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「無能」と追放された倉庫番ですが、王都の物流は私が回していました 〜寂れた宿場町を交易の要にしたら、古巣の大商会が静かに崩壊していくようです〜  作者: 夜凪レン


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第36話:川が溢れた。ならば陸を流す

 本日の荷:増水、荷は待たない。


 夜通し、上流で雨が降ったらしい。

 朝、桟橋に出ると、川の色が変わっていた。昨日まで澄んで緩かった水が、今日は茶色く濁って、太い縄のようにうねっている。流木が橋脚にぶつかり、鈍い音を立てていた。川が、機嫌を変えていた。


「増水だ」リコの顔が、遊びの表情から船頭の娘の表情に変わった。「こうなると、下りでも船は出せない。流れが速すぎて棹が川底に届かないし、流木が舵を叩き折る。無理に出したら、船ごと持っていかれる」


「では、ベルガの船も——」


「一艘も出せない。談合だろうが言い値だろうが、川が怒ってる時は、誰の言うことも聞かない。ベルガの判なんて、この濁流には紙屑だよ」


 天は、談合の味方でも敵でもない。ただ、平等に、川を止めた。ベルガの三倍の運賃も、今朝は、一箱の荷も動かせない。皮肉なことに、この町でいちばん公平なのは、暴れる川のほうだった。


   *


 問題は、川が止まっても、荷は待ってくれないことだ。

 川下の村の熱病は、まだ引いていない。桟橋で炙られ続けた解熱の粉は、今日を逃せばいよいよ湿気る。川はしばらく開かない。船は一艘も出ない。——ならば、川を、使わなければいい。


「陸で流します」


 私は帳場代わりの卓に、《流路図》を敷いた。川の線が、増水で一本まるごと、頭の中で灰色に沈んでいる。代わりに、細い道の線が、川に沿って何本か走っていた。誰も使わなくなった、古い道の線が。


「川沿いの道を、馬車で継ぎます。荷を小分けにして、増水の届かない高い岸の道を選んで、村まで押していく。船一艘分を、馬車で何台にも割って運ぶ」


「その道、途中で切れてるよ」リコが一点を指した。「去年の崩れで、川沿いはここで行き止まり。迂回するなら——」


「峠を越えます。トゥーレの関所の、開いたばかりの道を」


 半月前に開けた峠が、ここで効いた。関所が詰まっていたら、この迂回は組めなかった。荷は、一つの詰まりを開けると、思わぬ別の場所で助かる。環というのは、そういうふうに、繋がっている。


   *


 迂回路の現場は、ガッシュさんの独壇場だった。

 崩れかけた岸道に馬車の輪が沈むと、巨体で車輪を担ぎ上げ、ぬかるみに板を渡す。声が大きい。笑うともっと大きい。峠越えでへばった若い衆を、笑い声一つで立ち上がらせる。


「がっはっは! 兄ちゃん、こういう荒れ道はなあ、船より馬車よ! 川は溢れりゃ止まるが、道は溢れねえ!」


「道も、崩れると止まりますよ」


「崩れたら俺が担ぐ! 担げねえ荷はねえ!」


 担げない荷はない、で峠を一つ越えられるなら、私の差配など要らないのだが。頼もしいので黙っておく。もっとも、その「担ぐ」を、どの荷に、どの順で使うかを決めるのが、私の仕事ではある。ガッシュさんの腕力は、行き先を間違えると、ただの空回りだ。


   *


 薬の粉が村に着いたのは、川がまだ濁っている夕方だった。

 迎えたのは、痩せた母親と、頬の赤い幼子だった。子の額に、熱がこもっている。母親は木箱を抱きしめて、何度も頭を下げた。


「船が来ないと、諦めておりました。運賃を払える蓄えもなくて。もう、この子は——」


「船は来ませんでした」私は言った。「荷が、道を選んだんです。川がだめでも、道がある。道がだめでも、峠がある。荷は、届く理由を一つでも見つければ、そこを通ります。届かない理由のほうを、私が消せばいい」


 母親は、薬の包みを開き、震える手で匂いを確かめて——泣き崩れた。まだ効く匂いだ。この夏、桟橋で炙られながら、粉は、ちゃんと効き目を守り抜いていた。荷のほうが、人より辛抱強いことが、時々ある。


 増水は、ベルガの船を止めた。だが、私の荷は、川を使わなかった。——談合は、川の上にしか敷けない。道の上には、ベルガの判は、要らない。


   *


 その報せは、その晩のうちに桟橋へ返ってきた。

 組合の船は一艘も出せぬまま、名代の荷だけが、峠を越えて川下へ届いた。船頭たちが、遠巻きにざわめいた。伏せていた目を、ほんの少し、上げた者もいた。


 オデルが、濁った川を見ながら、ぽつりと言った。


「川が溢れて、船屋の儂が手をこまねいておる横で……お前さんは、陸で荷を流したか。……儂の六十年は、なんだったのかのう」


「六十年、川を知っている人の知恵は、次に使います」私は言った。「川がお好きなら、川も使います。次は、この増水を、こちらの味方につけますよ」


「増水を、味方に?」オデルが眉を寄せた。「あの牙を剥いた流れを、どう手なずける気だ。あれは、なだめられる相手じゃない」


「なだめません。乗ります」


 種は、もう半分、リコが握っている。彼女はまだ、それに気づいていないけれど。父の背中を見て育った娘の頭の中には、私の知らない川の知恵が、まだ眠っているはずだった。


天候が制約の回です。川が溢れたら、談合の親玉でも船は出せない——なら陸で流す。前の関所編で開けたトゥーレ峠が、ここで効いてきます。荷は、届く理由を一つ見つければ通る。そして「増水を味方に」の伏線。次話はぐっとシリアス、ベルガの締め付けが本気になり、町の結束が試されます。ブックマーク・評価・感想、何よりの帰り荷です!


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