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7月 その25


「みなさん、別荘のお掃除ありがとうございます!お疲れ様です!かんぱーい」


水雲(みずも)さんが音頭を取った後、僕らは口々に乾杯をする。

夕日の余韻が微かにある夕闇空でもあっても蒸し暑さは消えず、不快指数が高いのは真昼と変わらなかったが、それが逆に喉を通る冷たい快感を際立たせてくれた。


無人島貸し切り生活、二日目の夜。


日付けが変わって、掃除をする配置を再編成し、午前中から精力的に頑張ったのが結果に現れたのだろう。

邸内も外の島内設備も、あれよあれよという間に掃除が終わっていった。

夕暮れになる頃には余裕を持って、阿川(あがわ)さん達には最終確認をしてもらっていた程だ。


一番時間を食うと思われてた室内庭園も、昼過ぎに邸内メンバーと島内設備メンバーの総出(そうで)で掛かると、想像の何倍も早いスピードで草木の姿形(すがたかたち)が整えられていった。


阿川さん曰く、室内庭園の掃除(というよりは整備)の手際は委託している業者と遜色(そんしょく)ないレベルだったとの事。

昨日時点では絶望的と思われた、この無人島を含めた別荘の清掃だったが……事なきを経て今、桟橋近くの砂浜で打ち上げとして盛大にバーベキューをしている。


「しっかし、砂浜でバーベキューとか何かさぁ……夏っ!!って感じがするよな。バーベキューはバスケの合宿でやったことはあったけど、こういう海の間近でやるってのはバーベキューの格が一段階上がった感じがある!!頼斗(よりと)もそう思わね?」


僕の左隣にいる智紘(ともひろ)が肉、肉、野菜と口に掻き込んだ後、満面の笑みでそんな事を聞いてくる。


「まぁ、そう言われるとそうなんだけど……僕、バーベキュー自体が初めてだから何というか……一回目が最高のシチュエーションになっちゃったなって感じかな」


「はっはー!バーベキューデビューが無人島の砂浜か!次バーベキューやった時に物足りなくなりそうだな」


「環境だけを見たらそうかもね」


そもそも僕はこういうガヤガヤしたイベントに集まる事がほぼほぼ無いから、素直に楽しめるか不安ではある。


でもまぁ、笑顔で何でもかんでも頬張る智紘を見ていたら悪いものでもないなと思えてきた。

そういう"楽しくなるような雰囲気"を智紘が作ってくれてるのかもしれない。


「うまい!うまい!!うますぎる!!!これはバーベキューを越えたバーベキュー……ネオバーベキューだっ!!!!」


……ただただ智紘自身が全力で楽しんでるだけだな。

僕はそれに当てられてるだけな気がする。


「あっれぇ~?どうしたのかな?頼斗くん」


興奮状態真っ最中の智紘に視線を向けていると、背後から艶(なまめ)かしい雰囲気を纏った声が僕の耳元から聞こえる。


「ぅわっ」


僕は咄嗟(とっさ)に声を挙げてしまい、頭半個分ほど智紘の方へ仰け反ってしまった。


いたずらっぽくニヤニヤとした表情を見せたのは、僕の右隣にいた梅城(うめしろ)さんだ。


「なに今の声!あははっ、面白いね頼斗くんは。記念に一枚!」


理解が追い付かない中、梅城さんは肩から掛けていた高そうなカメラでカシャリと写真を撮った。

何の、どういう記念……?


「うーん、あははっ。締まりのない顔~!って、あんまり笑うのは失礼か。さーてさて?私をこんなにも楽しませてくれてるご本人さんはさっきから浮かない顔してるけど、バーベキュー楽しくないの?」


写真を撮ったり笑ったりと、思う存分フリータイムを満喫した後、僕の表情から様子を窺ったのか質問をしてきた。


「楽しくない、訳じゃないですけど……」


歯切れの悪い返ししか出来なかった僕に梅城さんは、顔色ひとつ変える事もなくざっくばらんに聞き返す。


「含みのある言い方だな~。差し詰め、楽しみ方が分からないって感じでしょ?」


一瞬、僕は驚いてしまった。


「よく分かりましたね」


図星だった故に言葉を返すまでに少しばかり時間が掛かってしまったが、今の的確な一言は、僕の梅城さんに対する関心度を一段階上げるものだった。

だが、梅城さんの表情は純な明るさからフラットなものに変わった。


「あー、荒家(あらや)くんとの話、普通に聞こえてたから」


…………。


「すっと本題に入れば良かったのでは……?」


一連の流れを思い返し、一周回って言いたい事はこれに行き着く。

僕の関心度は上がった分だけ、スコーンと落ちていった。


ところどころ心を惹き付ける立ち振舞いをする梅城さんだが、出会ってから約二日……僕が梅城さんと接して抱いたイメージは、好感を得て梅城さんの株が上がっても落ちるのが早い。

感情の上下を含めて彼女の前世はジェットコースターか何かなんだろうか?


半ば勝手に梅城さんを遊園地の一部と同一視しそうになっていると、当の彼女は若干呆れ気味にズバッと切り込んでくる。


「いやいや、これは別に報連相じゃないんだからさぁ。頼斗くんってテキトーな会話にまでも効率を求めるタイプなの?」


言われて僕は考えるが、脳内では収まらずに口から駄々漏れとなる。


「会話にまで……うーん、どうなんですかね?」


自分で考えても答えが出なかったのもあり、質問してきた梅城さんに聞いてしまった。

口をへの字にした梅城さんは「頼斗くん」と、諭すような口振りで話し始める。


「コミュニケーションってのはね、一直線に行くよりも、無駄を挟んだりする方が案外上手くいくもんだったりするんだよ。これ、テストに出るから」


「何のテストですか……」


「んー、人生ってやつっ?」


「……ぶっつけ本番って事ですか?」


大きな枠組みで言うなら、今この時もテストの延長線上なのだろうか。


「そゆことっ!!」


勢い任せな感は否めないが、自信満々の表情で言い放つ姿に否定も肯定もできなかった。

うだうだと話をしつつバーベキューを堪能していると、梅城さんと今日の話をする事になった。


「頼斗くんは昨日から別荘の中の掃除をする中心人物だったでしょ?ぶっちゃけどう?昨日と今日で別荘の中と外、全部の掃除が終わると思った?」


「今日は入れ替わりで外の掃除をやりましたけどね。……本音を言うなら、終わらないって思いましたね。部屋のひとつひとつが広かったですし、リビングは更に別物だったというか……規格外だったなと」


「リビングは本当に凄かったね。でも私個人としては別荘の中にあった庭園が別格だと思ったかな」


「僕は終盤でしか庭園の掃除には参加できなかったんですが、そんなに大変だったんですか?」


僕が外の設備関係を点検や細かい所の掃除をしている間で、気苦労が絶えなかったんだなと感じた。

けれど──


「いや、大変だったのは大変だったんだけどさ──」


僕の予想は大きく外れてしまう。


「今から掃除するぞって気合いを入れて庭園に入ったら驚いちゃったんだよね。あんなにも生い茂った草木が密集してたのに、虫が異常に少なかったの」


「異常に、ですか?でも、少なかったとはいえ居たのは居たんでしょ?」


異常と言われても正直ピンと来ない。


「居たよ。でもさ、うーん……レベルで言うなれば植物園とかの管理されてるくらいだったの。駆除するような害虫がうじゃうじゃいて、掃除も駆除もてんやわんやになる……とかじゃなく、生い茂ってる草とか木を整えたり花の手入れが主(おも)だった感じ」


抽象的だったものが比較対象を植物園とする事で想像すると、異常さが際立った。


「だから最初は掃除するのに勇気が要るなって思ってたんだけど、実際は土いじりと草いじりだったからさ。まぁ、かなり広かったけどね、リビングに負けず劣らず」


邸内とはいえ、屋外でリビングと同等の広さを掃除するのは骨が折れる事だろう。

それにしても……。


「虫が少なかった分だけ負担も少なかったのは幸いでしたね。とはいえ異常に虫が少なかったというのは気になります。七月の終わりでもう真夏と言えるのに」


逆に冬であるなら、虫に限らず生き物も冬眠で僕らが目にする機会が減るのは解るが、今は夏季真っ最中。


生き物に夏バテはあれど、昆虫にそんなものはないはず。(あるなら博識の人、教えて)


溌剌(はつらつ)、活発、大盛況のこの時期に、別荘の屋外に繋がっている庭園で害虫退治をほぼしないというのは考えづらいが……。

この不可思議な現象に頭がいっぱいになっていると、僕の正面で黙々と食事をしていた空閑(くが)先輩が手を止めて口の中にあったものを飲み込み、自然な形で僕らの会話にするりと加わる。


「虫が少なかった理由だが、清掃とは別で害虫駆除と防虫対策の業者が入ってるらしいぞ……」


会話に参加して早々、空閑先輩は気になっていた事の真相をさらっと教えてくれた。


「えっ!?ほぼ屋外なのに防虫対策とか効果あるの!?」


梅城さんが真相に食い付く。


「詳しい事はよく解りませんが、植物の生態系や環境に合わせて相当な費用を注ぎ込んでるみたいですよ……。阿川さんが教えてくれました……」


そう言って、僕から見て左側の最奥で食材の焼き担当を一挙に引き受けてくれている阿川さんの方へ、視線を送る空閑先輩。


丁寧な口調で質問に答える空閑先輩を見たのは高校の時以来だな。


先輩達が卒業すると、先輩と自分が同席の場で、他の年上の人と話す機会なんて学校でもない限り滅多にあるもんじゃないし。

毎度の如く、先輩の敬語という細かいポイントに引っ掛かった僕だが、今回はそれ以外にも小さな疑問が僕の中に積もっていた。


僕は恐る恐る空閑先輩、もとい会話の参加者である二人に質問をぶつける。


「あの……お二方(ふたかた)に聞きたいんですが……」


「急に改まったりして、どうしたの?」


気を遣うタイミング?とでも言いたげな梅城さんの表情に後押しされて、僕の脳は迷わず言葉のアクセルを踏む。


「どうしても気になった事があるんですが……生活する上でと言うと大袈裟になるかも知れないですけど……掃除中に"虫がいる、いない"ってそんなに気にする事なのかな?って思いまして。自分なら普通に何も思わずに掃除が終わりそうで」


僕はまだ高校三年生。


外に出歩いた回数より、机と向き合っていた回数の方が多いという自負がある。


だからこそ分からない。


学外の経験自体が乏しいからこそ僕は、虫に対して、そんなにも意識を向けるものなのか。


「んー……どうなんだろうね。私は単純にアルバイト先の影響かな?ほら私、映画バーで働いてるって話したでしょ?衛生面はキチンとしないといけないからさぁ。オーナーが衛生面(そういうの)に厳しいから手が抜けないんだけど、こう暑くなってくると嫌でも遭遇するんだよね。だから夏が嫌いじゃなくても、清掃する時に虫がうじゃうじゃいるのを見たら「「さっさと冬になれっ!」」て思いながら綺麗にしてる」


あははは、と嫌な気持ちを笑いに昇華して話してくれた梅城さん。

ネガティブな気持ちが結果的に、細かい所まで意識を向けさせた……というのが梅城さんの中でのプロセスか。


意識せざるを得ない生活環境の中に居れば、自然とそうなってしまうのも頷ける。

梅城さんの話が終わり、息を合わせたつもりはないが僕と梅城さんは空閑先輩へと目を向けた。


丁度、グラスに入った飲み物を飲み干した空閑先輩は空いたグラスをゆっくりテーブルに置き、右手で後頭部を掻きながら困った様に言葉を紡ぐ。


「自分も大した事じゃない……。大した事じゃないんだが……」


空閑先輩は言い淀みながら空閑先輩の左方向、もとい僕から見て前方右手側にいる海江田(かいえだ)先輩をチラッと見る。


表情にはあまり出てないがたぶん、何かしら気まずさがあるのだろう。


しかしながら海江田先輩は、松之下(まつのした)さんと竹並(たけなみ)さんの二人と談笑していて、こちら側には見向きもしない。

そんな様子を見て、空閑先輩は「まぁいっか……」と話を続けてくれる。


「実は子供の頃、植物に興味があってな……。家でゲームをするくらいなら植物図鑑を読んでたし、外で体を動かすくらいなら公園で土をいじってたから、周りの友達には植物博士って呼ばれてたりもした……。要は根暗(ねくら)だったんだよ……」


接点が昨日今日の梅城さんは「え~、そうだったのー?」とフレンドリーに受け入れてたけれど、僕からすると衝撃的な内容だった。


普段から落ち着いた喋り方をしているだけあって、根暗というのはまだ解らなくもない。

だが……空閑先輩が植物図鑑を読み耽る、土いじりをするというのは背景を少年時代と加味しても、自分には想像できなかった。


「植物博士って呼ばれてたと言っても十年以上も前の事だからな……。今はちょっと植物に詳しい、ただの大学生だよ……」


微笑を浮かべては謙遜する空閑先輩。

謙遜から少しの間が空いて、空閑先輩は話を続けてくれる。


「それで、虫がいるかいないかを気にするのか?って話だが、主観だけを言えば自分の場合は意識の中心が"虫"じゃなくて"植物"だったってだけだと思う……。さっき軽く自分の過去に触れたようにな……」


「……意識の中心が植物?」


僕の中には新しい疑問が生まれる。

けれどもそれは、空閑先輩がすぐに僕の疑問の解消を促そうとしてくれる。


「あの庭園にはバラ科の植物がちらほらあったんだ……。季節的に花は咲いてなかったから目立ちもしなかったが……。だからこそ自分としては葉や茎に目が行ったんだが、どれだけ目を凝らしても虫の被害が無かった事に驚いてな……。かと言って、虫にとって活動しにくい環境になってる訳じゃない…何なら楽園と呼べる程に周りの環境は整っていたくらいだ…」


「ほうほう……」


空閑先輩の喋り方にはさほど変化はない……ただ少し、いつもよりも口の回りが早くなっているような……。


「どれだけ手入れをしてたとしても夏の時期の雑草の成長はエグいんだよ…。あの広さと土の質なら三週間──いや、二週間でも手入れを怠(おこた)れば相当厄介になると見た…。夏場なら尚更だろう…。なのにだ…。そこまで虫の被害に会う環境が整っているのに、綺麗にしっかり育っているのには脱帽した…」


「はぁ……なるほど……」


相槌をしつつ、抱いた疑問を解消しようと話を聞いていた僕だったが、空閑先輩の知識と視点……そして熱量が一般人から逸脱してるのを垣間見て、徐々に話が頭に入らなくなる。

注意散漫になりそうな僕を横目に、梅城さんが「でもさぁ」とカットイン。


「農薬を使えば、虫なんて大体解決しない?花だし、作物じゃないから問題はないんじゃないの?」


『家庭菜園』の『家』すら知らない素人の僕はその考えさえ湧かなかったが、言われてみればそうだ。

手っ取り早く対策する方法はある。


すると空閑先輩は溜め息をひとつ吐き、口を真一文字に結んではすぐに言葉を返す。


「梅城さん、作物じゃないから農薬を使っても良いって発想は甘いんですよ…。日本の農薬は厳しい基準が定められてるとはいえ、物によっては触れば皮膚炎を起こしてしまう可能性だってある…。だから、花なら農薬を使っても問題ないっていうのは、少し認識が甘いですね…」


丁寧な言葉で梅城さんの意見を一蹴した空閑先輩は、更に話を続ける。


「水雲別邸(ここ)の防虫対策は虫の知識だけじゃなく、植物の知識を用(もち)いて対策してるというのが素晴らしい…。阿川さんは「「業者を入れてる」」「「費用は惜しまず使ってる」」というニュアンスで話してくれたが、実際は植物同士のバランスも良かった…。言う必要が無いと思っていたから省いていたが、ここの庭園、バラ科の植物の近くには土の環境を良くするマリーゴールドとか、害のある虫に効果のあるラベンダーなどが一緒に植えられてたんだ…。防虫対策に於いて、資金を投じるというのは一番分かりやすい方法だが、別のアプローチで対策しようとしているのは見て取れる…。専属の庭師でも居るのか、はたまた業者の知識の賜物(たまもの)か……誰にせよ好感が持てるな…」


染々と感想を溢す空閑先輩に、梅城さんはゆっくりと何度も頷(うなず)いた。


「へぇ~、バラ科はラベンダーと一緒に植えるといい……勉強になるね~」


感心を示しながら空閑先輩の知識を吸収しようとしていた梅城さん。

僕も梅城さんと同様、空閑先輩には感心しかない。


あの知識量、幼少期に呼ばれていたという植物博士の片鱗を見た。

感心している僕ら二人を見て、空閑先輩は小さくひと呼吸……チラッと海江田先輩も見た後、僕らの方に向き直った。


「一応、頼斗(よりと)の質問には答えられたかな……。でもまさか、こんな所で過去の知識をひけらかす事になるとは……。何があるか分かったもんじゃない……」


先程までの早口はどこへやら、空閑先輩はいつもの落ち着きを取り戻した。


話し終わったとはいえ本人も困惑ものだったのか、大容量のペットボトルを手に取り、飲み物をグラスに注ぐや否や、それをぐいっと飲み干した。


勢い余って少し溢(こぼ)してしまったようで、空閑先輩は手の甲で口元を拭う。

飲みっぷりはまさに清涼飲料水のCМでも見ているようだった。


ここで僕は、今まで見た事が無かった空閑先輩の一面を思い返す。


空閑先輩も思いがけない事だったのかも知れないけど、僕の何気ない質問からこんなディープな話になるなんて。

虫と植物……相互関係があるのは既知だとしても、案外自分の知らない事ってたくさんあるんだな。

遠いように見えて近い……無関係のように見えてそうじゃない。


双方の着眼点は違えど、話の辻褄が合った瞬間──これをどう言語化すれば良いのか、もどかしい気持ちだが……なかなかに面白い瞬間だったように思う。


空閑先輩の飲みっぷりに釣られてか、それともこの蒸し暑さのせいか、梅城さんも空閑先輩に負けじとドリンクを飲み干す。

空になったグラスをテーブルに置いた梅城さんは、空閑先輩にまるで子供のような笑顔を向けた。


「大人しそうな見た目してるのに、あつ~い物もしっかりあってぇ……空閑くんって取っ付きにくそうかなって思ってたのに、全然違うね!玲香(れいか)ちゃんの周りの子、面白い子ばっかり過ぎない……?お姉さん、楽しくなってきちゃった!!ねぇ。空閑くんの話、もっと聞きたくなったんだけどさぁ、色々聞かせてくんない!?最近の話でも子供の頃の話でも良いからさ!!」


梅城さんはここ二日間で一番のテンションの上がり様だ。

興味津々で姿勢も前のめりなのは一目瞭然。


テンション爆上がりであんなことを言われたら、誰でだろうと悪い気はしない。

空閑先輩も「ええ、良いですよ……」と二つ返事をする。


僕はというと……承諾に喜ぶ梅城さんとは対称的で、さっきの話だけで十分に満たされたというか、空閑先輩の新たな一面、自分の知らない知識の吸収、小さな疑問に対してのカタルシスなど諸々の流れを反芻(はんすう)し──いや、簡潔に言おう。


僕は悦に入っていた。


間髪を容れず空閑先輩が再び語り始めてくれた所だが、今やもう僕の耳には話が入ってこない。

話をしてくれる本人を目の前にして、申し訳なさは感じている。


けれども供給過多。

既に心も頭もお腹いっぱいだ。


空閑先輩によって精神的欲求が満たされた僕だったが、それとは別に物理的欲求は"暑夜"というどうしようもならない要因により飢えていた。


とても、とても喉が渇いている。

目の前の二人と同様に、気持ち良く喉を潤したい程に。


自分のグラスは空……さてと、何を飲もうかな。


僕はテーブルの上を見渡す。


綺麗な皿、食べかけのまま食べ物が残ったままの皿等がある中、僕は目だけを左右に動かしてドリンクを中心に物色する。


今の気分は……あれだな。


飲みたいドリンクをロックオンして、右手奥──訂正、梅城さんの右手前近くにある白濁色のジュースが入ったペットボトルを取ろうとした。


──時だった。


「はーい、頼斗くんはコレでも飲んで~」


と僕は、梅城さんに近くにあった黄金(こがね)色に濁ったドリンクを、ペットボトルからをあれよあれよという間にグラスへと注がれる。


「んで、それからそれから?──」


当の梅城さんはというと──話を続けている空閑先輩の方へ、すぐに意識を向けていた。


一連の流れ……言葉を挟む隙も無かった。

飲みたいもの、違ったんだけどなぁ……。


注がれたものは仕方ないと、僕はグラスの中のドリンクを口に運ぶ。

濁流の如く舌の味蕾(みらい)を存分に刺激し、そのままどろりと喉の奥を流れる黄金色に濁った液体。


………………っ!!


これはっ……!!!


りんごジュースだ…………信じられないくらいに美味しい……!!!

このレベルの美味しいりんごジュースが、ペットボトルに……?

ガツンと来る旨味……こんなの、瓶に入って売られてるやつじゃないか……?

もしかして、阿川さん達が気を遣って中身を入れ替えてくれたのかな……。

にしても美味しい。


飲みたいものは違ったが、想像以上の美味しさに物申す気持ちが薄れていく。


りんごで口封じをされるなんて……空閑先輩の言葉を借りるけど、何があるか分かったもんじゃない。

グラスを空けた僕は空閑先輩と梅城さんをそっちのけで、先程注がれたりんごジュースに手を伸ばす。


今度は自らの意思で注ぎ、グラスも物理的欲求も満たそうとした。

再びりんごジュースを口の中へ──


「だぁかぁらぁ!!俺が撮りたい映画っていうのはぁ!!」


りんごジュースを口に含んでいた僕の耳に、一際大きな声が飛び込んできた。

その声の主は──


「全員が全員、ありとあらゆる力を総結集したすんげぇ作品を作りたいんだよ!!脩太郎(しゅうたろう)の完っっっっ璧な脚本に、天理(てんり)の最適且つ見ているやつに「「最高だ」」と言わせるカメラワークなら、どこに出しても恥ずかしくないだからよぉ!!」


斜め前の海江田先輩の右隣──正面に居る空閑先輩から見て、左側の海江田先輩をひとつ飛ばした先に居た松之下さんが、声高(こわだか)に喋っていた。


他の人の喋り声を掻き消してしまう程の大きさで。


「今日介(きょうすけ)先輩、ちょーっと落ち着きましょうかぁ」


隣の海江田先輩が松之下さんを窘(たしな)める。

表情は笑顔と錯覚するが……目は笑ってない。

人によっては恐怖を与えるタイプの笑顔。


やっぱり急にああいうテンションになられたら、海江田先輩といえど死んだような目にはなるよな……。

ん?………………松之下さんのテンション、気のせいかな……いつもと違う……?

何て言うか……お酒に酔ってるみたいな……そういうテンションの感じが……。


不自然な様子の松之下さんを注視してみると、少し離れた位置からでも顔が赤いのが視認できた。

だが、この暑さだ……顔くらい赤くなる。

特徴ひとつ当てはまるだけで断定するのは早計だ──


「オルェはさぁ、しょう……ショタ……ショウ太郎と天理が映画を撮るのにベストなレンバーだって思っててなぁ──」


……呂律(ろれつ)が回っていないし、口調にもブレが──あぁ……なんだ。

本当にお酒に酔ってるんだ。


確信を得たのは僕だけに留まらず、その場にいる全員にまで至ったらしい。


別荘の掃除は、無人島を貸し切らせてもらう条件だった訳だが、掃除単体で見れば労働とも受け取れる。

それを完遂したからこそのご褒美、打ち上げなのだし羽目を外すのは分からなくない。


松之下さんが大きな声を出してからというものの、梅城さんも松之下さんを宥(なだ)めに入ってる。

大事にはならなそうだし面倒事にならなきゃ問題視しなくてもいいかな。


我、関せずのスタンスで行こう。


純粋に打ち上げを楽しもうと今度は食べ物を物色────しようと、智紘が居る左方向に目をやった。


すると、視線の直線上最奥には水雲さんと、打ち上げ開始からずっと食材に火を入れ続けてくれていた阿川さんがいる。

焼き場から離れた阿川さんは、水雲さんに何かを耳打ちしていた。

その表情は昨日見た、水雲さんをからかっていた時の柔和(にゅうわ)なものではなく、どこか険しく、眼光さえも鋭(するど)さが感じられる。


内緒の話をしている二人を僕が見たのはほんの数秒の事だったが、急ぎの用なのか阿川さんは足早に打ち上げから席を外し、状況を完璧に飲み込めていなかったのかは定かではないが、水雲さんはきょとんとした顔で阿川さんを送り出した。

よく分からない光景だったが、気にしても仕方がない。


僕は食べ物の物色を再開する。

肉に野菜が選り取り見取り……取り皿にポイポイ移した僕は、ひと仕事を終えたかのようにグラスに入ったりんごジュースを一気に飲み干す。


よーし、今度はお腹を満たそう!!


と思ったのだが……りんごジュースの飲み過ぎ(まだ二杯しか飲んでない)か、尿意を催してきてしまった。

僕は隣の智紘に声を掛ける。


「ねぇ、智紘」


「おぅ、どうした頼斗。何か取って欲しい物でもあるのか?音寧(おとね)ちゃん達が居る奥の方、全然メシが捌けてないし、俺がちょちょいと取ってきてやるぞ。何の肉が良い!?鶏か羊か……それとも牛、豚か!?」


智紘は相変わらず楽しそうだ。

僕が空閑先輩達と喋っている間も別で満喫してくれていたなら、誘った僕としても嬉しい限りだ。


「いや、ついさっきいっぱい取ったから大丈夫。それより、ここら辺にトイレって近くにある?」


智紘は昨日、屋外の設備の掃除を担当していた。

今日は僕も掃除したけど、残ってる箇所をしたくらいで大して歩き回ってはいない。

土地勘なら恐らく智紘の方があるだろう。


「そうだな……。あるっちゃあるが、ぶっちゃけ別荘に戻る方が良い気はするな。距離は言うほど変わらないと思うけど、外の方は節電で空調を切って出てるだろうから。何にせよ、距離がほぼ同じならクーラーが効いてる方が断然良いだろ?」


確かに。

使うのが短時間だとしても、蒸し暑い中で解消したくはない。


「分かった、ありがとう」


僕は智紘に礼を言って、別荘へと戻る。


空は打ち上げを始めた頃より暗くなったが、舗装された砂利道には街灯もあるので危なくない。


それほどの距離ではないが、汗だくになりながら別荘の前まで帰還。

体から水分は出しているんだし、発汗で尿意が治まればいいのに。

催してるとはいえ特に危機的状況ではないので、こういう戯れ言も言える。


重厚なドアをゆっくり開けて中へ入ると、玄関ホールには千中(せんなか)さんと阿川さんが居た。

二人とも僕を見て、驚いた顔をする。

僕もそんな顔をされるとは思ってもみなかったので、二人を交互に見続けてしまう。

明らかに挙動不審だったんだろう……すぐさま阿川さんが僕に声を掛ける。


「どうかされましたか?姫島様」


柔和な表情……水雲さんに耳打ちしていたあの表情とは丸っきり違う。


「あー、いや……ちょっとトイレに行きたくて……」


そう言葉にするのも憚(はばか)られるほどに、ここの居心地──空気が悪い。

これは僕の体内を巡る生理現象とは無関係なのが肌感で解った。


「なるほど、そうでしたか。トイレはその廊下を……って、ご存知でしたね。失礼しました」


阿川さんは不自然さを感じさせない微笑と共に、丁寧な説明と小さな謝罪をしてくれる。

二人の横を通り過ぎて、僕はお手洗いがある廊下へ歩き出した。


水雲さんの付き人である二人に見送られ、背中に本当かどうかも分からない視線を感じていたが、振り返りはしない……いや、できない。


お手洗いへ向かいながら、僕の脳には玄関ホールに入った瞬間のシーンがフラッシュバックしていた。


一瞬だったけど、阿川さんと千中さんが取り乱してた……?

何かトラブルでもあったのかな?

でも、僕が口を挟むのは流石に変だし……うん、そうだな。

事情はどうあれスルーしておこう。


そうこうしてる間に目的地に到着した。

さほど遠い道のりでもなかったが、地味に距離が長く感じてしまった。


早く済ませて、みんなの所に戻ろう。


僕はお手洗いに入り、ガチャリと鍵を閉める──ここまで来れば誰にも見られる事はない。

たとえ、本当に視線を向けられていたとしても。




────────────────────


────────────


────




頼斗が手洗い場に向かった後の事。


玄関ホールには水雲(みずも)真澄(ますみ)の付き人である二人……阿川と千中が先程までと同様、沈痛な面持ちで向かい合っていた。


ホールに飾られていた和彫りの掛け時計が秒針を刻み続ける音。

普段なら気にも留めない時計の音が矢鱈と耳に残り、この場の空気を支配している。


一分と錯覚しかねない五秒……三分と錯覚しかねない十秒と……時間だけが過ぎて行く中、沈黙を破ったのは真澄の付き人をして約十年、水雲家からの信頼も厚い阿川だった。


「同じ事をもう一度言わせてもらうぞ。何故だ……」


阿川は千中に問う。


「あの場に何故、アルコール類と思われる物が"検閲を免(まぬが)れている"んだ……?」


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