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「無能」と追放された倉庫番ですが、王都の物流は私が回していました 〜寂れた宿場町を交易の要にしたら、古巣の大商会が静かに崩壊していくようです〜  作者: 夜凪レン


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第49話:元栓の名は、フェルズ侯爵

 本日の荷:すべての荷、還る先。


 翌朝の議場は、前日より人が多かった。噂が回ったのだろう。王都商業ギルドの重鎮も、会計検査院の検査官までが末席に控えている。見物のつもりだろうが、ちょうどいい。証人は、多いほうがいい。荷と同じで。


「ハーヴェンどの。昨日の諸々の訴え、申し開きがあれば」


「申し開きは、ありません」


 議場がざわついた。侯爵は、微笑んだまま動かない。


「代わりに、荷の流れをご覧に入れます。昨日の訴えは、どれも『手続きが正しくない』という中身でした。ですが、お見せするのは、荷がどこから来て、どこへ消えたか。それだけです」


 私は卓に、大きな図を広げた。師匠の台帳の表紙裏、《流路図》を写し取ったものだ。


「第七兵站路線。砦へ向かうはずの兵糧が、この十八年、届いていたのは六割。四割弱が途中で消えた——二年前、ヴァルガの裏帳簿で露わになった、既に王国の知る話です。消えた四割の行方も、帳簿にこうありました。『益は四分六。四分は商会、六分は——手形にて、外へ』」


 私は、図の王都のあたりに指を置いた。「その手形が、どこで換金されたのか。ずっと分かりませんでした。名を書き換えれば、誰の手も汚さずに流れる。署名をしない手には、ちょうどいい道具です」


「先輩」末席から、フィオナさんが立った。手に、古びた手形が一枚。「経理として、ご報告します。裏帳簿の手形番号、二百十六枚。そのうち百九十枚が、同じ一軒で換金されていました。ロンダール質商——侯爵家御用達の、あの質商です」


   *


 この一枚に辿り着くまで、フィオナさんは二年をかけた。


 署名をしない手、とヴェインは呼ばれていた。どの命令にも、名を書かない男。だが、その男にも、ひとつだけ書いてしまうものがあった。記録だ。命じた荷、動いた金、消した証跡——すべてを同じ筆跡で、自分だけの控えに残していた。いつか、誰かに罪を着せる日のために。


 その筆跡が、ロンダール質商の裏帳簿の隅に、手形の裏書の照合印として、数箇所だけ残っていた。ただの走り書き。証拠になどなるまいと思っていただろう。


「なりますよ」フィオナさんは、質商の帳簿と手形を並べた。「筆跡は、署名より正直です。人が嘘をつくのは、名前を書く時だけ。癖は、嘘をつきません。——見逃せませんでした。経理ですから」


   *


 私は、図の上で指を動かした。


「順を追います。二年前、ヴァルガ商会が崩れ、手形の行き先が——元栓の在り処が、露わになりかけた。そこで元栓を隠すため、周りの蛇口をまとめて壊すことにした。関所を横領で、川港を談合で、鉱山を恫喝で。壊れた拠点だらけにして、『これはもう、制度ごと作り直すしかない』という空気を作る。そのどさくさで、手形の流れも証跡も、まとめて塗り替える。——それが、『共同運営体』案の、本当の中身です」


「キッツ。ベルガ。グロム。壊した実行者は、三人とも別の顔でした。ですが、後ろ盾は、一人です」


 私は、灰色の外套の男を見た。ヴェイン書記官は、微動だにしない。


「ただ、ひとつ、誤算があった。壊した拠点が、全部、立て直ってしまった。壊れた拠点がひとつも無くなれば、『作り直すしかない』という理屈も、消えます。残ったのは、塗り替えそこねた、この手形一枚だけ」


 私は、図の王都の一点——師匠が最後に残した、あの小さな元栓の印に、指を戻した。「私の師匠は、この印の意味に、最後まで辿り着けませんでした。署名をしない手が守る、流れの大元。……師匠、名前が、分かりました。——元栓の名は、フェルズ侯爵。手形六割の、行き先です」


 議場は、声もなかった。


「荷は嘘をつきませんよ」私は、静かに言った。「十八年分の兵糧が、消えた先を、ちゃんと覚えていてくれました。嘘をついたのは、荷札を書いた側です」


 昨日の讒言は、もう役に立たなかった。私は、陳情書の一枚を手に取った。「この、関所の徴税吏どのの訴え。『名代が法を無視して荷を通した』とあります。伺いますが——その塩は、何俵でしたか。峠向こうの、どの村へ、何日で届きましたか」


 訴えの主は、答えられなかった。数を知らないからだ。荷を見た者が書いた訴えではない。名を貸すよう言われ、名を貸しただけの紙だ。


「荷を運んだ者は数を覚え、運んでいない者は覚えていません。買われた証言は、いつも、ここで数が合わなくなる。荷が、勝手に、嘘を選り分けてくれます」


 議場のあちこちで、訴えの主たちが俯いた。会計検査院の検査官が立ち、手形と、質商の帳簿と、ヴェインの照合印を検めた。そして、静かに議長へ一礼した。それが、答えだった。


 侯爵は、昨日と同じ穏やかな微笑みのまま、静かだった。だが同じ微笑みが、昨日は底知れぬ淵に見え、今日は——ただ、逃げ場のない男の、貼りついた表情に見えた。侯爵は、卓の手形を、指先で私のほうへ滑らせた。二年前、ガレオンが最後にそうしたように。血ではなく、水だ。同じ井戸の。そして、何も言わず、目を伏せた。


 帳簿で死ぬ、というのは、こういうことだ。派手さは、ない。


   *


 だが——その夜。宿の一室で、私は手形を、もう一度、一枚ずつ検めていた。妙なのだ。侯爵の懐に収まったはずの益の、六分のうちのさらにいくらかが、そのまた先へ、もう一段、外へ流れている。裏書のない、宛先のない流れ。誰の名も書かれていない。


 署名をしない手は、ヴェインだけではなかった。侯爵のそのまた上に、もうひとつ、名を書かない手がある。兵糧を、鉄を、ほんとうに欲しがっていたのは、誰だ。——砦。駐屯。武具蔵。


 私は、《流路図》の元栓の印を見た。閉めたはずの元栓の、その配管の先が、図の外へ、すっと伸びている。師匠が、線を引かずに空けておいた、その先へ。


「……まだ、続きがあるんですね、師匠」


 嫌な予感は、たいてい、荷の量で当たる。今度の荷は——王国じゅうの、兵の胃袋の分だ。

第一部から引いてきた大きな伏線が、ここで回収です。兵糧の横流しから侯爵へ、そして破綻拠点の量産は証跡を隠すため——そのすべてが、ロイドが立て直した拠点網の実績と、フィオナが二年かけた手形一枚で、逆さまに証明されました。「署名をしない手」の記録魔ぶりが、そのまま首を絞める——ざまぁの後味は「読者だけが全体図を見ている」設計です。そして、閉めた元栓の、そのまた先。署名なき、もうひとつの手。……次話、第二部・完。その名を、一度だけ、お出しします。ブックマーク・評価・感想、何よりの帰り荷です!

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