第32話:二重帳簿は、荷の数と合わない
本日の荷:真実、帳簿の中に。
査問の日、私は、詫びも弁明も、用意しなかった。
用意したのは、帳面が三冊と、御者の書付が二十八枚と、村の受取が数十枚。それに、ボルグと、ニカと、峠の轍そのものだった。
「弁明は、しません」査問の席で、私は言った。会計検査院の使いと、セドリックさん、そして、わざわざ峠から呼ばれたキッツが並んでいる。「弁明の代わりに、数えます。荷を、数えます。——荷は、嘘をつきませんから」
「数える、だと?」キッツが、鼻で笑った。「帳面などいくらでも書ける。お前の『私設の帳面』が、何の証拠になる」
「では、私の帳面は、脇に置きましょう。使うのは、代官殿の帳面です。二冊とも」
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私は、まず、キッツの表の帳面——門前に貼り出される『関所通行録』を、卓に開いた。
「代官殿の公式の記録では、塩の一件の前月、峠を越えた馬車は、月に延べ百四十台。徴収した通行税は、その台数の、入りの分だけ」
次に、私が写しておいた、キッツの裏の帳面を、隣に並べた。
「ところが、こちらの、手文庫の帳面では、同じ月の通行は、延べ三百二十台。入りと、越えと、二度徴収されています。差額は、表の帳面のどこにも、載っていません」
「そ、それは偽物だ! 貴様が捏造した——」
「では、本物の峠に、数えさせましょう」
私は、御者の書付を、束ごと卓に積んだ。
「峠を越えた御者、二十八人分の、通行の控えです。彼らが、いつ、何を積んで、いくら払ったか。一枚ずつ、署名入りで。——合計、延べ三百二十台。二度払わされた、と全員が書いています。表の帳面の百四十台とは、合いません。裏の帳面の三百二十台とは、ぴたりと合います」
会計検査院の使いが、書付を繰り始めた。一枚、二枚、十枚。繰るほどに、その顔が、険しくなっていった。
「荷は、こう証言します」私は、続けた。「『三百二十台、この峠を越えた』と。表の帳面が『百四十台』と言い張るなら——表の帳面が、嘘をついています。越えた荷の数を、少なく書いて、差額を、隠すために」
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とどめは、ニカだった。
青年は、まだ震えていた。だが、今度は、前へ、進み出た。
「私が、証言します」ニカの声は、掠れていた。それでも、止まらなかった。「表の帳面は、私が書かされました。少なく。差額は——峠越えの安全料は、代官様の手文庫へ。月に一度、灰色の外套の書記官が、取りに来ました。私は、その受け渡しを、この目で、十一度、見ています」
「ニカ、貴様!」キッツが、椅子を蹴って立った。「恩を仇で! わしが拾ってやった小僧が——!」
「拾っていただいた恩は、あります」ニカは、真っ直ぐにキッツを見た。「ですが、去年、塩を止められて死んだ、あの村の子らへの、詫びのほうが、重いんです」
詰所は、静まり返った。
私の「私設の帳面」が着服の証拠だ、という告発は、たった一つの事実で、崩れた。私の公の帳面の数字は、荷の数と、合っている。キッツの表の帳面は、荷の数と、合っていない。着服した銭で帳尻が狂うのは、荷を通した者ではなく、荷を止めて掠め取った者のほうだ。
どちらが嘘つきか。峠が、轍が、御者が、村が、みな同じ数を証言していた。
「代官キッツ」会計検査院の使いが、書付を置いた。「通行税の二重徴収、公金の横領、および——名代への、事実を並べ替えた讒言。査問は、これにて充分だ」
キッツの脂ぎった顔から、脂が抜けていくようだった。後ろの手を握ったまま、彼は崩れた。だが、握ったはずのその手は、もう、彼の後ろには、いなかった。
*
キッツの失脚が決まった日の夕暮れ、私はヴェルンの街道で、一台の馬車とすれ違った。
灰色の外套の男が、幌の陰から、私を見ていた。
「ヴェイン、書記官」
私が名を呼ぶと、彼は、驚きも、隠れもしなかった。ただ、無機質に、少しだけ、目を細めた。
「私の名を、覚えましたか。……ニカが、喋りましたね」
「キッツ殿は、失脚しました。あなたの、月に一度の受け渡しも、証言されました」
「ええ」ヴェインは、頷いた。悔しがる様子は、微塵もなかった。「代官の横領は、代官の罪です。私は、上納の使いをしただけ。書付に、私の署名は、一つもありません。……手形の匂いは、質商で消えたでしょう? 消えるように、してあります」
トカゲが、尻尾を切るように。キッツという尻尾を切り捨てて、胴は、傷一つなく、王都へ帰っていく。侯爵の名は、どこにも、残らない。
「私が欲しかったのは、キッツではありません」ヴェインは、馬車の御者に、出せ、と目で合図した。「あなたの、弱点でした。荷は読めるが、人の腹は読めない。——収穫は、ありました」
馬車が、動き出した。
すれ違いざま、灰色の外套が、最後に一言だけ、残していった。
「次の拠点で、また、お会いしましょう。ハーヴェンさん。……川は、増えたり減ったりして、荷の勘定を、狂わせますよ」
私は、遠ざかる幌を、見送った。溜飲は、下がらなかった。ただ、次の峠——いや、次の川の、水嵩のことを、少しだけ、考え始めていた。
大逆転回です。ざまぁ、と言っていいのはあとがきだけなので、言います。ざまぁ。キッツの二重帳簿は、荷の数と合わない——だって、荷は嘘をつかないので。表の帳面が真実と喧嘩を始めた瞬間が、この回のカタルシスです。そしてニカ、震える手で、ちゃんと前に出ました。えらい。ただし、ヴェインは尻尾を切って逃走。侯爵本体は無傷です。「次の拠点でまた会う」——次は川港、次は水嵩との戦いです。次話、関所編、締めます。バルドの「その後」も、一度だけ。ブックマーク・評価・感想、何よりの帰り荷です!




