第54話:届いているはずの兵糧が、砦の蔵にない
本日の荷:帳簿の上の麦、百俵。
ハルダ砦は、雪の平原に打ち込まれた楔のような砦だった。石積みの壁が三重、物見櫓が四つ。門をくぐると、槍を担いだ兵が凍った地面を踏みしめて行き来していた。増援二千が入ったばかりで、営庭は人でいっぱいだ。
人が多い。それなのに静かだった。兵たちの声が低い。腹の据わった静けさではなく、余計な口をきくと腹が減る、という種類の静けさだった。
私はその静けさの意味を、蔵の前で理解した。
「差配役殿。ご覧のとおりです」
案内に立った若い下士官が蔵の錠を開けた。輜重曹長のテオと名乗った男で、まだ二十歳そこそこに見える。三間四方の蔵に、麦の俵が積んであった。数えるまでもない。四十俵。四千人の砦の、四十俵。
「規定は、月に千二百俵です」テオ曹長は、まっすぐ前を見たまま言った。「自分が着任してから、蔵が一杯になったことは、一度もありません」
「帳簿は」
「完璧であります」
*
帳簿は、本当に完璧だった。砦の受領綴りには毎月きちんと千二百俵の受領が記されている。日付があり、数量があり、受領印がある。差し戻しも、欠品の但し書きもない。
私は綴りを閉じて天井を見上げた。三年前、私は同じものを見ている。西部国境ヴェルロの砦で。あのときの数字は六割二分だった。元栓は閉めたはずだった。ヴァルガは潰れ、侯爵は沈んだ。それでも、北の果ての蔵は空いている。
「テオ曹長。この受領印は、誰が押していますか」
「輜重方であります。……自分ではありません」
「押した人は、蔵を見ましたか」
曹長の顎が、わずかに動いた。
「見ておりません。荷が着く前に、印が来ます」
*
仕組みは蔵ではなく、道の途中にあった。三日かけて聞き集めた話を並べると、こうなる。
王都の兵站蔵から出る麦は規定の千二百俵。これは本当に出る。ガルド監は嘘をつかない。だが、その千二百俵は「新しい麦」ではない。輜重の倉には二年、三年と寝かせた古い麦がある。虫が入り、湿気を吸い、俵の重さが目減りしたやつだ。
ガルド監はそれを規定量として先に出す。新しい麦は輜重の倉に残り、残ったぶんは「余剰」として軍需の御用商へ払い下げられる。払い下げの手続きは合法だった。書式も揃っている。
「腐った麦を、規定量きっちり運んで、規定量きっちり届けているわけです」私は独りごちた。「そして砦に着く頃には、俵の中身が半分になっている」
テオ曹長が、拳を握るのが見えた。
「差配役殿。監は、盗んではおりません」
「ええ」
「盗んでいないのです。それが——」
「いちばん、質が悪い」
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その日の夕方、私は営庭の隅で兵たちの飯の支度を見た。大鍋がひとつ。粥である。麦の粒は数えられるほどしか浮いていない。四千人の列が、その鍋の前に伸びていた。
列の先頭にいたのは、まだ少年の顔をした兵だった。椀を受け取り、両手で包むように持って、それから列を離れずに立っている。
「早く飲まねえのか」
後ろの古参が声をかけた。少年兵は首を振った。
「冷めるまで待ちます。冷めたほうが、長く持つ気がして」
私は帳面を出しかけて、やめた。書いたところで、この椀は濃くならない。
*
その夜、砦の主計室で灯りを借りて、私は継ぎ送りの二便目の段取りを書いた。初雪までにあと三便。峠が開くのは三日に一度の半日。逆算すると明後日の朝には、リンドを出ていなければならない。
筆を置いたところへ伝令が入ってきた。王都から、軍需監ハウザーさんの名で一通。
『貴殿の中継運送につき、荷役に用いる書式に不備あり。是正されるまで、当路線における民間運送を停止するものとする』
私は文面を三度読んだ。三度読んでも、書いていないことは書いていなかった。どの書式の、どこが、どう不備なのか。それが一行もない。
*
窓の外で風が鳴っていた。麓のリンドには三便目の荷が積み上がっている。麦五百俵、毛布千枚、鉄十梱。峠が開くのは明後日で、停止のまま二日過ぎれば、その分は次の開通日まで雪の下だ。次の開通日は五日後。その次は、たぶん十日後。
冬は、待たない。
「差配役殿」
テオ曹長が、扉の前に立っていた。手に、湯気の立つ椀をふたつ持っている。
「粥であります。……薄いですが」
「いただきます」
椀は、底が透けて見えた。四千人が、これを二杯ずつ食べてこの冬を越すことになっている。私は粥をすすりながら、机の上の停止命令をもう一度見た。
規則は嘘をつかない。嘘をつかない規則を、いつ持ち出すかを決めているのは——誰だ。
第一部で暴いた「六割二分」が、北の果てでそのまま繰り返されました。元栓は閉めたのに、仕組みは残っていた。ここまで追ってくださった方ほど、この蔵の光景が刺さるように書いています。ガルド監は盗んでいません。古い麦から先に出しているだけです。全部、合法です。そしてハウザーの停止命令には「どこが不備か」が書いてありません——書かないことが、この人たちの戦い方です。ブックマーク・評価・感想、何よりの帰り荷です!




