第33話:関所が開いた日、環状線が半分つながった
本日の荷:新しい季節、また。
キッツが去り、トゥーレの門は、開いたままになった。
開けっ放しの門というのは、防備の役目からすれば、間の抜けた眺めだ。だが、荷を通すための関所にとっては、それが正しい姿だった。塩も、薬も、野菜も、峠を、一日で越えるようになった。腐る前に、越える。それだけのことが、この峠では、久しぶりの事件だった。
新しい代官は、まだ来ない。当面、関所は、公の帳面と、選ばれた徴税吏で回すことになった。徴税吏頭に、ニカが据えられた。
「私で、いいんでしょうか」ニカは、まだ少し、震えていた。
「あなたがいい、ではありません。あなたでなければ、困るんです」私は帳面を渡した。「震える手で押した印は、震えない手で押した印より、ずっと正しかった。私は、それを見ました」
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ボルグは、あの日から、門を磨いていた。
四十年、開け閉めしてきた石の門。搾取の番所に成り下がっていた間、彼はそれを、直すことしかしなかった。今は、磨いている。欠けを直すのは、諦めの手つきだった。磨くのは、誇りの手つきだ。
「儂はな」ボルグは、門柱の苔を落としながら言った。「もう一度、この門を『御番所の門』と呼べる日は、来んと思うとった。荷を止める門ではなく、荷を通す門。……お前さんは、掟書一巻で、それを引っ張り出しよった」
「掟は、生きていました。私が生かしたのではありません。ボルグさんが、四十年、捨てずに箱に取っておいてくれたからです」
老門番は、答えなかった。ただ、磨く手が、少しだけ、速くなった。門柱の石が、夕日を受けて、逓送御番所だった頃の色に、鈍く光った。
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峠を下る道で、私は、一人の男を見た。
崩れた荷車を、たった一台、引いている。荷は、屑鉄と、割れた瓶。峠越えの銭を惜しんでか、越えの手前で立ち往生し、車輪を蹴っていた。垢じみた外套。だが、仕立てだけは、かつて上等だったと分かる。
バルド・ヴァルガだった。
ヴァルガ商会の、若旦那。私を「台帳をつけるだけの無能」と呼び、王都の東門で、大声で私を追い立てた男。
彼は、私に気づいた。気づいて、一瞬、顔を歪めた。恫喝の顔を作ろうとして、作りきれなかった。かつての脂も、声も、後ろ盾も、もう、何も残っていなかった。
「……倉庫番、か」
掠れた声だった。それきり、彼は、目を逸らした。屑鉄の荷車を、もう一度、蹴った。車輪は、動かなかった。
私は、そこで、何も言わなかった。
ざまあみろ、とは思わなかった。可哀想に、とも思わなかった。誇らしくも、なかった。ただ——荷を見た。屑鉄と、割れた瓶。峠を越えるには、車軸が傷みすぎている。あのままでは、次の坂で、輪が抜ける。それだけを、荷の見方として、確かめた。
「峠の詰所に、ニカという徴税吏がいます」私は、それだけ言った。「車軸のことを言えば、直す職人を教えてくれます。……荷は、正しく運ばないと、届きませんから」
バルドは、答えなかった。私も、それ以上は、言わなかった。
私は、峠を下りた。振り返らなかった。彼が、その後、車軸を直したかどうかは、知らない。知る必要も、なかった。荷の行き先は、荷の持ち主が、決めることだ。
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トゥーレの広場に、若い衆が三人、机を並べて座っていた。
ユーゴが、指図している。この一月で、荷の見方を覚えた顔だった。まだ数えている。だが、数えながら、流れを見るようになっていた。数えるな、と叱ろうとして、私は、やめた。師匠も、私が流れを見始めた頃、叱るのをやめた。あれは、たぶん、そういう合図だ。
「先輩」ユーゴが、駆け寄ってきた。「俺、しばらくここに残ります。トゥーレの関所、まだ回し方が固まってないから。ニカさんと、公の帳面、育てます」
「……立派になりましたね」
「先輩の受け売りです。『荷は多いほうがいい、数える手も』って。俺、数える手に、なります」
王都から流れてきた、頼りない若い衆が、峠の関所に、根を張ろうとしていた。荷だけではない。人も、正しい場所に、還っていく。
環状線の、ヴェルンからアルバ、そしてトゥーレ峠。西部の環の、ちょうど半分が、繋がった。あとの半分——川港レームと、鉱山町カヴァル。環が閉じれば、侯爵の「破綻拠点の再編」は、行き場を失う。
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その夜、アルバへ帰る支度をしていた私のもとに、一羽の伝書が着いた。
北の、川港レームから。船主の名で、切羽詰まった走り書きだった。
『助けてくれ。川が、止まっている。増水ではない。談合だ。組合の許しがなければ、船が一艘も出ない。運賃は三倍。下流の村が、薬を待って死にかけている。アルバの名代殿の噂を聞いた。……頼む、来てくれ』
川は、増えたり減ったりして、荷の勘定を狂わせる。
ヴェインの、去り際の言葉が、耳の奥で鳴った。あの男は、もう、次の拠点で、次の手を、握っている。
「ティナさんに、文を書かなくては」私は、灯りを引き寄せた。「『まだ、帰れません』と。……また、叱られますね」
峠の風は、もう冬だった。だが、川港の風は、まだ、別の季節をしているはずだ。私は、地図の北を、指でなぞった。次の荷が、そこで、待っていた。
関所編、完結です。トゥーレ峠が開通し、環状線の半分が繋がりました。ボルグは門を磨き、ニカは徴税吏頭に、ユーゴは峠に根を張る。荷も人も、正しい場所へ還っていきます。そして——バルド。落ちぶれた元若旦那を、一度だけ。ロイドは、ざまぁとも可哀想とも言いません。ただ車軸を見て、直す職人を教えて、去る。復讐を口にしない主人公の、これが答えです。次話から、川港レーム編。談合商人ベルガ、そして水嵩との戦いが始まります。ヴェインも、また来ます。ブックマーク・評価・感想、何よりの帰り荷です!




