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「無能」と追放された倉庫番ですが、王都の物流は私が回していました 〜寂れた宿場町を交易の要にしたら、古巣の大商会が静かに崩壊していくようです〜  作者: 夜凪レン


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第58話:麦が半分しか実らなかった年の、算盤の弾き方

 本日の荷:足りない麦、王国ぶん。


 その年の夏は寒かった。北の動乱に気を取られているうちに、東の空はずっと灰色だった。ゼルト平野——王国の麦の四割を作る、あの広い平らな土地で、穂が実らなかった。収穫は例年の五分。私はアルバの帳場で、その報せを三度読み返した。


「五分ってことは、半分ってことよね」


 ティナさんが、算盤を弾く手を止めた。


「はい」


「じゃあ、半分の人が食べられないってこと?」


「……いえ」私は筆を置いた。ここが、いちばん説明したくないところだった。「麦は、実った分がそのまま食べられるわけではありません。来年の種籾を取ります。税で取られます。商人が買い占めます。飼い葉にも回ります」


「それ、引いたら」


「引いたら、市に出る食べる分は、例年の三分を切ります」


 算盤の珠が、かちり、と鳴った。


   *


 王国は、飢える。


 私はその晩、アルバ中継所の帳場に一人残って王国じゅうの荷を書き出した。どこに何俵あるか、誰が押さえているか、どこへ流れる予定か。二年かけて西部環状線を組んだおかげで、西の荷の在り処はほとんど頭に入っている。書き出して、足した。足りない。どう足しても、足りなかった。


 私は筆を置いて天井を見上げた。これまで荷が届かない理由は、いつも道の側にあった。関所が閉じている、船が出ない、親方が力ずくで止めている、書式に不備がある。だから私の仕事があった。詰まりを取れば荷は流れた。


 今度は詰まっていない。流れる荷が、そもそも無い。


「……これは」私は初めて口に出した。「私の仕事では、ありません」


   *


 翌朝、私はそれをティナさんに言った。言ってから、殴られるかと思った。だが町長代行は算盤を置いて、こう言っただけだった。


「へえ。じゃあ、誰の仕事なの」


「……お上の仕事です。備蓄を放出し、税を減じ、配給を——」


「お上、やってる?」


「やっていません」


「じゃあ、あんたの仕事じゃない」ティナさんは帳場の窓を開けた。冷たい空気と一緒に、広場の音が入ってくる。「ロイド。あんた、いっつも同じこと言うのよ。『届かない理由を消すのが私の仕事です』って。今回、届かない理由は何なの」


「荷が、無いことです」


「なら、無いって理由を消しなさいよ」


「……無いものは、増やせません」


「増やせとは言ってない」ティナさんは、こちらを見ずに言った。「あんた、一台の馬車で二十日かかる道を、十二日にしたんでしょ。麦は増えなかったわよね」


 私は、口を開けたまま止まった。


「馬車も増えてないわよね」


   *


 その日、私は算盤を弾き直した。麦は増やせない。だが、麦がひとつの腹から次の腹へ届くまでの時間は縮められる。同じ千俵でも、それが半月かけて配られるのと三日で配られるのとでは、飢える人の数が変わる。倉に眠っている麦は誰の腹も満たさない。流れている麦だけが、人を生かす。


「回転を上げます」私はティナさんに言った。「王国の麦は増やせません。ですが、王国の麦が一年に何度、人の口に届くかは変えられます。それが、私にできる増やし方です」


「……よく分かんないけど、算盤の話ね?」


「算盤の話です」


「じゃあ、あたしにも分かる話に直しなさい。町の人に説明するんだから」


   *


 その日から、アルバ中継所は救荒の帳場になった。西部環状線の五つの拠点に、麦の在り処を書き出させる。誰の蔵に、何俵、いつまで。それを一枚の紙にまとめて、毎朝、書き直す。


 トゥーレのニカが峠向こうの村々の人数を数えて送ってきた。レームのリコが川沿いの集落を舟で回った。カヴァルのダグさんが鉱夫の家族の分を数えた。ユーゴが北から戻ってきて走り回った。私が二年かけて育てた者たちが、いま、王国の腹を数えている。


「先輩。西部だけで、三万八千人です」


「そのうち、今月の食い扶持が無い家は」


「……一万一千人分です」


 私はその数字を帳面の真ん中に書いた。一万一千。数字にすると掌に収まるが、荷にすると話が変わる。


 一人が一年に食う麦はおよそ三俵。砦の兵の規定量から逆算した数字だ。一万一千人なら年に三万三千俵、ひと月で二千七百俵。馬車一台の積みは五十貫から六十貫、一俵四貫だから一台に十四俵。つまり二千七百俵は、馬車およそ二百台ぶんである。その二百台ぶんが毎月どこかから湧かないと、西部の一万一千人は春を見ない。


「二百台って、うちの環状線の馬車、全部かき集めてもですよ」ユーゴが帳面を覗き込んで言った。


「かき集めても足りません。かき集めても、積む麦が無いので」


   *


 だが、机の上の算段はその日のうちに崩れた。ヴェルンの市が立った日、麦が三日で消えたのだ。朝に積まれた麦が昼には値が倍になり、夕方には売り切れる。それが三日続いて、四日目には、そもそも麦が市に出なくなった。


 消えた先はすぐに分かった。ヴェルン郊外の大きな倉に、荷車の列が吸い込まれていく。誰かが買っている。それも、値を見ずに。

第九章「雪と飢え」、開幕です。ここでロイドが初めて、自分の得意技が効かない壁にぶつかります。詰まりを取るのが仕事なのに、詰まっていない。ただ、無い。……そこから彼を蹴り出すのがティナだというのが、この作品の形かなと思っています(「無いって理由を消しなさいよ」)。回転を上げる、というのが今回の答えです。倉に眠っている麦は誰の腹も満たさない——第一部の帰り荷から、ずっと同じことを言い続けている男です。次回、買い占めの主が出てきます。ブックマーク・評価・感想、何よりの帰り荷です!

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