千俵だ。それは私も数えている。だが——それは、いつ数えた数字だろう。この通達に書かれた「五千俵」は、誰が数えたのか。


 答えは簡単だった。タウル氏が、自分で申告した。軍需監は倉を見ていない。


 私はゆっくり息を吐いた。どこかで聞いた話だ。荷が着く前に、受領印が来る。


   *


 翌朝、私はヴェルンの公倉の記録を洗った。冬のあいだタウル氏の倉へ入った荷車の台数と、一台あたりの積載。西部環状線の五拠点は通行するすべての荷車を記録している。二年前、関所の二重帳簿を暴くために作った仕組みだ。通した者が、いちばんよく数えている。


「ユーゴ。トゥーレとカヴァルとレームに使いを。冬のあいだ、タウル氏の倉へ向かった荷車の台帳を、全部集めてください」


「何を数えるんですか」


「入った麦の量です」


 三日で数字が揃った。台数は延べ六百二十四台、積載は一台につき五十貫から六十貫。俵に直すと、多く見積もって三千八百俵。五千には、千二百足りない。


   *


 私はその差を持って王都へ発つことにした。もっとも、王都へ行ったところで軍需監に会えるとは限らない。ハウザーさんはたぶん丁寧に私を迎え、丁寧に書式の不備を指摘し、丁寧に追い返す。だから、行き先は兵站府ではなかった。


 王都を発つ前夜、フィオナさんの書簡が届いていた。


『先輩。買上の決裁綴りを見ました。


 起案は軍需監ハウザー。合議に兵站府の三課。承認欄まで、すべて判が揃っています。


 軍務卿の決裁欄だけ、空白です。


 ——先輩。この空白、今年に入って、四十七件目です』

ロイドが第三部で二度目に出し抜かれる回です。回転を上げて相場を殺したのに、軍が高値で買い戻すという一手で全部ひっくり返されました。しかもこれも合法。「誰も悪くない形の悪意」という言い方が、この作品の第三部のテーマそのものです。ただ、突破口はいつもどおり、荷の側にありました。倉を見ていない人の申告と、通した者が数えた台数。第二部で関所の二重帳簿を暴いたときと同じ手です。そしてフィオナの「四十七件目」。空白が、そろそろ形を見せ始めました。ブックマーク・評価・感想、何よりの帰り荷です!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。