第二十九話 隣家の蜂の巣
蜂について
海皇都は主に列島や諸島で成り立っているため、多くの島で独自の生態系が形成されがちである。
哺乳類に関しては、ある程度の一貫性が見られる。これはかつて、一つの大型大陸が存在し、地殻変動によって分断、沈没した故と言われている。
一方で昆虫類に関しては、起源こそ同じであってもかなり特色豊かである。
蜂に関しては毒性をほぼ持たない種から、人間にとっても命に関わるほどの猛毒を持つ種もいる。その中でも「ゴレディアバチ」と呼ばれる種は特に毒性が強く、大型である上にどこにでも巣をかける習性があるため、非常に危険。統一以前の国交の活発化によって、惑星内で生息域を広げ、現在の福祉健康省が名指しで警戒を呼びかけるほど。
現在では医療の進歩によって、適切な治療さえ受ければ問題ないものの、やはり放置すれば死に至る。その上非常に痛いため、近所で見かけた際にはすぐに駆除が勧められる。
大型であるため、気化性の殺虫剤は極めて有効。遠方から巣に直撃させれば、群れごと撃退できる。しかし、やはり専門の業者に依頼するのが安全で確実である。
ー出典: Nelt百科事典
―海皇都 中央区 国防総省本庁舎 第三会議室
9月17日 午前10時15分
部屋は沈黙に包まれていた。誰も口を開こうとしない。
U字状に並べられた机の中心には、大型の投影装置が鎮座している。普段なら予算や艦艇の図面などが投影されているそれには、明らかに異常な惑星が鮮明に映し出されていた。
「…これが、シラーナルⅢですか…」
ようやく、事務次官が口を開く。その顔には抑えきれぬ疲労の色が浮かんでいる。
エルディアのオルムディア研究局から、惑星が餐界のコロニー化している可能性は既に示唆されていた。全くの想定外ではない。それでも現実は、予想できる「最悪」をあっさりと踏み越えてきた。
「はい。第83巡洋戦隊が撮影した映像を鮮明化しました。既に個体の生産が軌道に乗っていると推定されます」
端末に表示されるデータを見ながら、ルイスが続ける。
「現時点で隣接星系であるフルト及びジルヨ星系に襲来した個体は、合計で少なくとも二千以上と推定されます。これらの個体はいずれも、第83巡洋戦隊がシラーナルに進入した後に動いたようです」
再び部屋に沈黙が降りる。
餐界個体は、一澪たちの偵察直後に1200体を投入した後、意図的に間隔をあけて戦力を小出しにしていた。
『…間違いありません、奴らは今、彼らを観察しています』
遠隔での参加者は、机の上に映像として投影されている。その中の一つ、比率としては白髪に黒が混じっている長髪を、後ろで一つにまとめた人影が沈黙を破って音を発する。
『第七遊撃艦隊の時と同じです。奴らは未知を観察し、探り、模倣し、対抗策を練る。このままでは、また同じことが…』
悔しさの滲む声と同期して、映像に微かなノイズが走った。
一瞬の沈黙が流れる。
「…軍の意見をお聞かせ願いたい」
映像から目をそらし、副大臣が鋭い視線を副司令に投げかける。猛禽のようなその目は、本来そこに居るはずの人間を見ているようだった。
「…実際に交戦した第七遊撃艦隊、ひいては統合司令部全体としては、先ほどのニレイラ教授と概ね同意見です。少なくともたか座方面のオルムディア個体は何者かに統制されています。そして、時間はあまり残されていません」
その目線を真っ向から受け止めて、副司令は答える。いつの間にかズレた眼鏡の位置を直し、さらに言葉を続けた。
「第八要撃艦隊主力が交戦を開始してから、もうすぐ丸一日経ちます。そろそろ戦術に対応する個体が現れてもおかしくありません」
「だから領域外へ艦隊を侵攻させる。と?」
被せるように副大臣が尋ねる。
「仮にフルトⅣが陥落し、コロニー化した場合、シラーナルⅢよりも大型の惑星である以上、さらなる脅威となることは疑いようがない」
副大臣は一言一言噛み締めるようにそう話した。
「ここにいる我々はそれを理解している。…しかし国民はどうだ、外宇宙への侵攻は即ち戦争を思い起こさせるだろう。餐界はただの害獣と考えているものも少なくない、彼らにとっては、田畑を荒らす山羊や狐と同類なのだ」
第三警戒ライン上のジルヨ星系と、件のシラーナル星系、その距離36光年。人間からすれば遥か彼方だが、宇宙から見れば隣だ。されど政治的には、その間に高い壁がそり立っている。
「ようやく平和を手に入れた。そう思っている者は多い。かつての経験から、未だに軍に悪印象を持つ議員も少なからず居る。もしまた『軍が引き金を引いた』となれば、エストライは内部に敵を抱えることになる」
机の上に腕を乗せ、深刻な表情で副大臣は語り続ける。
あくまで国民とその生活を守る手段である。そう定義され、設立されたのが国防総省であり国防艦隊だ。これからしようとしていることは、事情を知らない国民からすれば、害獣駆除のために国外の山を焼き払った、そういう風に映るだろう。
「では、これを国民に開示してみては」
中央に投影されたままのコロニーを指差し、若い幹部が尋ねる。
脅威とはっきりわかれば、それを排除するために躊躇する者はいない。相手が理性なき獣なら尚更だ。玄関のすぐ前に毒蜂が巣をかけているのに、わざわざ家の中に入ってくるまで殺虫剤を叩き込むのを躊躇う人間が、どこにいるだろう。
「…間違いなくパニックが起きる。首都圏はともかく外縁部は持たない」
事務次官がそれに答える。
情報を正確に伝えるというのは、宇宙を自由に飛べるようになっても難しいものだ。どこかで捻れ、尾鰭がつく。もし、「いつどこにコロニーができているかわからない」といった形に解釈されれば、大混乱は避けられないだろう。そして民間や物流の混乱は、間違いなく軍にも波及する。哨戒網が乱れれば、本当にどこにコロニーができてもおかしくない。
軍からは外部へ侵攻することはできない。例えそれが予防措置であったとしてもだ。「エストライは決して侵略国家であってはならない」、この尊ぶべき思いは、場合によっては足枷となってしまう。
会議室に何度目かの重苦しい沈黙が降りてきた。
「…あくまで防衛、あるいは奪還という形であれば」
副司令はゆっくりと顔をあげ、並んでいる副大臣と事務次官を見据える。
「言葉遊びではありますが、世論を納得させやすいかと」
そう言って、返答を待つ。
結局のところ、軍からすれば理由なんてなんでも良い。やるべきことは変わらないからだ。オルム個体を排除し、惑星に巣食う巨大な構造を破壊する。それ自体は、できるかどうかは別として単純だ。
ただ、その後のことも考えなければならない。国を守ることには、国民のかけがえのない日常を守ることが含まれる。戦争で崩れ切ったそれを、なんとか建て直した人々にとって、戦争とは敵なのだ。
「…それなら許可が出るだろう。どうやるかは別問題だが」
しばし思案した後、副大臣がそう答えた。
いかにして、戦争を感じさせずに目先の脅威を取り除くか。手段は違えど目的は同じ者たちにとって、それが一番の議題となった。
(今回の艦艇解説はお休みします)




