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宇田は部屋の中を一目見るや「よし」と気合いを入れた。
予約しておいたという軽トラを借りてくると、重いキャビネットや家電を次々と荷台に載せていく。宇田の知人がリサイクルショップを経営しているとかで、すべて引き取る話はついている。
粗大ゴミが減るたびに弟の個性が消えていき、清浄な空気に入れ替わる。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
輪郭のぼやけた短いやり取り。宇田とこの部屋で暮らすところを想像した。生まれたばかりの感情が震える。
宇田には妻がいる。息子を溺愛しているらしい。人殺しの息子を。家族を捨ててくれと言ったら、この関係は終わるだろう。宇田が帰ってくる前に軽く掃いたり拭いたりするつもりだったが、なにもせずに宇田を待とうと思った。
部屋はちょうどいい狭さだ。ここでやりたい。やる前に掃除をするのははしたない気がした。いまさらなにを気にしているんだろうと笑いがこみあげる。
玄関ドアが開いた。思ったより早かったなと視線をめぐらすと小柄なシルエットがあった。
「あれ、あの」
「……誰?」
「引っ越したんですか、樹兄ちゃん」
中学一年生くらいだろうか。甲高い声の男の子だ。空っぽになった室内を呆然と見回す。
「私は樹の姉だけど。あなた、樹の……知り合い?」
中学生にまで手を出していたのか、と危ぶんだ。弟ならやりかねない。
「お姉さん……?」
「死んだのよ。聞いてない?」
「死んだ……どうして」
男の子は真知と名乗った。隣の部屋に住んでいるという。
しばらく姿が見えない弟を心配していたらしい。表札もそのままでカーテンも変わっていないので旅行かと思っていた。ひさしぶりに物音が聞こえたのでドアノブを回したのだという。インターフォンを鳴らさなかったのは、玄関に鍵をかけない弟の癖を知っていたからだろう。
真知は空気の抜けた風船のように玄関に沈んだ。
「……まさか、弟を好きだったの?」
婉曲な言い回しをしてしまう自分が苛立たしい。
「あの、あの、そうですけど、違います。恋愛感情じゃなくて、あの、兄貴というか、姉貴というか、人生の先輩というか。憧れの人でした。どう言葉にしたらいいかわかんないけど」
そのときドアが静かに開いた。宇田が帰ってきたのだ。
玄関にうずくまる真知を見下ろして目を丸くしている。どなた、と目で問いかけてくる。
「どうして死んじゃったんですか」
真知の問いに、宇田がひゅっと息を飲んだ。
「あ、こんにちは」
背後に人の気配を感じたのだろう、真知は振り向いて宇田を見上げ、深々と頭を下げた。状況的に、宇田を樹の父親だと思ったのかもしれない。
宇田は否定するでも肯定するでもなく、背を丸めて逃げるようにして居間に上がってくるや、私の後ろに隠れた。
私は足すことも引くこともなく、起こったことをありのままに真知に教えた。
「真似しちゃだめだよ、あんな生き方、あとあんな死に方」
「はい、でも、樹兄ちゃんらしい、かも」真知は鼻の先に引っかけるみたいに笑った。
「樹ってどういう人間だったの、真知くんから見て」
本心から聞きたいわけではなかった。樹に憧れると臆面もなく言う真知の認識が歪んでいることを確かめておきたかった。
真知は言葉をたぐるようにして語りだした。
「僕の両親は沸点が低くて……」
よくある話だった。暴力から逃れて階段でうずくまっていたら、仕事帰りの樹に声をかけられた。
『風邪ひくぞ。寝るならうちに来るか』
『優しいんですね』
『違う。俺がイライラするから。おまえのことなんか考えてない。もし逃げ場がほしくなったら俺んちに来な。鍵開けとくから』
真知の回想では樹はヒーローになっているようだった。
「樹兄ちゃんは無限にかっこよくて、僕みたいな弱い人間に優しくて、でも弱いまんまでも堂々と生きていいんだって言ってくれた。だから樹兄ちゃんを殺したやつは死ねばいい。なんなら僕が殺す」
宇田が背中で息を詰める気配を感じた。
「たしかに型にはまってなかったけど」
型を鼻で笑い飛ばしたり、ハンマーで叩き壊したりするタイプなのだ。
「そうなんです。考え方が柔らかくて性別も軽々と越えてたし。樹兄ちゃんに会うまで僕は真っ暗な海で漂流していたゴミみたいな存在だったから」
「じゃあ、樹は灯台だったってわけね」
自虐的な言いざまが気になった。
「そうです、そうなんです」真知は嬉しそうに目を細めた。
弟は善人ではなかったけれど、「他人を喜ばせるために生まれてきたわけではない」と素直に表現する率直さと嫌われる勇気は持ちあわせていた。普通のふりができなくて、開きなおった言動が、真知にとっては自由に映ったのだろう。真知のなかにある樹の幻想を粉々に砕いてしまいたいという暴力的な欲望がわいた。
宇田が華の肩に手を置いた。すると欲望は嘘のように消えた。
「お姉さんとお話しできて嬉しかったです。樹兄ちゃんのこと、誰にも話せなかったから」真知は去り際に笑顔を見せた。
同じような笑顔を心掛けたけれど、上手く返せたろうか。




