第三十二話 羽と冠
初創都について
エスト星系から距離にして約3.5光年の位置に存在するカラナ星系第三惑星。
命名由来はそのまま初めての創立された植民惑星という意味。この時代の宇宙開拓省は、命名がかなり直接的。
エルディア側が主体となった入植政策により、建築様式はエルディアのものが多く用いられている。
-出典:Nelt百科事典
―初創都 エルディア継承連邦首都 ルサ・フリーエ
翠暦9月17日 創都標準時 午後2時20分ごろ
澄み渡った青空に、緑色の星がぽっかりと浮かんでいる。その星を背景にして、天を突くようにそびえたつ巨大な軌道エレベーターがくっきり見えた。雨上がりの今日は、どうやら空気が澄んでいるらしい。
初めてこの星に人が降り立ってからもうすぐ10年が経とうとしている。それはつまり、エルディアが新しい故郷を創ってから10年経つということだ。と言ってもこの星には、エルディア人以外にも多くの種族や民族が生活している。町並みはかつての首都を彷彿とさせながらも、そこで暮らす人々や文化は全く違っていた。
初創都は文明の記録庫と言える。エルディアだけではない。エストライであれ、オクサーラであれ、海球であれ、ありとあらゆる文明の技術と文化が記録されているからだ。記録というのは単に箱に入れておけばいいものではない。思い起こし、実際に使うと人の感情が乗る。その感情が文化に息を吹き込んで、初めて社会に根付くわけだ。一度根付いた文化は、そう簡単には消えない。姿を、形を変えながら何百年も生き永らえる。例え星を失おうとも、多くの人間が死のうと、次へ繋げていくことができる。
されど。
継承は完全ではない。
記録はコピーできる。技術も、文化も、思想も、使い手や受け止め方が変わろうと遺り続ける。しかし、かつての都市計画に沿わせた建物をこしらえようと、今手に入る食材でかつての郷土料理に限りなく近い味を生み出そうと、失われた星は、命は帰っては来ない。
同じ空も、同じ海も、同じ重力も、そして在りし日の日常も。
軌道エレベーターから降りてきた中年の男性が、ふと足を止めて空を見上げた。何が意識に引っ掛かったのかはわからない。空の色も、その上に薄っすらと見える環状拠点も、あの星とは違う。道や建物のつくりも、似ているだけだ。隣を通り過ぎた尻尾の生えた若い女性も、遅刻しそうだと慌てる緑の肌の少年も、あの星での記憶の中には存在しない。
ここは生まれ故郷ではない、それでも、全く嫌な感じはしなかった。似ている、似せて造られている。ただ、例えそうでなかったとしても、今の自分の帰る場所はここだ。
今更当たり前の結論に思考が帰結する。どうやら疲労と宇宙酔いで頭が回っていないようだ。心の中で誰ともなしに「ただいま」と漏らしてから、男性は家路へと歩を進めた。
―ルサ・フリーエ 連邦統合府 元首執務室
静かな部屋だった。窓は大きく、天井も高い。部屋の簡単な構造を見ると、まさに国家の最高権力者が仕事をするのにふさわしい部屋だ。一方で、装飾や調度品の類は最低限に留められている。手に入らないわけではない。部屋の主が、あえてこの静かで無機質な部屋を維持しているだけだ。その代わりというつもりか、星図投影装置や通信卓、データベースなどが部屋を陣取っている。
部屋の主である彼女自身、自分がお飾りに過ぎないことは重々承知していた。どれだけ取り繕おうとも、自身の父親のように国を導くことなどできない。経験も覚悟も足りないと理解しているからだ。それでも、そんな自分にしかできないことなら、精一杯やろうと思っていた。
承認や署名を求められる電子書類に、一応目を通す。不備を探しているわけではないけれど、様々な人が協力してできた法案や計画だ。きちんと読んでおかないと失礼な上に、この国がどう変わるのかをちゃんと知っておきたかった。
そうして一区切りついた頃、窓の外に目をやって一つため息を吐く。そんなリセリアを呼び戻すように、通信卓が通知音を鳴らした。取ってみると外交省からで、聞き馴染みのある連絡員の声が聞こえた。
『突然の連絡、失礼致します。殿下。先程、連合皇国の主任外交官から通信がありまして、殿下に申し上げたい事案があるとのことでございます。いかがなされますか?』
全く予想していなかった内容だったので、リセリアは内心小首をかしげる。エストライの主任外交官ほどの人が、事前連絡も無しにこう言ってくるのは珍しい。
「分かりました。繋いでください」
急ぎではあるものの、緊急事態というわけではなさそうだ。勝手にそんな予想を立てながら、リセリアは連絡員にそう伝える。
数秒後に映像が切り替わった。
映し出されたのは綺麗な金髪に、頭から生えている羽が目を引く女性。何度も話したことのある、アリス外交官だった。
『…突然のご連絡にも関わらず、お目通りいただき感謝の極みです。殿下』
そう言うとアリスは、深々と頭を下げる。
「お久しぶりです。…今回はどんな件でこちらに?」
リセリアも、右手で耳と唇に順番に触れて挨拶を返す。
『はい。単刀直入に申し上げますと』
一度アリスは言葉を切り、軽く息を吸って続けた。
『貴連邦の領土に関してご確認したい点がございます』
リセリアは思わず傾きそうになる首を、すんでのところで堪える。
エルディアの領土は初創都をはじめ、いろいろな惑星にある都市ではないのか。そういった土地に関しても、明確な領土か問われれば疑問符が付いてしまう。確かに制度や法律には差異があるものの、国境が厳密に決まっているわけでも、入国審査があるわけでもない。国境というよりも行政区分に近いものだ。
「…ご説明いただいても?」
『承知いたしました』
アリスは僅かに頷く。
『まず、現行法においてエルディア継承連邦は、エルディア帝国領の領有権を引き継いでいる扱いとなっています』
リセリアは目を見開いて驚く。そんなことになっているとは知らなかった。知っていたらどうこうできたわけでもないが、自分が知らなかったという事実に歯噛みする。
『そして、連合皇国はその領土を防衛するために行動が可能です』
続けてアリスは僅かに目を細めた。
『…先日、たか座方面の外縁部にて、エルディア帝国の最外周付近の星系が確認されました』
確かにたか座方面から、銀河の外縁部方向に進めばエルディア帝国の領内に入る。ただ、今のエストライ国境がここまで近づいていたとは思わなかった。
「…なんと言う星系ですか?」
試しに名前を確認する。
『シラーナル星系だそうです』
アリスはすぐにそう返してきた。案の定聞いたことのない名前だったが、たとえ辺境でも大切な領土だ。
ちゃんと名前を覚えておこうと思うリセリアを知って知らずか、アリスが話を続ける。
『貴連邦の正当な領土であると公表していただければ、我々は奪還する用意があります』
…奪還ということは、何ものかの支配下にあるということだろうか。頭の中に、あの悍ましい黒い異形どもが過ぎる。
「…今は、オルムがそこにいるんですね?」
努めて感情を押し殺して尋ねた。
アリスは一瞬考え込むように目を閉じ、再び口を開いた。
『…はい。今回はその確認に、ご連絡差し上げました。…殺すためではなく、取り戻すために』
沈黙が降りる。
長くも短くもない、考えを整理するための時間。リセリアはアリスの目を正面から見据えた。
「確認ですが」
静かに口を開く。
「…破壊ではないんですね?」
名前も知らなかった辺境だ。たった1星系、1惑星だ。それでもまごうことなき祖国の一部で、守るべき場所だ。
『はい』
アリスは即答した。声も目線も小揺るぎもしていない。
『あくまでも、奪還であり、生存者の可能性を探すことが主目的です』
少し間を置き、続けた。
『戦闘は、その手段に過ぎません』
その返答を聞いて、リセリアは深く息を吸う。
そして、宣言する。
「…エルディア継承連邦は、旧エルディア帝国の領土を正式に自国領と認め」
少しだけ力を込めて、続けた。
「その奪還を、要請します」
言い切った後に、するりと言葉が漏れた。
「取り返してください…あの星も…」




