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ー幕間ー 宇宙空間の風呂事情

ー海皇都からはるか6520光年

たか座方面 荒葉(あれば)地方

国境部第三警戒ライン オシベラ星系


海都標準時 9月20日 午後6時ごろ



人が生きていくために必要なものはたくさんある。

水や食事といった、最低限生命活動の維持に必要なもの。息抜きや、やりがいのある仕事や、交友関係といった、社交性と複雑な精神構造を持つ「人類」がその精神を安定させるために必要とするもの。ある程度プライベートが保障される空間や、甘味やアルコールを含めた嗜好品、植生や装飾といった、目に見えにくいものの確実に士気や精神衛生に影響を及ぼすもの。

ざっと思い当たる節だけでこのくらいのものが必要になってくる。短期的には必須ではなくとも、閉鎖空間で数週間から数ヶ月、任務によっては一年ほどの長期間、数十人から数百人が共同で生活し、働き、戦う宇宙艦においてはいずれも重要だ。


では、身体の衛生、すなわち風呂はどれに含まれるのだろうか?

宇宙を航行する艦艇は、文字通り閉鎖空間だと言える。もし不衛生な環境が元で伝染病が発生すれば、艦内が地獄絵図になるのは想像に難くない。

この点で浴場あるいは最低限のシャワールームという設備は、乗員の生命保護という観点から最低限必要だと言えるだろう。

精神的な安定効果も軽視できない。

入浴という文化は古来より、単に身体を洗って終わりでなかった。全身を効率よく温められる浴槽は、使用者に安心感とリラクゼーション効果を与え、日々の疲れを癒すことが期待できる。長期的な作戦行動において入浴施設、特に浴槽は必須だと断言できる。


さらに乗員にとって艦は、職場であると同時に家でもある。我々が目指すのは、戦闘一辺倒の攻勢艦隊ではない。星を、人を、文化を守り、広げるための艦隊である。

当然の前提条件として、艦に乗る乗組員たちも「守るべき国民」であり、彼らの日常もまた守られるべきだ。

そのためには、乗員の生活環境はより良いものとする結論に至るのは当然の帰結であり、その中でも大浴場の整備は極めて重要性が高い。戦艦から駆逐艦や護衛艦に至るまで、必ず用意すべき必須の設備と断言する。



ある士官が国防総省の艦政本部、つまりは艦艇の設計部門に直談判した際の発言を要約するとこうなるらしい。

実際は4時間ぐらい大激論を繰り広げたとかなんとか。

正直、バカじゃない?と思わなくもない。でもそんな伝説を刻んだ士官のおかげで、今のエストライの艦艇には大なり小なり浴場が整備されていた。


艦内容積に余裕があり、乗員数も比較的多い大型艦は、その分大浴場も広い。

その中でも、エストライ最大級の艦艇となる鯨型の大浴場はかなり大きく造られていた。

そんな湯煙で向こうの壁が見えないほどの浴槽に肩まで浸かり、ロミアは深く息を吐く。全く脈絡のない思考が突然流れてくるのは、疲れている証拠だと彼女は思っていた。

浴槽の淵にもたれたまま身体を沈め、口元から息を吹き出す。目の前の湯面からぼこぼこと泡が湧き始めた。


といっても他に考えるべきことも少ない。シラーナルの方は忙しいらしいが、それもここから2500光年も彼方の話だ。考えたところで何ができるわけでもなかった。

他の乗員が立てる水音が響く中、ロミアは水中で身体を伸ばす。自然と口からため息が漏れた。

任務は単調、辺境故に非番の戦隊でも降りる場所がない。大体の乗員にとって故郷ははるか遠くである。必然的に心身ともに疲労は溜まっていく。湯舟に浸かって疲れを癒せるのは想像以上にメリットが大きかった。

そういう点ではその士官にお礼を言わなきゃいけないだろう。名前すら知らないが。


戦闘配置時には無用の長物になる上、海上でも宇宙でも貴重な水を大量に使用する大浴場。一利用者としてはありがたいが、艦隊を運用する側の人間としてはその容積を弾薬庫にでも回せばいいのに、と思わなくもない。

と言っても、当時はまだまだ宇宙船は未知の技術だった。今でこそある程度のノウハウはあるが、当時の貧弱というよりも、碌な拠点すらない補給網を前提条件に宇宙に漕ぎ出す艦を設計するのは簡単ではなかっただろう。

海皇都、当時は惑星アーランの人々にとって、海上の船は日常風景だった。昔からどの町にも港はあったし、技術が進んで空を鉄の鳥で飛べるようになろうが、海上輸送の需要は常に存在する。それは海皇都と名前を変え、星々を束ねる首都となっても尚変わらない。

そんな海上が日常なエストライ人にとって、長期航海に耐える艦を設計する上で重要なこと。それは栄養状態と船員の不満解消だった。


かつての帆船時代、保存の効く食糧だけでは、採れる栄養に偏りが生まれていた。肉や魚は干せばある程度保つが、野菜ばかりはどうしようもない。焼こうが干そうが日持ちはせず、船上で栽培しようにも塩風吹き荒ぶ甲板で育つ植物など早々なかった。偏った栄養素と飽きの来る食事、天候に振り回される重労働…。当時の船乗りたちは相当の苦労と、文字通りの血と命を掛けて探検し、貿易し、時には戦いに出かけたのだろう。

時代が下り、栄養面においては一定の解決を得た。

食品を自在に凍らせたり乾燥させたりして日持ちさせ、必要な栄養素を抽出して錠剤にすることもできるようになった。もっとも、それだけでは限界がある。この黒鯨(こくげい)もそうだけれど、艦内に農園がある艦艇も少なくない。有機物を分解して再構成できるようになっても、数億年の歴史がある植物の成長メカニズムには遠く及ばないということだ。副産物として酸素も得られるし、古典的な方法で廃棄物を再利用できる。個人的には同じ廃棄物の再利用でも、再構成よりは抵抗感が薄かった。


今浸かっている風呂は、船員の不満解消の一助となっている…。そういえばまだ浸かったままだった、とふと思い出す。頭に靄がかかっているし、体の芯が熱い。

あっこれダメなやつだ。完全にのぼせてる。と脳が手遅れ気味の警告を発した。

最後にシャワーだけ浴びて上がろう、と思いゆっくりと身を起こす。覚悟していた白飛びはなかったが、若干足元がふらついた。


疲れている時は、湯舟に浸かればある程度疲れは取れる。けれど浸かり過ぎるとかえって疲労が増す。

何事もほどほどが大事ってことね、と頭の上で結えていた髪を解きながらロミアは思った。


警戒ラインは、今日も異常は見られない。

艦内ではいつもの日常が流れていた。

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