7月 その26
時は遡ること少し前。
砂浜での打ち上げをしてる時、阿川は食材に火を通し提供する側……焼き場を担当していた。
阿川はあの場に居た人たち全員に、食材を最高の状態で給仕する為に心血を注いでいた。
火入れのタイミング……食材を焼く順番……肉に野菜、その他の量とバランスに至るまで。
問題は何処にもなかった。
一点……阿川からして最奥のテーブルで"事"が起きるまでは。
松之下 今日介が声を張り上げた時、阿川も皆と同じく最奥に目が行った。
阿川も「何事か?」と思う。
状況把握をしようと、周囲とテーブルを順々に目視で確認。
特段、テーブル上に異変は感じられない……だが、明らかに異変のある人物が"二人"。
声高に話す松之下 今日介と、その反対側に居た竹並 脩太郎……その二人の姿を阿川は視認していた。
目立っていたのは言わずもがな今日介だったが、人知れず静かに頬が紅潮していた脩太郎を阿川は見逃さない。
しばらく静観していた阿川だったが、彼らの言動、行動、所作の一挙手一投足を確認し、あれらの症状は飲酒によるものだと、阿川の長年の勘がそう判断した。
アルコール類の持ち込みは禁じていたはずなのに。
慢心だったのではない。
何故なら検閲はしっかり行われ、その全てを承認している。
承認には阿川と千中も関わっているので見落としなど無い……はずだった。
アルコール類の持ち込み疑惑が浮上してからの阿川の行動は一部、頼斗が見ていた通りだ。
この場の主である真澄に離席する事を伝え、砂浜から別荘へと直行。
道中、衛星通信の携帯で千中に連絡を入れて合流先を玄関ホールに指定した。
千中へ連絡した時に疑惑の内容だけは伝えていたので、合流してからはお互い切迫していたのは間違いない。
だからこそ話は進展していなかった。
その後、頼斗と玄関ホールで出会したのは二人にとって冷静になる良い機会だったと言えるだろう。
こうして現在に至る。
「同じ事をもう一度言わせてもらうぞ。何故だ……あの場に何故、アルコール類と思われる物が"検閲を免れている"んだ……?」
阿川からの問いに千中は言葉に詰まる。
彼女に言いづらいという感情は一切ない。
たとえそれが、自分が後輩だからという点を含めても「主従関係以外の上下関係は不要。私らは水雲家の者を支える身であり、ひとつのチームなのだから」と常日頃から口を酸っぱく言われているからだ。
勤続年数、約八年。
二年半ほど後輩の千中は、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「正直わからないわ……」
どうしても視線は下に落ちてしまう。
「わからないって……検閲したのは千中だろう?」
正確には千中と、千中の部下の二人……計三人で検閲を行っていた。
しかし統括していたのは千中ではある以上、責任は千中にあると言われても致し方ない。
関係性がきっちり構築できていなければ口を噤んでしまってもおかしくないが、ここで千中は自分の正当性を示した。
「そうだけど、中身の判らない物だって虱潰しに調べたわよ!?」
千中はリストに書かれてる品名を上から順に
「品名 小道具:水溶液 赤←塗料混在」
「品名 小道具:水溶液 白←塗料混在」
「品名 医薬品:化粧水←ブランド名 センチメンタリズム」
「品名 医薬品:化粧水 無色透明←市販品」
「品名 医薬品:消毒用エタノール 不承認←代用品 手配済み」
と確かめて、阿川にリストを見せつける。
消毒用エタノールを不承認にしたのは千中ではあるし、その引き継ぎを受けた阿川も確認している。
「ほら!ちゃんとアルコール類の消毒用エタノールは承認してないわ。他のも細部まで確認したし、どこにも不備は無いわよ!」
「でも現に、あの様相からしてアルコールの持ち込みがされた可能性が非常に高い」
「そんなこと言われたって……」
実際、千中は自身の目で確認した訳ではなく阿川から"アルコール類の持ち込みがされた"との報告を受けただけである。
それでも阿川の言葉を疑いはしない。
こういう類いの冗談を言うタイプではないと、深く理解しているからだ。
千中は少ない情報から、どうにか真相を探そうとする。
「そうだ……!検閲を通さずにアルコールを持ち込んだ可能性は───」
思い付いたように切り出す千中に、阿川は容赦なくピシャリと遮る。
「環境保全の名目で、クルーザーに乗る時に男女共に身体検査はしただろう?そして、液体物は何もなかった……私は他の者達からもそう聞いている。つまり持ち込みがあった=(イコール)検閲を通った事になるんだよ。はっきり言って、これは大問題だ。水雲グループの検閲を抜けて、禁止事項物の持ち込みがされたなんて事が発覚したら、我らの沽券に関わる。今回のグループに指摘するにしてもだ、最低でも流通ルート、物の断定……この二つをしておかなければ推測だけで疑った事になる。誤解でした、じゃ更なる問題に発展しかねない……」
阿川が直接、今日介達に問い質さなかったのは、疑惑を完全に黒と出来なかったからである。
疑わしくあったとしても間違って真澄の友人を違反者扱いするのは、自分達のミスが露見するより罪が重いと判断したのだ。
推定無罪。
確たる証拠を示してこそ、罪を問える。
見当たらなければ咎め無し。
失態ゆえに、焦燥に駆られた阿川の語気が強くなってしまうのも無理はない。
今となっては責任の所在が誰に、何処に、どちらにあるのか……それが問題だ。
事実の列挙を真正面から受け、たじたじになった千中を哀れむ気持ちが阿川に芽生え始め、溜め息を吐きつつも仕方なしといった様に言葉で手を差し伸べる。
「こうなったら止むを得ん……ひとつずつ確認していくしかない」
もう後の祭りでしかないがな……と阿川はぼそりと溢す。
気を取り直さんとばかりに阿川は千中からリストを受け取ると、声を少し張る。
「まずはリストの不備だ。再三チェックをしてるのは重々理解しているが──検閲前、検閲後で数に違いは無かったか……書類上でおかしな点はどこにも無かったか……或いはそういう類いの報告が挙がってないか?些細なものでもいい」
阿川の質問に千中が淡々と答える。
「私含めて三人で全部の検閲とその後の隅々までチェック、トータルでトリプルチェックしたから物の増減、リスト自体の不備もあり得ないわ」
阿川は手元のリストにくまなく目を通しながら考えを纏める。
検閲前と後、最終確認のサインが三人分、しっかりと記されている。
念入りに確認するのは今回だけではないので、その辺りも阿川は理解している。
「となると、やはり……こちらの人的ミスはかなり低いか……。計画的に持ち込まれたという線が高いと考えるのが妥当だな」
セキュリティが厳重であれば、偶然で突破するのは余程のヒューマンエラーがない限り困難である。
ならば考え得る可能性はひとつ。
誰かが意図して策を練り、検閲を突破した……これに尽きる。
「こうなれば徹底的にやるしかない。千中、他にアルコール類を混入させられそうな隙間があったりしないか、出来る限り現物と照らし合わせて再検閲するぞ」
「ええ、何としても物を特定しないと」
千中の返事に阿川は小さく頷く。
そして二人は玄関ホールを後にして、一度リビングへと向かう。
移動中、千中が「先に伝えておくわ」と話を切り出す。
「もう既に、各々の部屋に運んでるキャリーケースとかリュック等の再検閲できない物についてだけど……クルーザーから出発する前に、本人達から許可を得て男女共に私物を細かく確認させてもらってる。でも液体物及びアルコール類は見つからなかったわ。もちろん水筒やペットボトルも無し」
千中からの報告に、見解を話す阿川。
「となると、この先の再検閲がより重要だという事だな」
気を引き締めて行かねば、と阿川の眼光に鋭さが増す。
二人がリビングに到着すると、すかさずリビングのとある一角に直行し、阿川が段ボールを前にしてしゃがむ。
室内に持ち込む程でもないものを共用スペースである、リビングの隅に置いていたのだ。
これより、阿川と千中の威信を懸けた再検閲が始まる。
阿川達が真っ先に手を付けたのは液体物の入った段ボールだった。
空き瓶もあれば、中に液体が入った物とごちゃ混ぜにされて箱に詰められている。
液体の色は赤、青、白、橙と様々だ。
「千中、まずはこれからやろう。液体が一番怪しいからな」
そう言って阿川がひとつひとつ手に取っていく。
「どうしてもこういうのに目が行ってしまうが、中身は水とかなんだろう?」
阿川は疑いの目を向けながらも、自らの口で否定の言葉を並べていく。
「えぇ、中身は普通の水で絵の具を混ぜてるだけだわ。使用目的は小道具らしいわよ」
「小道具?」
「他にも色々あるの。そっちの箱は主に化粧道具ね。化粧水とか乳液が入っているわ」
千中に指を差された先を見やる阿川は、吸い込まれるようにその箱に手を伸ばした。
最早、液体警察と呼ばれても反論できないだろう。
「これはブランド物の化粧水だが……こっちは何だ?」
阿川はラベルの無い透明の瓶を手にしながら中身をクルクルと回している。
中に入っている何かしらの液体は、小さな世界で大波を起こしていた。
「それも化粧水だったわ。あとその横の中身が白いのが乳液で、水色のが制汗スプレー。どれも市販で売られてる物ね」
「こうも中身が分からないとなると、調べる方の気苦労が絶えんな」
阿川は少し、千中とその他の従者を慮った。
「確かに、タスクとしては骨が折れるわ。でも流石に、中身が保証されない物は調べておかないと怖いもの」
それはそうだな、と阿川は賛同して物色を続ける。
しかしながら、千中と一緒にリストを照らし合わせているが、最重要である液体物からは不審な物は見つからない。
「綺麗なまでに問題ないな……こちらはいつになく血眼だってのに」
「不備が無い事が逆に追い詰められる原因になるなんて……皮肉ね」
覆らない結果にお互い溜め息を溢してしまう。
困惑を隠せない二人だったが、阿川は別の角度から考察をする。
「……液体の物で明らかに変わってたりする物はあるか?例えば、液体の量が減っている……とか」
発想の転換。
物的証拠が見つからないのなら、使用された痕跡を辿ればいい……混入ルートを特定するのは必要ではあるが、最優先するべきなのは今この場所にアルコール類が存在するのか否か。
痕跡から逆算すれば物の断定、順調に事が運べばルートの特定まで可能だと阿川は踏んだ。
しかし────
「減った増えたは…………ないようね。蓋が緩んでたりする物も無いし……置場所が変わった様子もないわね」
特別、話に挙げられそうな変化は無かった。
手を替え品を替え、視点を替え……一番疑いの目が行ってしまうであろう、液体物の検閲がここで終了してしまう。
二人……中でも阿川の動揺はとてつもないものだった。
この目で見た光景が、疲れから来る幻覚だったんじゃないかと思うまでに。
一瞬、負の感情に飲み込まれそうになった阿川だが、自力で払拭する。
いいや間違いない、あれは確かに飲酒による症状そのものだ……と。
阿川の目に執念が宿る。
心の炎を静かに燃やし、枷となっていた迷いをじわじわと溶かして行った。
呼吸をひとつ……阿川が切り出す。
「正直言って疑念は残るが……何処にも問題がない以上、液体物に囚われ続けるのは良くない。液体以外の物もある訳だし検閲を進めて行かないと」
後ろ髪を引かれる思いがありながらも、阿川は別の可能性を探る。
最重要の液体物から離れた阿川が、次に手を取ったのは近くにあった衣類だった。
無作為に選んだだけあって、脳の片隅に「液体物みたく、検品に優先順位を設けるべきではないか?」という思考が過る。
それでも手は止めなかった。
頭で解決しようとして特定に結び付かなかった分、今は行動あるのみと判断したのだ。
段ボールに詰められた衣類を、丁寧に確認していく阿川。
既に検閲で細かい所までチェックが為されているのを理解していても、何処か見落としは無かったんだろうかと触診さえ怠らない。
「……衣類も問題ない。にしても……結構な量のバスタオルだな。ただの入れ忘れか?やけに多い気はするが」
個人のキャリーケースにではなく、段ボールに梱包されていた事に阿川は不審を抱く。
千中はリストを指でなぞり、阿川に告げる。
「複数のバスタオルは……名目上、衣類兼小道具となってるわね」
即座に阿川が突っ込む。
「さっきも小道具とあったけど、バスタオルなんて何に使うんだ?演劇をするにしたって、ここまでの枚数は使わんだろう」
「知らないわよ、そんなの。あと、やるとしたら演劇じゃないんじゃない?」
そう言って千中は別の段ボールに目を向けると、阿川も千中の視線を追う。
二人の視線の終着点には、大型の段ボールが三箱。
だが、リビングの一角に集められているとはいえ、視線の先の段ボールは手を伸ばしても届く距離ではなかった。
しゃがんだ姿勢のまま摺り足で移動した阿川は、そのまま自然の流れで大きめの段ボールの検閲に入る。
「これは……」
阿川が箱を開けると、中身はカメラだった。
デジタルカメラや一眼レフ等の日常で目にするようなタイプではなく、テレビのカメラマンが使う片手で持つのには苦労しそうな、かなり大型のカメラである。
同じ段ボールには、他にも機材がぎっしりと入っていた。
「なるほどな。度々出てきた小道具は、何かの撮影に使われるという事か」
千中の言葉に理解と納得を示す阿川は、頷きながら検閲を進める。
精密機械だけあって、この中にアルコール類を隠す可能性は極めて低いと思いつつも、真剣な表情でひとつひとつ吟味している。
箱の底まで点検し、異変が無いと判断すると間髪を容れず横にあった段ボールに手を付ける。
大きさはカメラが入っていた段ボールと同程度。
上下、左右と箱を開けた阿川は中身を一瞥して「ほう……」と言葉を漏らす。
中身はドローン。
カメラが内臓されている物で、折り畳み式ではあるがドローンの中では大きい方に分類される。
「かなりしっかりしたドローンだな。見た目だけで安っぽい作りじゃないのが判る。数万円で買える代物じゃないな」
ドローンにさほど詳しくもない阿川だが、持ち前の審美眼は存分に発揮されていた。
しかし、高価な物であると判断した故に、阿川には疑問が生まれる。
「……こういうドローンって勝手に飛ばしても法的に問題無いのか?小さいのは大丈夫だとか誰かに聞いた事があるんだが──いや、うろ覚えだから記憶違いかもしれない。でも、大きいドローンは何か資格とかが必要だった気がしたんだよな……」
阿川の脳内は一時的に、航空法の細かな規定に囚われていたが、自分達が居る場所まで思いを巡らせると割り切るのは早かった。
「まぁ、飛ばすとしても無人島内ではあるし、俺らが口を挟むものでもないか」
無人島であっても航空法には抵触してしまう部分はあるが、阿川と千中にそこまでの知識はない。
阿川はドローンをゆっくりと持ち上げる。
ひょいっと持ち上げられる軽さに驚きつつ、裏側まで目視で確認。
細かい所まで確認してる阿川に、千中はリストを見ながら補足を入れる。
「そのドローンだけど、正面側の下辺りにアルファベットと数字が書かれたテープが貼られてるって、詳細事項に記載されてるわね」
言われてすぐ、阿川は正面側へと顔を覗かせる。
「ほー、機体そのものに記載されてないって事はデザインとか商品名とは違うな。何らかのIDか……なら法律云々はクリアしてると考えるべきか……?よく分からん」
検閲ついでに、法律面へ脳のリソースを割いた阿川だったが、門外漢だったので結局は判らず終いとなった。
ドローンが入っていた段ボールには他にも細かい部品が入っていたが、透明な袋で詰められていた為、怪しい物が無いかの確認も容易で時間は全く掛からない。
検閲も大半を終え、後は比較的サイズの小さい段ボールばかり。
迅速に、且つ慎重に検閲を進めていく二人。
一箱、二箱と確認済みの箱が増えていくに連れ、どうしても二人の心には焦燥感が芽生えてくる。
そして終了までのカウントダウンは、残り一箱。
たったひとつの箱の中身を検閲するだけなのに、ここまで心臓の鼓動が速くなった事は二人の人生を振り返っても未だ無かっただろう。
箱を開ける。
中身は……髪を梳かす櫛や整髪料等。
小さな箱にびっしり入ってはいるが品数はとても少ない。
にも関わらず、検閲の進捗は迅速とは言えない……動きも重ければ空気も重い。
丁寧と評すれば聞こえは良いが、速度的に丁寧で片付けられるスピードではないのは明らかだ。
時間をたっぷり使って、箱のカウントダウンは遂にゼロとなる。
もうない。
検閲する段ボールはもう……ひとつもない。
なのに、ターゲットの物は見つからなかった。
不備なし。
異常なし。
為す術なし。
この時、二人はどんな気持ちだっただろう。
まさしく茫然自失……いや、茫然自失という言葉なんて生易しい。
絶体絶命、意気消沈、七転八倒、五里霧中。
つらつらと並べた四字熟語たちをバラバラにして、ひとつひとつ丁寧に組み立てたものを、新しい四字熟語として彼らに進呈したいくらいだ。
不名誉であること極まりないと、突き返されるかもしれないが。
検閲後、解放感ある広いリビングには不釣り合いな程の、酷く重苦しい空気が漂っている。
意気込んで行動に移してみたものの、結果は奮わず、あまつさえ何の手掛かりも見つけられなかったのを思えば、然もありなんと言ったところだろう。
二人は静まり返った空間に身を置いていたが、それでも考えは一向に纏まらない。
何か行動しなければ……と思い、阿川は検閲をもう一度し直そうと体ごと液体物の段ボールの方へ向けたが、そのまま固まってしまう。
視界に入れたことにより、視覚情報から現実を突き付けられたのだ。
あそこには「異常が無かった」という解答が。
一度は再起し、執念に燃えた阿川であっても、心をへし折るには充分な情報だった。
千中も持っているリストにひたすら目を通すが、どれだけ時間を使っても取っ掛かりを見つける事は出来ない。
とうとう、リストの文字はゲシュタルト崩壊を引き起こす。
担う役割は違えど、同じ現実が二人の戦意を根こそぎ奪っていく。
静寂がリビングを包む中、ようやく言葉を発したのは阿川だった。
「千中……こうなったら選択肢は二つだ」
顔を合わせる素振りさえなく、阿川は千中に問う。
「素直に自分達の失態を認めて、上に報告するか……それとも隠蔽するか。これを俺らで決めよう」
千中からすれば、とんでもない問いだった。
普段であれば自分にこんな問いが飛んでこようものなら、叱責するのは確実。
だが、そんな問いが阿川からやって来た。
怒りよりも驚きが優に越える,。
「どうして……」
同時に疑問だった。
「どうして、隠蔽なんて言葉が出るのよ?」
失態を認めるでいいじゃない……言いたい言葉も、動揺によって口から出る事はない。
「ここまで二人で虱潰しに探して、不備も、痕跡も、手掛かりさえ見つからないんだ。そうなると、アルコール類が検閲を免れたことさえ立証できない。単なる見間違いで千中を巻き込み、無駄に慌てて騒いでしまった……この可能性が無いとは断言できないだろう?」
「それは……」
阿川にそう言われてしまったら千中は言い返せない。
何故なら現状、この場で見たのは阿川"だけ"だからだ。
「だったら、今から私が確認しに行けば──」
「確認に行って……戻ってきて、どうする?たとえ飲酒があったと判断したとしても、また最初から検閲するか?」
どう足掻こうと結果は変わらない。
冷静に先読みできてしまった阿川の心は、完全にズタボロになっていた。
千中も頭の中が動揺……悔しさ……憤りの三つ巴によってぐちゃぐちゃになり、反論する余裕を失ってしまう。
千中だけでなく、阿川も言葉を発する気持ちが持てず、またもやリビングには沈黙が訪れる。
阿川が選択肢を挙げたものの、自然と二人の決断は隠蔽することに決定した。
隠蔽──つまりは隠し通す事。
立証できなかったものを隠す……それは果たして罪なのだろうか?
公になっていないのなら、隠すも何も、無いも同然なのではないだろうか?
アルコール類は本当に持ち込まれていたのか?
持ち込まれていたならば、犯人は?
検閲を掻い潜った方法は?
真実を知らぬ事は無知なのか?
無知とは本当に恥ずべき事か?
暴かれぬ真実が時に、誰かの青春の一滴になるのなら、根本が毒薬だろうと毒そのものを評価すべき瞬間が来るのかも知れない。
しかし、些末な言葉をどれだけ並べても、決して彼ら──阿川と千中には届かない。
二人は知り得ない。
全てのことが有耶無耶なまま、彼らに真相が明かされる機会は訪れないのだった。




