第34話:川港レーム、船は組合の許しなく出ない
本日の荷:薬荷、川止め中。
峠を下り切ると、川の匂いがした。
トゥーレの関所が開いて半月。私たちは環状線を北へ辿り、川港レームに着いた。環の、水の側の関節にあたる町だ。峠が石と風の町なら、ここは水と木の町だった。
川幅は広く、流れは緩い。岸には桟橋が櫛の歯のように並び、荷を積んだ川船が舫われている——はずだった。
実際には、船のほとんどが動いていなかった。舫い綱を張ったまま、荷を積んだまま、ただ川に浮かんでいる。桟橋には木箱と麻袋の山。そのいくつかは、峠で見たのと同じ、饐えかけた匂いをさせていた。荷が動かない町の匂いを、私はもう、覚えてしまっている。
「先生っ、あれ、あたしの育った桟橋!」
隣で、見習いのリコが背伸びをした。アルバの見習いの間から連れてきた、レーム生まれの娘だ。船と川のことなら、私よりずっと詳しい。故郷に帰ってきた顔は、はしゃぎかけて——止まった。
「なんで、こんなに船が止まってるの。夏は薬も兵糧も、いちばん川が忙しい時期なのに。あたしが小さい頃は、桟橋に空きなんてなかった。荷の順番待ちで、船頭同士が怒鳴り合ってた」
「忙しい町が、静かなんですね」
「静かな川港って、死んだ川港のことだよ」
*
桟橋の一角で、老人が一人、木箱の山の前に立っていた。
白髪の、腕の太い船乗りだ。饐えかけた木箱の蓋を開け、中を検め、それからそっと閉じた。手つきが、荷を運ぶ手ではなく、荷を悼む手だった。
「父さん!」
リコが駆け出した。老人が振り向き、目を見開く。
「……リコか。リコだな。アルバへ修業に出したはずの娘が、なんでこんな所へ舞い戻った」
「差配のお手伝い。この人、詰まった荷を通す先生なの」
老人——船主オデル、と名乗った——は、私を上から下まで検分して、それから深く息を吐いた。娘の連れてきた若造を値踏みする目に、期待は、ひとかけらもなかった。
「悪いことは言わん、若いの。この町からは早く出るがいい。ここの川は、もう真っ当な者が荷を運べる川じゃない。荷を運びたい者が運べず、運びたくもない者が運び賃を決める。……そういう、腐った川だ」
「その、真っ当でない理由を消すのが、私の仕事でして」
*
理由のほうは、すぐに、向こうから挨拶に来た。
仕立てのいい上着に、愛想のいい笑み。両手を揉むようにしながら、その男は桟橋を滑るように歩いてきた。饐えた荷の匂う桟橋で、その男の周りだけ、なぜか涼しげに見えた。
「これはこれは、辺境伯さまの名代どの。わたし、川船組合の世話役でベルガと申します。遠路、ようこそレームへ」
「……ずいぶん、お早いお着きで。私、まだ名乗ってもいませんが」
「川港のことは、川港の者がいちばん存じておりましてね」ベルガは笑みを崩さない。「荷を通したいのでしたら、どうぞわたしにお申し付けを。運賃は——ええ、少々は張りますが、その分、確実にお届けいたします。確実、というのは、この川では、なかなか値の張る品でございますよ」
少々。確実。私は桟橋の木箱の山を見た。この夏の日盛りに、確実に腐っていく荷の山を。
「その運賃を、伺っても?」
「川下までひと箱、銀貨三枚」
「……去年までは?」
「銀貨一枚でございました」ベルガは笑みを深くした。「時勢というものです。それに、組合を通さぬ荷は、この川では一艘も動きません。決まりですのでね。決まりは、守っていただかないと」
談合。三倍の運賃。組合外の荷は運ばせない。——峠の代官は税を二度取ったが、この男は、川そのものを人質に取っていた。しかも、笑いながら。
*
その晩、オデルの家の炉端で、私は事情を聞いた。
川下の村で、熱病が出ているという。解熱の薬草を煎じた粉が、いま桟橋で止まっている、あの木箱の中身だ。組合が運賃を吊り上げ、村の金では払えず、荷は積まれたまま夏の日に炙られている。
「儂は昔、王家の逓送で薬を運んだ船頭だ」オデルが拳を握った。「嵐の夜でも、頼まれた薬は届けた。届けねば人が死ぬからだ。……その儂が、今は、病人の待つ荷を腐らせる桟橋を、毎朝、見に行くだけだ。見に行って、蓋を開けて、また閉じる。それだけしか、できん」
「オデルさん。その薬、まだ効きますか」
「粉なら、湿気ておらねば、まだ」
「なら、腐らせません」私は木箱の割れ目を指でなぞった。指先に、乾いた薬草の匂いが移る。まだ、生きている匂いだ。「荷は嘘をつきませんよ。この粉は、まだ効くと言っています。嘘をついているのは——運賃を三倍と書いた、あの荷札の側です」
リコが、ぱっと顔を上げた。父の炉端で、消えかけていた火が、少し戻ったような目だった。
「先生、なんとかなるの?」
「なります。ただし、川が相手だと、少しだけ勉強が要ります。私は、道の男ですから」私はリコを見た。「川の先生役は——リコ、あなたです」
「あ、あたし!?」
「ええ。荷を運ぶのに、身分は要りません。要るのは、川を知っている頭だけです」
第二部、第二の拠点は川港レームです。峠の次は、川。敵は運賃を三倍に吊り上げる談合商人ベルガ——笑顔で首を絞めてくるタイプです。そして見習いリコの里帰り、老船主オデルの誇り。ロイドは相変わらず戦えませんし、川のこともよく知りません。でも、川にも道にも「継ぎ目」はあります。次話、談合の正体に踏み込みます。ブックマーク・評価・感想、何よりの帰り荷です!




