第50話:荷は、正しい場所へ還る——ふたたび
本日の荷:諮問の、締めの一荷。
諮問の決着は、あっけないほど、静かだった。
フェルズ侯爵の「共同運営体」案は取り下げられた。手形一枚に足をすくわれた元栓は、水音も立てず、表舞台から沈んでいった。
代わって、辺境伯ウェルナーの「中継網委託」案が、正式に採択された。王国の兵站輸送を、実績ある民間の中継網に委ねる。十八年、六割の兵糧で冬を越してきたこの国が、初めて「届く荷」を、制度として選んだのだ。
「がはは! 見たか、儂の名代」辺境伯が私の背を思い切り叩いた。痛い。「儂は誠実さに興味はない。届く荷に興味がある。王国も、やっと儂に追いついたわ」
「殿。私の背骨も、届かなくなりますので」
だが、採択の条文には、一行、見慣れぬ名が添えられていた。
『兵站の民間委託は、当面、軍務卿レーゲン閣下の管掌のもとで試行するものとする』
「……フィオナさん。このレーゲン閣下、というのは」
「軍務卿。兵站の、大元を握るお方です」フィオナさんは平らな声で言った。「今回の諮問には、一度も顔を出しませんでした。侯爵が沈んでいく間、ずっと。——一度も、です」
署名をしない手の、そのまた上。名を書かない者ほど、上にいる。
「顔を出さなかった人が、ちゃっかり委託の管掌に収まっている」
「経理として言えば——侯爵を沈めた仕事を、いちばん美味しい所だけ、そっくり上の棚に載せ替えられました。……先輩、私、しばらく王都に残ります」珍しく、報告体でない声だった。「軍務卿の帳場には、まだ誰も手をつけていません。無理な帳簿を、放っておけない。血筋ですね。——叔父も、そうでしたから」
「無理はしないでください」
*
アルバに帰り着いたのは、秋の深まる頃だった。
二年前に名代として出ていった夏の広場は、見違えていた。峠の塩、川港の木材、鉱山の鉄——西部環状線を一巡りしてきた荷が、みんな一度、この広場で息を継ぐ。町は、王国西部の、ちょうど心臓の弁になっていた。
「おかえりっ! 二年よ! あたし一人で帳簿を回したんだから、少しは労いなさいよね!」
帳場から飛び出してきたティナさんに、私は頷いた。「見事な帳簿でした。ヴェルン便の締めが、私がいた頃より二日、早いです」
「……それ、褒めてる?」
「最上級の讃辞です。倉庫番の」
見習いの間は、机が八つから十六に増えていた。立て直した拠点へ、ここで荷の見方を覚えた若い衆が散っていったのだと、ティナさんは得意げだった。「あんたの『数えるな、流れで覚えろ』、みんな半泣きで覚えて、一人前になって出てったわよ。師匠と同じ口癖でね」
「師匠、すみません。教える側に回ると、本当に、同じ台詞しか出てきません」
広場では、ドモス親方が、変わらず若い衆に雷を落としている。そこへ環状線を一巡りしてきた御者頭のガッシュさんが、輪ができてから空荷で帰る道を一里も走っていないと笑った。「帰り荷が、いつでもあるんだ。輪になってるからな!」
「輪にしたのは、荷のほうです。私は、その邪魔をどけただけで」
町の入り口の看板『王家逓送局指定 御用中継所アルバ』の下に、板が一枚継ぎ足されていた。まだ墨も乾ききらない筆で、こうある。
『西部環状線 起点にして、還り着く先』
「お祖父ちゃんが、また書くって言い張ってね。輪だから、どっちも本当なのよね。出ていく町でもあって、帰ってくる町でもある」
「良い看板です。三回、測るまでもなく、真っ直ぐでした」
*
夜、私は一人、帳場に残って月次の締めをした。癖だ。
締めの最後に、師匠の台帳を開く。表紙裏の《流路図》。二年前まだ濁っていた西部の環が、今は、ぐるりと一巡り、澄んで通っている。関所も、川港も、鉱山も。
ただ——王都の、あの小さな元栓の印。侯爵の名を書き込んで、私はその印に、一本、線を引いて閉じた。師匠が最後まで辿り着けなかった元栓を、二年遅れで、閉めたことになる。
だが、閉めた元栓の配管の先が、図の外へ、すっと伸びている。師匠が、線を引かずに空けておいた、その先へ。
「……師匠」私は、台帳の余白に、細く一本、線を継ぎ足した。「続きは、こちらで引き継ぎます。元栓の、その向こうまで」
台帳を閉じた時、帳場の戸が開いた。
「また一人で締めてる。夜は冷えるって、二年前も言ったでしょ」
ティナさんが、上着を私の机に置いた。二年前と、同じ仕草で。
「明日、王都から兵站の初荷が来るのよね。正式委託の、いちばん最初の荷」
「来ます。夜明け前に。——たぶん、砦の麦です」
「六割じゃなくて?」
「十割です。私が数えますから」
ティナさんは、ふふん、と笑って、帳場の窓を開けた。夜風と一緒に、町の音が入ってくる。厩の馬の寝息。ヤコブさんの拍子木。遠くで、環状線を回ってきた御者の、聞き慣れない土地の歌。二年前より、ずっと遠くから、荷は還ってくるようになった。
荷は、正しい場所へ還る。
ならば王国じゅうの兵糧も、いつか、正しい胃袋へ——届くための、長い長い輸送の、まだ途中なのだろう。
名を書かない手が、その流れの、いちばん上で待っている。軍務卿レーゲン。まだ顔も知らない、次の元栓。だが、それは明日の荷だ。今夜の荷は、もう捌けた。
明日も、夜明け前から荷が来る。
倉庫番の朝は、早い。
——翌朝、私が最初に数えることになったのは、俵ではなかった。
クビになった倉庫番は、峠と川港と鉱山を継ぎ、西部環状線をひと巡り、繋ぎ切りました。侯爵という元栓は、暴力ではなく手形一枚で閉じました。——ですが、閉めた元栓の、そのまた先。名を書かない手が、いちばん上で待っています。軍務卿レーゲン。荷は、まだ全部は還っていません。次は、王国じゅうの兵の胃袋の分。第三部「王国兵站編」、はじまります。ブックマーク・評価・感想、何よりの帰り荷です!




