第30話:一本道の関所は、迂回できない。だから、正面から通す
本日の荷:塩、合法的に。
門を、力ずくで開ける気はなかった。私に腕っぷしがないというのもあるが、それ以上に、力で開けた門は、力で閉め返されるからだ。
私が探したのは、鍵ではなく、条文だった。
「ボルグさん。この関所の、御番所だった頃の掟書は、まだ残っていますか」
老門番は、詰所の奥から、埃をかぶった木箱を引きずり出してきた。中には、色の褪せた巻物が一巻。『峠御番所式目』。四十年前、王家逓送局が定めた、関所の掟だ。
私は、それを一晩かけて読んだ。倉庫番の三年で唯一鍛えられたのが、細かい字を辛抱強く読む根性だ。そして、探していた一条を、見つけた。
「……ありました。第九条。『命に関わる荷——塩・薬・種籾の類は、正規の通行料を納めたる上は、御番所これを止め置くべからず。関守、速やかに通すべし』」
「その式目は」ニカが息を呑んだ。「まだ、生きているのですか」
「王家逓送局は、この関所の廃止令を、一度も出していません」私は巻物を巻き直した。「廃止されていない掟は、生きています。キッツ殿の『点検』は、代官の一存。掟は、王家の定め。——どちらが上か、帳面の順番で決まっています」
*
二日後の朝、アルバから、一隊が着いた。
「兄ちゃん! 待たせたな!」
ガッシュさんの、峠まで届く大声だった。幌馬車が十二台。ドモス親方が仕立てた、腕利きの御者ばかりだ。そして荷台には——塩、三百俵。
「ドモスの親方が、車軸まで見立ててくれてよ。峠越えでも壊れねえ車を選りすぐった。がっはっは、荷より車が丈夫なくらいだ!」
塩は、私がアルバの塩問屋にあらかじめ手配させた、正規の荷だった。一俵ごとに荷札。荷札は例の通り二枚割り。そして——ここが肝心だ——通行料は、キッツの手文庫にではなく、関所の『公の帳面』に、先払いで納めてある。
その帳面に、収受の印を押したのは、ニカだった。
「私が、正式な徴税吏として、受け取りました」ニカの声は、まだ震えていた。ただ、昨日までの怯えの震えではなかった。「表の帳面に、きちんと、載せました。……代官様の裏の帳面には、載せません」
「よくやってくれました」
「これで、代官様は——この塩を、止められません」
「ええ。止めれば、掟破りになります。人前で」
*
門前に、キッツが飛び出してきた。脂ぎった顔が、朝から真っ赤だった。
「勝手なことを! この門は点検中だ! 通行は罷りならん!」
「代官殿」私は、掟書の巻物と、公の帳面を、掲げて見せた。列の御者たちにも、村から出てきた人々にも、はっきり見えるように。「この塩は、御番所式目第九条の定める、命の荷です。正規の通行料は、公の帳面に納め済み。式目に従い、関守は、これを速やかに通す義務があります。——点検を理由に止めることは、王家の掟に、代官が背くことになります」
「な……」
「もし止めるなら、その理由を、書付にして、ここに署名してください。『代官キッツは、掟を承知の上で、村の塩を止めた』と。私が、辺境伯に、確かに届けます」
署名。その一言に、キッツの顔がぐにゃりと歪んだ。
彼の後ろにいる手は、決して署名をしない手だ。その流儀は、いつの間にか、キッツ自身にも移っていたのだろう。証跡を残して掟を破る覚悟は、この小物には、なかった。
「……ボルグ! 門を、開けろ!」
キッツは、吐き捨てるように怒鳴った。掟に背いた咎を負うより、塩を通すほうを選んだ。ただの一度、正しいほうを選んだのではない。選ばされたのだ。
ボルグが、四十年ぶりに背筋を伸ばして、鍵を回した。
石の門が、軋みながら、開いていく。
「塩、三百俵、峠越え——通ります!」
ガッシュさんの声を合図に、十二台の車輪が、一斉に動き出した。止められていた二十八台も、続いた。凍えていた列が、川のように流れ出す。ニカが、一台ごとに、表の帳面へ、正しい数を書き込んでいく。
テスの村へ、冬より先に、塩が越えていった。
派手ではない。魔法でもない。ただ、掟と帳面が、正しい順番に並んだだけだ。それでも、門をくぐる荷を見送る村の人々の顔は、この峠で久しぶりに見る、明るい顔だった。
「先輩、勝ちましたね!」ユーゴが飛び跳ねた。
「勝ってはいませんよ」私は、開いた門の奥、崩れたように立つキッツを見た。「門を、一度開けさせただけです。……あの人はまだ、後ろの手を、握ったままですから」
*
その夜、アルバから、フィオナさんの早馬便が届いた。相変わらず、事務的な報告体だ。
『先輩へ。頼まれた件、王都で当たりました。トゥーレの上納金の流れ、途中で一度、王都のロンダール質商を経由しています。質商から先は、手形に化けて、匂いが消えます。……ですが、匂いだけなら、分かりました。フェルズ侯爵家御用の、手形の匂いです。経理ですから、匂いには自信があります。以上、報告まで』
塩は、通った。
だが、その塩を止めていた銭の流れは、峠一つの向こうではなく——王都の、あの侯爵の手元まで、繋がっていた。
私は、フィオナさんの手紙を、二度読んだ。溜飲を下げる気には、ならなかった。ただ、荷の行き先を確かめる時と、同じ静かさで、銭の行き先を、確かめただけだった。
関所編の小カタルシス回です。武器は「四十年前の掟書」と「二枚割りの荷札」と「正しく押された収受の印」。ロイドは門を殴り開けません。条文を並べて、キッツ自身に「開けろ」と言わせます。署名をしない手の流儀が、こういう時に相手の弱点になる——このあたり、書いていて気持ちよかったです。ガッシュとドモス隊も登場、ニカも一歩踏み出しました。ですが敵は、まだ後ろの手を握ったまま。次話は……シリアス回です。覚悟してください。ブックマーク・評価・感想、何よりの帰り荷です!




